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素晴らしきAiのひと/遊☆戯☆王VRAINS③ Ai編 感想

これまでの!遊戯王VRAINS!


Iの話をしよう

まず3期を語るとすれば、あまりにも短い!!総集編の103話を含めても18話と、あのGX4期よりもさらに少ない話数。2期の途中で変更されたEDがどう見てもボーマン事変のエピローグとなってる辺り、よほど尺ないんだろうなと察したとはいえこれには面食らいました。過去作よりデュエル構成の密度が高い本作だからこそ、物語が中途半端に終わらないか不安が深まったというのも無理からぬもの。

しかしそれこそ杞憂。積み重ねてきた物語があるのなら、短い話数でも視聴者の心を動かすには十分というのもGX4期が同時に証明していたのです…。

Ai人間体!?どうしちまったんだよ急にオタクが好きそうなことして…!これまでのマスコット風な外見とは一変して人間の姿に成ったことで、変貌を強烈に印象付けられました。
まずデザインが凄く良い。イヤリングがAiのモチーフになってるセンスは言わずもがな、マントをはじめとして豪奢な衣装や美形よりの顔立ちが妖しさと胡散臭さを加速させるし、コミカルな言動や声色から時に深刻さを響かせるのが、1期で遊作とファウストを戦わせるため暗躍した頃に抱いた「愉快だけど腹の底で何を考えてるか分からない」不気味さを蘇らせました。今にして思えば、ひたすらに着飾ったアバターは道化じみた笑顔の向こうに真意を覆い隠した暗喩だったのかな…。

それでいて、自我に目覚めたロボッピとの掛け合いがギャグ・シリアス両面で作用しているのが面白い。「頭が良くなった」ことで環境問題に口出しするのが色々と良くない気がするなぁ!?今まではデュエル中に喋りすぎて遊作から「少し黙ってろ」と言われていたAiが、今度は茶々を入れるロボッピを窘めて要素の反転をさせたり、一緒になってふざけることで以前との類似性を醸し出すのが、コメディリリーフとして場の緩急を操りました。それでいて、無垢なAIだったロボッピが人類への蔑視を隠そうともしないことで断絶がさらに深まったのを実感する…と油断のならない緊張感を作中に定着させます。

そして決闘者の魂そのものと言えるデッキの@イグニスターがなにより壮絶。ぷよぷよしたマスコット風の下級モンスターと、派生する上級モンスターには自身を含むイグニスへの想いが込められており、墓標を思わせるその情感が胸を締め付ける。このカード群は外見や効果が各イグニスを想起させ、魔法・罠を破壊するウィンドペガサスやクリスタルハートを思わせる意匠が組み込まれたアースゴーレムたちは、これまで遊作たちの戦いを見てきた者に迫るような圧をかけます。私の好きなモンスターはピカリですが、ライトニングが極度のストレスでいじる癖があった、横の出っ張りを帽子のつばで表現されてるセンスが洒脱で舌を巻いてしまう。
極めつけにAiの想いそのものな闇属性のドヨンダークナイトはどちらも墓地の@イグニスターを蘇生する効果があり、仲間たちを救えなかった悔恨と喪失感、再び共に生きていきたかった感傷まで汲み取れるようで直視できなくなってくるほど。結果として過去一でキャラクターへの解像度が高いテーマになってるのマジでなんなの!??と叫びたくなるものと相成りました。
それだけでなく、@イグニスター上級モンスターがどれもデコード・トーカーと同じ攻撃力2300で統一されているのが、遊作と結んだ繋がりを強く意識させます。

各補助のAi魔法・罠カードもコミカルかつ強力で良いのですが、その中でもイグニスターAiランドは「無邪気な遊園地の光景」「手札の@イグニスターを召喚できる」など、賑やかだったであろう在りし日のサイバース世界を想起させて心を折りに来ます。なんの変哲もない観覧車に「2期で不霊夢が気に入ってた」文脈まで織り込まれるの冗談じゃないよ…。余談ですが、アニメ版のピカリはAiランド限定でサーチする効果があり、Aiは今でもサイバース世界のリーダーだった頃のライトニングを想ってたのかな…と。

そしてこのカード群から成るデュエルは、いずれもシリアスそのもの。散っていった仲間と共に戦うといえば聞こえは良いですが、その実デュエルする度に失われた命に追い縋るような…発せられる台詞も相まって、むしろ失われたことを再確認するかのように辛い残響がありました。Aiが連戦に連勝を重ねていく構造にも拘わらず、自傷行為の痛々しさを見せつけられるような気さえした。

復活して豪鬼デッキを繰り出す鬼塚や財前兄妹のタッグなど相手は錚々たる面子でしたが、そんな不退転の決意を秘めたデュエルは内容も最中の言動もあまりにも重い。

「なぁ鬼塚、俺の仲間は、お前みたいに立ち直ることも出来ない。だって、消えちまったんだからな…」(108話 vs鬼塚)
「守るものがあるやつと失うものがないやつと、どっちが強いか勝負だ!」
(110話 vs財前兄妹)

それぞれの相手に深い因縁をもつイグニスに対応したモンスターを召喚する、愛憎入り混じった気迫に思わず呻き声が漏れてしまった。2期で敵味方に入り乱れ、人間に利用され命を落としたイグニス達への深い悲しみが遺憾なく胸に突き刺さります。特にvs鬼塚における上記の台詞は沈痛な笑みのもとで放たれつつ、画面が切り替わり攻撃宣言をする一瞬の間に切実な表情をしてるのが、シンプルながら尋常ではなく刺さるカットでした。3期は、こういう一瞬の行間で感情を二転三転させる演出が多くて目を釘付けにしますね。2期で人類と敵対したイグニス達が使った裁きの矢まで持ち出してるのでもう二度と相容れないのだと実感したし、Aiの悲壮な感情を余すことなく表現したcv櫻井がどこまでもハマリ役すぎる…。


Youの話をしよう

「遊」園地ってそういう•••?

それを受けた遊作も、過去一でお労しいことになっていました。思えば遊作は最序盤こそクールかつ硬派なイメージでしたが、物語が進むにつれて他者の身を案じ誇りを尊重する、繊細な面がとりわけ描かれてきました。それは晃と葵を復讐に巻き込まぬよう突き放す不器用さや、宿敵リボルバーに対して過去を振り切るよう諭す様に表れており、「英雄・Playmeker」のアバターから零れた人間性が多面的な魅力として形成されています。

3期の遊作はかつての相棒が仲間を次々と手にかけていく様を目の当たりにし、それまでより沈痛な面持ちになっているのがとにかくお辛い。特に111話では、葵へ大切な者を守れなかった後悔と自責の念を抱くよう生かすという非道な仕打ちに対して「Ai!お前……」と言葉を失う、様々な感情に翻弄されるような様が痛ましくて…。
(このシーンでは尊だけでなく、了見も怒りと悲しみを感じさせるのがより悲痛さを浮き彫りにします。了見お前イグニスを心から憎悪していた人間からは「おかげで一片の迷いもなくお前を消し去ることが出来る…!」なんて発言は出ないんだよ…)

また、遊作が財前兄妹に正体を明かしたことで「藤木遊作」個人として感謝される幕間は、物語が終わりへ向かいつつある静かな余韻を感じさせました。ここで面白いのは、このイベントが穏やかな日常の一幕として描かれる点。驚きはあれど劇的な感情の動きではなく、それは財前たちが恩人の輪郭を捉えた安堵であり、遊作が無自覚のうちに他者と繋がっていたと祝福するかのような温かさは、Aiが個人・社会に及ぼす影響が加速度的に拡大するとともに遊作が苦悩する、過酷な3期の中でも優しさに満ちてとても好きなシーンです。

「頭が良くなるってことは、色んなことがわかって気分爽快です!」
「オイラも昔は何も知らなかったから幸せだったです!」

ロボッピをマスコット枠から自我に目覚めた人類の敵と変遷させたのがただでさえ人の心がないのに、それだけに留まらないのがVRAINSの味。夢を見たロボッピが家電AIたちの王様になろうとする──そんな導入で始まるこのエピソードは露悪的なまでにロボッピの口調が刺々しいのはもとより、台詞の端々からは人工知能ではなく異種族、まるでイグニスのように遠い存在になってしまったと強く意識させる。

vsロボッピの終盤、まさに回路が焼き切れたかのような演出とともに暴走しつつもデュエルが冴え渡り、Soulburneに王手をかけるまさしく叡智イグニスに手が届いた趣を感じさせ──そして自壊する。ここがあまりにもえげつなさ過ぎて息を吞んだ。

遊作「ロボッピのAIは…家事用のAI…」
Ai「俺のシステムに、耐えられなかった」

Aiをアニキと慕い、その影響で自我が芽生えたロボッピでしたが、両者は同じ人工知能であれど全く別の存在だったと突きつけてくる。いくらAIとして同種であっても、神と人の関係のように力を与えるものと与えられるものとが同族なわけもなく、Aiはどこまで行っても独りぼっちのイグニスだったと反芻させてくるこのグロテスクさ。
自壊するロボッピを目の当たりにし、遊作が日常の中にあった小さな安息を追憶する場面で、Aiと遊作ふたりにとって大切な存在を喪失したと容赦無く切りつける。ここは少しずつ表情が崩れる遊作と、「Soulburner…頼む」と介錯を任せる際の沈痛な声色に震えました。

ハッカー集団やAIが人知を超えた情報処理能力とテクノロジーで世界を引っ搔き回してきた本作VRAINSの終盤において、ロボッピが獲得した知能の全てを蒸発させて原初の幸福を思い出し、白痴ゆえに恐怖を感じないままに消去されるのは寓話じみた趣を感じさせました。これがロボッピへの慈悲だったのか、それとも知能を得た生命の尊厳に踏み込むものだったかは、今もって自分の中で結論が出ないままこの記事を書いています。


Soulburner vsリボルバーは、デュエルに持ち込まれる因縁やメッセージ性に加えて、作画の美麗さも3期どころかVRAINS全体の中でも随一のものでした。タイトルの「完全燃焼」に一切の偽りなく、遊作とAiとの最終決戦を控えてロスト事件の被害者とその責を負うもの二人の因縁を総括するその熱量よ…。

この回についての感想は「良きデュエルだった」以外に言うことあります???83話でお流れになったデュエルの開幕と同じ展開から始まり、互いのターンでいきなりエースが召喚されるギリギリのせめぎあい、強固に固めた盤面が一手で崩される現代遊戯王の縮図とも言えるデュエル運びと盛り上がるポイントの抑え方に余念がない。

そして何と言っても尊と了見が本作における最終デュエルの相手となる、その申し分なさ!本音を言えば、1期のように遊作と了見のデュエルを見たかったという気持ちはあります。互いに切り札が増えた今だからこそ、あの頃のようなライバル同士の決戦を味わいたい欲求は強くありました。
しかし、こと因縁の話になった際、既に過去を振り切り未来を掴み取ろうと足掻く遊作に対し、亡き鴻上博士の遺志へ己を縛り付ける了見とロスト事件で両親を失った悲しみの中で彷徨う尊は、ある意味で表裏一体。未だ過去にその影を落とす二人だからこそ、互いをもって最後の決戦とするのは納得もできるというもの。まさしく出会うべくして出会った二人なんですね。

了見が尊に語る言葉はAiの言う通り精神論ではあるんですが、この言葉をかける資格があるのは同じく「自分のせいで親を亡くしたもの」である了見だし、その言葉を受けて再起した尊によって了見も救いを得る…と共鳴しあった結末が美しい。そしてボロボロになった二人(リボルバーはマスク割れまでしてる!!!)も格好良すぎたよ…。

尊自身から「いつかロスト事件を忘れ幸せに生きるかもしれない」との言葉が飛び出すのは福音じみた趣があり、それゆえに了見へネットワークの監視を言い渡すのもまた彼なりの不器用な優しさなのでしょう。了見は幼き日から親を追い詰めた自責の念から追い立てられるような使命感によって生きており、そこからは絶え間なく自罰的な傾向を感じさせて、使命がなくなったらふっと消えてしまいそうな儚い香りが漂う男でした。そんな彼に、過去に囚われた復讐ではなく果てしない未来を代入できたならば、きっといつまでも気高く前へゆけるのでしょう。ロスト事件を介して2人の間に結ばれた繋がりが未来を描き出す、作中に膾炙するテーマ性の反映が極めてロジカルかつ温かい余韻を残します。

最終決戦を前にして口数少なく話す遊作と草薙や、レギュラーキャラの尊と了見が遊作に対して明確な別離を口にするのはほろ苦い爽やかさがあっていいですね。いつも傍にいるだけが絆ではなく、別の道を進んでもふと心に去来する残像がある──そんな趣が、メインテーマのムーディなアレンジに乗って好きなシーンでした。でもBGMをぶち抜いてカードを投擲した挙句に船で去っていく了見のスピード感はもうちょっとどうにか出来たんじゃないかな!?互いに名前を呼びあうことで、ネットワークに囚われた運命の囚人は解放されたのだ…と余韻が煌めくだけに緩急がえげつないってここ!!

愛の話をしよう

@イグニスター担当カードデザイナー、VRAINSのオタク説

「遊戯王らしさ」とはなんだろうか?それは逆転に次ぐ逆転のデュエル、本来交わらなかった者たちが結ぶ友情、遥かな過去から連なるオカルトや神話を下敷きにした物語、スピードの中で生まれネットミームと化す迷言など枚挙に暇がない。それでも敢えてひとつ挙げるなら、主人公とそれを見守り共に戦い続けた相棒との決戦、俗に言う「闘いの儀」は避けられないでしょう。初代遊戯王において遊戯とアテムが仲間の見守る中で火花を散らしたそれは、互いを最大の好敵手と認め合い、そして最高の相棒と認めるからこそ避けられぬ最終決戦。ZEXALでも再話されましたが、こちらもホープシリーズを揃え畳みかけるアストラルに対し、信頼があるからこそブラフで揺さぶる戦略に自身の新たな可能性を掴み取る遊馬の成長や、1話から描かれた要素の回収など違った読み味を出し、単なるリメイクと言わせないパワーを感じました。

VRAINSにおける闘いの儀は、前者とも違う趣がありました。そもそも戦いが終わったあとどころでなくAiは3期の元凶です。人類とAIとの未来を変革させうる最終決戦で、人との繋がりを強く意識させた本作が見せたのは遊作とAi以外に誰もいない空間でのデュエル。世界と未来の存亡に関わる決闘が、まるで世界の片隅で二人の関係に収束するような独特の味わいです。
それに伴って、次回予告の遊作から「お前は、自分の死に様を俺に決めさせようというのか」など尋常じゃない台詞が飛び出すのも見所。

遊作がデュエル開始となる117話でデコード・トーカー、118話でクロックドラゴンやサイバースマジシャンを召喚して1期→2期でAiと歩んだ軌跡を感じさせる流れから、Aiが6体のイグニスター達でリンク召喚を行いジ・アライバル・サイバース@イグニスターを召喚する、完全な決別を突きつけるのが心を押しつぶすし、見返すと結構早い段階でジ・アライバルが出てくるので驚く。6体で召喚する切なる背景もさることながら、他のカードの効果を受けないというのも「イグニスたちで今度こそ誰にも邪魔されぬ世界を」と彼方に祈るような思いを呼び起こします。

Aiが未来を導く演算の果てに「闇のイグニスのみ生存した場合、人類は滅亡する」と突きつけられ、それに屈するのはこれまで未来は自分の手で掴み取ることを伝えてきたPlaymakerと真っ向から対立する概念でした。しかし、ロボッピの顛末からAIが人類とは比較にならないほどの情報処理能力のある生物と描き、「イグニスはデータなのだから、未来予測はAIにとってリアルな現実と変わらない」など、あらゆる描写でAiは人類との共存が不可能と裏付けていくのが丁寧すぎる。AIをひとつの知的生命体と最後まで描く気概というか、VRAINSは細かな描写が徹底して真面目です。
Aiのデュエルを自傷行為じみた、と表現しましたが、3期は文字通りAiが壮大に舞台を整えたささやかな絶望と自殺の話でした。しかし、人よりも人らしくなったAiが陥った宿痾をそんなものと矮小化できるだろうか…。

死者の魂は現世に留まってはいけない」。初代遊戯王において、ボス格たるペガサスや(劇場版DSoDの)海馬は死者の手を掴もうとした者たちでした。生者が未来を歩むために、死者との彼岸は断絶しなければならない。@イグニスターで死者の形を操るAiはその系譜であり、概念をアップデートされたラスボスだったかもしれません。それでも、電脳空間を独り彷徨うイグニスは一体何処へ行けば良かったのだろうか…と考えずにはいられない。

生きている以上、死は避けられぬもの。永遠などないこの世界で、それでも消えず紡がれるものこそが「繋がり」なのだと、これまでの物語の総括を成すのが堪らない。遊作の語るそれは厳しくもあり、反面一度は人生が絶たれたとすら語った彼がこの物語で掴み取った福音なのでしょう。だからこそ、最後のリンク召喚がこの上なく光る!

まだ見ぬ世界へ繋がる風を掴め!リンク召喚!リンク4、アクセスコード・トーカー!」

ここで出るのか、アクセスコード…!今までマスターデュエルで数々のネタバレを踏んできた私が、もしかしたら最初に知ったかもしれない「VRAINS」のエースモンスター。しかし、デコード・トーカーの系譜にして最終形態たるこのカードが、まさかAiに引導を渡すための切り札だったなんて誰が思うんだよ…!!
様々なデッキに出張しフィニッシャーとして暴力的な活躍を目の当たりにしてきたこのモンスター、その効果はもう説明不要なレベルで頭に刻み込まれていました。「アクセスインテグレーション!」の掛け声とともにカードを破壊する様が、ここまで胸を熱くさせるものだとは…!
ふたりの繋がりが生んだ原点のコード・トーカーとAiの意思の具現たるダークナイト、その2体で決着をつける。相打ちを突き返し、墓場の下に眠るカード──死者が命を繋いだかのような逆転の流れも目元を滲ませる。

仲間を守るためにサイバース世界を脱し、仲間を守るために戦ってきたAiが、遊作が死ぬ未来を垣間見たことで自身の消滅を決意するという一貫性は気の遠くなるような気分にさせます。ハノイの騎士を壊滅させるため遊作を影から誘導していたAiに、過酷な戦いの中で芽生えた絆があった。賑やかな日々の中で生まれた情があった。
そしてそれは遊作とて同じ。1期で復讐に取り付かれながらも他者を慮り、2期で未来に思いを馳せつつイグニスたちを案じた姿は、これも形は違えど愛であり情でした。
遊作から生まれたAiの心にも同じ温かさが宿るのは必然だったのかもしれません。かくしてAiは最初から最後まで、誰かのためにその命を投げ打つことができる愛の人なのでした。


遊の話をしよう

名前が遊Aiだしデコードトーカー属にもシナジーあるしで「VRAINS視聴者を全て薙ぎ倒す」強い意思を感じる凶悪なカード

VRAINS 3期に一切の欠点がなかったか?と言われるとそれはそれで口の端からぽろぽろと零れるもの。もちろん番組当初から引っ張った遊作とAiの関係性の顛末については文句の付けようもないですが、尺不足に伴い豊潤な素材を活かしきれなかった感はありました。
Aiの犯行声明を閲覧するシーンでブラッドシェパードが「Playmakerなら居場所を知っているのでは?」と詰め寄るも財前が「知っていれば我々より先に動いたはずだ!」と反論し、それに鬼塚が同意する一幕なんかは、付き合いの長さや共にくぐり抜けた修羅場の数々から成る信頼の高低差を感じさせるいい演出で、「3期が長編だったらブラッドシェパードと遊作とで絆が深まる美味しいイベントとかあったのかなぁ…」と心残りが募ります。

鬼塚は特に2期で強烈に敵対したのもあり、強者として再び活躍する姿を見たいと望むのは贅沢ではないでしょう。豪鬼デッキの鮮やかな強さは描き出したものの、やはりアースゴーレムが持つ文脈の犠牲になった感が否めず…。
あと財前兄妹のタッグデュエルは1期でのティンダングルと兄妹の絆の再話となりこちらもアツいのですが、どうしても「また葵が晃を守れなくなってる…」と天丼ぽくなっているなど惜しさが目立つ。

しかし、短い尺の中でいたずらにスケールを広げず、必要な物語をやりきったからこそ魅せられたものがありました。
3期はこれまでと異なり、遊作たちの戦いは世間に知られないのが印象的です。これはカエルとハトの記者コンビがほぼ不在なのが物語っており、人類とAIの趨勢を決める最大規模の戦いでありながら、この事件には遊作たちやSOLのごく一部しか介入していない。なんなら世間には一切知られぬ、歴史の裏側を覗くような感慨さえします。
展開のミニマム化とも取れますが、むしろAiが進退窮まりながらも自分では人類に敵対しきれない(事実、未来を分身に託すことで消滅しようとしていた)有様を浮き彫りにし、3期そのものがあくまでAiの悲しみと慈しみの物語なのだった…と飲み込みやすくする土壌も作られたでしょう。
展開が長期化するとスケールも比例して拡大するのが常というもの。仮にAiがボーマンのように多くを巻き込む手段に手を染めていたら、ロボッピの暴走が長期に渡ったら、ここまでAiたちに寄り添う心境にはなり得なかったかもしれません。

AI搭載人型アンドロイドSoltisは人間の仕事(役目)を奪う機械という王道な構造を印象付けましたが、あくまで印象付けに留まっています。これを掘り下げるとSFチックな風味が強くなる半面として手垢のついた題材になりかねないため、あくまでツールとしてのみ用いたことで「現実世界で遊作とAiが対面する」という、クライマックスに花を添える効果を存分に味わえました。それも最終デュエル後にAiのカタチをしたものが墓標のように倒れつくす映像の喪失感は言語に絶するもので、遊作の「Aiィーーーッ!!!」の慟哭はそれまで耐えに耐えていた涙がほろほろと流れるほどでした。

1期・2期ともに複数回ボスと戦う構成となっていたVRAINSだからこそ、このクライマックスでは遊作とAiは(時間稼ぎを目的とした106話以外だと)一度しか本気で戦わないことで大いなる価値が生まれたと言えるでしょう。
限られた時間で物語の幕を美しく降ろした感慨の前では、不満が無いとは言えずともストーリーを大きく損なうことはなく。むしろAiの心中を察するに余りある読後感を強め、閃光のように命を散らしたAiの葬送を思わせる作用が素敵な最終クールとなりました。

OPの「calling」は2期に引き続きKIMERUさんの歌唱により、物語をグッと引き締めつつ最終章の寂寥感を響かせましたね。イントロで涙のようにはらはらと落ちるデュエルディスクからのメインキャラ総出演に始まり、遊作とAiの瞳が鏡合わせのように互いを映し、サビのcalling!でSoulburnerがカードをセットする音ハメに至るまで全ての流れが心地良すぎる…。後から聴き返し「これもうAi編の全てじゃん…」と膝から崩れ落ちました。どうやら2期OPの「go forward」はVRAINSの展開を最終回まで教えてもらった上で作詞したようで、こちらも今にして聴くと脳に電流が流れるパートがちらほらと。少年期にDM記憶編を見て「『魂眠る場所探して』のフレーズが天才のそれだろ…」と感嘆した時と同じルートを辿ってんな俺•••。

舞台をVR空間に移した異色の作品ながら、そこに流れる血は間違いなく初代から連綿と継承されたものでした。キャラクター一人一人の緻密なドラマ性や高速化する現代遊戯王の環境を真面目に再現したVRAINSは、シリーズの中でも新たな一歩であり、主人公とバディが育む関係は初代のリメイクに留まらない偉大な挑戦でした。本作は放送から5年経った現在の地平においても、決して色褪せることない鮮やかな物語を描き切ったと断言できます。また、「繋がり」をテーマに据えてリンク召喚をそれに落とし込むメッセージ性の強いデュエルに、その他召喚方法を更に文脈へと包括させてストーリーを昇華させる手腕など、デュエル周りの満足度は過去作と照らし合わせても頂点に位置するレベルでしたね。

GXを見直してから実に5か月以上に渡る遊戯王シリーズ視聴でしたが、これを通してVRAINSと出会えたのは望外の幸運でした。これからもシリーズの未来が輝かしく描かれることを祈り、そして最高の物語に出会えた感謝とともに新しい風に眼差しを向けていきましょう。

Into the VRAINS!


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