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フューチャーセッションin高知に向けての思い(2/3)

私達を取り巻く不安

今、なんでこんなに不安を感じる時期なのか、それを自分なりに分析したことについて、述べた上で③で、自分なりに取る戦略についてお話します。

SOMAの瀬戸さんと今回のチラシについてお話している時に「未来」というキーワードは高校生たちにとってはネガティブに捉えているというお話がありました。自分の息子の様子を見ていても強くそれを感じ、とても共感します。

丁度、同時期にこんな記事も目にしました。

正直、「この先どうなるの?」という気持ちと、「でも自分に何ができるの?」という気持ちがぐるぐる巡るとキリがなくて、私も思考停止気味で不感症になってました。あんまし考えすぎても、自分の不安障害を悪化させるだけだからです。

不安障害

私は一時期不安障害を患い、寛解はしているものの今でも時々しんどい日がやってきます。まぁ、言わば「不安」を感じるエキスパートなわけです。更に日々の業務でも「もっと良いやり方があるはず」っていう気持ちから、あちこちのコミュニティに参加して情報を仕入れています。変えていくことのできない現状とのギャップで更に不安を感じるという、わざわざ苦しむためにインプットしているんじゃないかと思う日々がありました。でも、コミュニティに参加してお話する方は面白い方が多いので、楽しくてついつい参加してしまうのです。そして、息子は本が好きで、沢山の本を読み知識が豊富なのですが、自分と同じように知る事によって、どんどん不安になっているのでは?と感じます。

ちなみに私の不安障害の最もひどい症状は「満員電車で吐く」不安です。一旦この気持が電車の中で湧き上がると、5分と電車に乗れません。とてもじゃないですが都会では働けないですね。赤坂の仕事場から当時の自宅の宮崎台まで電車で4時間かかった事があります…

余談になりますが、うちの親父も同じ傾向で、やっぱし親子なのかなと思う今日このごろです。親父はとにかく泥棒を警戒してて、家には5個も6個もデカイ個人向け金庫があり、ちょっとでも空いている窓、ドアがあると鍵をかけて雨戸をする。塀の上には有刺鉄線をめぐらして(笑)…ある日母が「このままだと、火事になったらボヤでも外に逃げられなくて死ぬ!」と怒ったら、次の日には消火器が3個ぐらい家にあったぐらいです(笑)。気がついたが最後、とにかく穴は塞がないと気がすまない…そんな親父です。

ちなみに、この本は翻訳が優れているのか、原著が優れているのか、すごくスルスルっと自分の中に読み込めました。自分が不安を強く感じるからですかね。

不安を感じない「安心社会」から「信頼社会」へ

コミュニティに参加するのは楽しい、でも結果として辛くなる…という苦しみの中で、CLS高知でお会いした方との会話・振り返りから自分の中のジレンマに一つの解を見つけることができ、今はそれが物事の捉え方の一つの軸になっています。

技術はこんな感じ↓で停滞期と成長期を繰り返します。

今から20年以上前大学生の頃AIの研究をしてたのですが、当時は自己組織化マップやニューロンの模倣には行き詰まりがあり、AIにはブレイクするーが必要でした。今は…皆さんご存知の通りです。ハイプ・サイクルのように、技術にはブレイクスルーと、過剰な期待・成長期、そのあとの停滞期(一般化、普遍化、コモディティ化)があります。

そして、山岸先生の言う「信頼社会」と「安心社会」は成長期(混乱期)には信頼優位、停滞期には安心優位となります。丁度昭和の後半は技術的には停滞期にあり、日本人が得意とされる安心社会は、人口ボーナス期とも相まって爆発的に稼ぎを増やすわけです。

2つの過学習

AIには「過学習」という事象があります。サンプルデータの学習を延々とやりすぎると、AIの反応が極端に二分化してしまう事象です。例えば特定の猫の画像で学習をしすぎると、ちょっとだけ変化しただけの画像でも猫じゃないと反応してしまう。そんな状況です。

山岸先生の本では、安心社会と信頼社会はある問題に対する出自の違う2つの解決策を採った社会とも読み取れました。が、個人的には信頼社会が効率を高めるのに過学習すると、安心社会に変化していくのかな?とも感じます。最初は誰かが信頼社会の中で時間をかけて最適解を出すのだけど、答えの出し方ではなくて、答えをそのまま次世代に渡してしまう。100点満点を狙って過剰な学習・努力をした結果が、安心社会を生み出すのかなと。

そして、日本にとって不幸だったのは、この安心社会が世界の技術情勢と、資源の無い国としての戦略、人口ボーナス期の恩恵から奇跡的な大きすぎる成功を収めてしまい、安心社会のまま過学習をしてしまい、ちょっとやそっとではやり直せない状況になってしまったのではないでしょうか?

「信頼社会」への切り替えが必要だけれど、過剰適合してしまった「安心社会」から抜け出せないそんなとこから得も言われぬ不安感が社会全体に吹き出しているのではないか?そんな風に今は感じています。

ではどうする?

③でどうすれば、信頼社会に切り替わっていく中でやっていけるのか、それについて述べます。

【③へ続く】


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