カーステレオの懐かしいナンバー

お風呂に入りながらプレイリストをシャッフルでかけていたら「Bittersweet Samba」が流れてきて、オールナイトニッポンに生活の大部分を支えてもらっている私は条件反射でテンションが上がったのだけれど、しばらく聴いてからあることを思い出した。この曲、幼い頃にカーラジオから聞こえてきていたなあと。

我が家は両親がお出かけに積極的なひとたちで、週末は幼い私と姉を連れて車でちょっと遠くに連れて行ってくれた。(姉というのは双子の姉である。誤解なきよう) 朝早くに家を出て、車内で食べる朝食用のおにぎりをコンビニでふたつずつ選んで、父は多めに買って、道中はおにぎりと一緒に買ったおやつを好きにつまんだり、運転中の父にハイチュウの銀紙をはがしてから手渡したり、そうして着いた場所で昼ごはんを食べてひとしきり遊んで、帰るころにはもう日は沈み、私たちの車は夜の高速道路を(夜だし誰も見てないだろと言わんばかりのスピードで)びゅんびゅん飛ばし、後部座席で眠りこける私たちを家まで運ぶ。
でも時折、車の揺れか両親の会話か、何かがきっかけで目が覚めて、そういう時に車内で流れていたのは、ラジオ番組やラジオドラマ、または両親の好きなアーティストのアルバムだった。その時にたぶん聞いたのだ。ラジオCMで、Bittersweet Sambaを。

そうかあ、私は最近になってラジオを聴き始めたけれど、実は部分的な要素は、音楽として、小さい頃から私の中にあったんだな、としみじみとした。幼い私には怖いくらいの速さのなかで目が覚めて、寝ぼけた頭で聞いたぼそぼそしゃべる両親の声の感じ、夜の高速道路の寂しさ、瞬間的に車内を過ぎてゆく道路脇の明かり、ぼんやりとした印象だけど、ちゃんと覚えていたのだった。

音楽は思い出を連れてくる。

私は今Apple Musicユーザーだけど、かつてSpotifyを使っていたときに「カーステレオの懐かしいナンバー」というプレイリストを持っていた。文字通り、カーステレオで聞いたことのある懐かしい曲たちをごた混ぜにした、ステキなプレイリストだ。再生すれば懐かしさが一気になだれ込んでくる。私が音楽を聴くようになった歴史の、そのはじまりが入っていた。
懐かしい曲を久しぶりに聴くと、私はどうにも笑いが止まらなくなる。おかしくってたまらないのだ。この曲知ってるわ!すごい!わかるぞこの曲!と興奮して、げらげら笑ってしまう。例えるなら塾でやった問題が授業で出てきた時、みたいな感じだろうか…。いや、違う気がするな。「なんだよお前!私の記憶の中にいたのかよ!」的なことを思って、久しぶりじゃーん!と突然の再会に手を叩いて喜んでしまう。

そんな忘れていたことすら忘れていたような、聴いて初めて「忘れていた」と気づくような、愛おしい曲たちのほとんどが、車内で聞こえていた曲だった。両親が何気なくかけていた音楽たちは、実は私の記憶のふかーいところでちゃんと息をしていたのだった。

父はTHE BLUE HEARTSをよく流していた。甲本ヒロト氏のことを(たぶん)敬愛している。だけどクロマニヨンズもハイロウズもなぜか流さず、私が小さい頃聞いたのはブルーハーツだけ。ただブルハはサブスクがないので、例のプレイリストには入っていなかった(早いとこ曲を購入せねばと今思った)。
それでも私の頭に残り続けているのは、聞いた曲数とそれらの強烈さのせいだろうなと思う。あんなに強くて弱くて哀しくて、悲痛でとても優しい声を、他に知らない。爆発的な楽器たちと何か影のある歌詞のミスマッチも印象が強かった。僕の右手を知りませんか、とか、運動場のはしっこで悪魔を育てよう、とか、どういうことかわかんないなあと思いながら、そのわかんなさに惹かれていたのかもしれない。
コロナ禍で帰省するとき父が実家から車を走らせ迎えにきてくれたことがあったのだけど、車内では永遠にブルーハーツが流れていた。ブルーハーツ懐かしいね、と言ったら、嬉しそうにめちゃくちゃ語っていた。オタク気質の遺伝子を感じた。そのあと父は大声で歌っていた。父は運転中眠くなると、ボトルに入った黒くて辛いガムを噛むか歌うかする。

母はとにかく見さかいなしに音楽を聴く人である。いい意味で。アーティストに拘らず、好きだと思った曲を聴く感じ。今の私もそうだ。そんな母からは洋楽を教わった。教わったというか母が勝手に流していた。コアなものではないけれど、The BeatlesにQueenにOasisにEaglesに、Bob Dylan、Stevie Wonder、などなど、曲やアーティストについて何も知らないまま聞いていた。幼い頃から車でしか聞いていなかったせいでボヘミアン・ラプソディの曲名を知らず、映画が大ヒットしたときに初めて音楽と曲名が一致したくらいである。曲名を教えずに聞かせていた当の本人にそれを言ったら、マジで?と驚いていた。
母はもちろん邦楽も流した。中1で私はSEKAI NO OWARIに大ハマりするのだけど、きっかけは母が流した「RPG」だった。BUMP OF CHICKEN「天体観測」も母経由で知った。
また母とは音楽の好みがたいへんに合う。私が多少大きくなって自分のデバイスで音楽を聴くようになった頃、ひとりで見つけて聴いていたEd Sheeranが、車で突然母のプレイリストから流れてきて、思わず「知ってる!」と口走ったことがある。ドラマの主題歌やCMで聞いた曲をプレイリストにすぐ入れちゃうミーハーなところも、似ている。
それから忘れられないのが、映画「CARS」のサウンドトラック。サントラなので歌声のない曲が多いのだけど、いくつか声の入った曲もある。母はそれを一時期かなりヘビロテしていて、車内で本当によく聴いた。ドライブにぴったりだったのだろう。サントラ一曲目のSheryl Crow 「Real Gone」なんかは、最近また聴きなおして懐かしさに浸っちゃっている曲である。カッコいいなあシェリルクロウ。

両親ともに好きなのが、UNICORN。母は、奥田民生はどうしてこんな音の並びが思いつくんだろうねえ、としみじみ語っていた。父は奥田民生氏を「民生」と呼び捨てにしていて、「大迷惑」って曲が有名なんだよー、と教えてくれた。
ブルハと洋楽にはそんなに積極的にハマらなかったのに対して、このUNICORNは私も大好きである。子どもに聞かせるにはちょっと反対意見が出そうな歌詞もまあ、あるにはあるが、意味なんてわかっていなかったのでいいだろう。初めのほうで「懐かしい曲を久々に聴くと笑っちゃう」と書いたが、私が一番笑っちゃったのはUNICORN「ライジングボール」を聴いたときであった。キッチンで皿を洗いながらこれを10年ぶりくらいに聴いて、嘘でしょ、知ってるんだけど、これ聞いたことあるんだけど、と笑ってしまった。またいい曲なのだ、広い空をどこまでも飛んで行けそうな気がしてくる。ちなみに、私の姉はそんなに両親の流す音楽に興味がなさそうだったが、唯一UNCORNの「人生は上々だ」はお気に入りだと言っていた。めちゃくちゃでおもしろい曲だからかもしれない。
奥田民生氏のソロの曲もよく聴いた。私が初めて歌詞カードを見て歌詞を覚えた邦楽は奥田民生「イージュー★ライダー」である。クライマックスの「僕らは自由を 僕らは青春を」から後の歌詞を、「〜を」ばかりで紛らわしいけどだからこそ覚えたい、と頑張って記憶した。
余談だが、先日奥田民生のアルバム「股旅」を聴いていたとき、リリースが1998年だというのを初めて知ってたまげた。音楽って廃れないから、凄い。

たぶんもっと、忘れてしまった曲はあるのだろうと思う。でももう忘れてしまっているから、思い出すことはできない。少し悔しいが、素晴らしい音楽をこんなにもたくさん、自然に教えてくれるようなひとたちが私の両親で、本当によかったと思う。おかげさまで、私のプレイリストは今日もびたびたに潤っている。

ついでに、よく車で流れていたラジオも書いておくと、「福山雅治のSUZUKI Talking F.M.」(今は名前が変わって「福山雅治 福のラジオ」と言うらしい)。それからラジオドラマ「NISSAN あ、安部礼司〜BEYOND THE AVERAGE」。安部礼司に至っては番組タイトルを読み上げる安部礼司の声のトーンや口調まで鮮明に覚えている。安部礼司を幼い頃から聞いていたので「あべれいじ」を本当にただの人の名前だと思っていて、SLAM DUNKの豊玉戦で湘北のベンチの子たちが板倉の平均得点(=アベレージ)に驚いているところで、「アベレージ」の本当の意味を知ったのだ、私。(わかんない人、ごめんなさい) 安部礼司覚えてる人、同世代にいるのかな〜。私はちょっと前にTwitterで安部礼司の名前を見て、「安部礼司ってあの安部礼司?!」ってそれこそ大笑いしたんだけど。

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