見出し画像

マンハッタンとクロワッサン

マンハッタンとクロワッサン 第1話

セクション1

私の名はクロワッサン。
ドーナツ王国の第一皇女、クロワッサン=サンジェルノ=ラ=ドーナツ
民は、私を王国の三日月姫と呼んでいる。

その夜、私は王城を抜け出した。お付きの従者モルドーとともに。
簡単に言えば、公務、公務の忙しい日々に、飽き飽きしての行動だった。
もっと外の世界を見たかった。
物語の勇者のように、といったら笑われるだろうか。
朝を取り戻した国父ドーナツ王のように、妻ディアフレーズを連れて。
それから100年の月日が流れる。
街は栄え、国家が築かれ、ドーナツ王国は小国なりに発展した。

伝説の中で、国父は龍神に出会ったという。その龍神に会ってみたいと、幼少の私は憧れた。
力強き、炎の龍。
世界を統べる7つの龍神のひと柱。
その存在を伝承で聞くたび、私の心は軽やかに踊る。会ってみたいと、恋焦がれる。
その熱意を明かすたび、従者たちは戸惑うのだ。
贅沢な暮らしに慣れた姫さまには、旅すら無理な話でしょうと。
今夜は王国の生誕祭。
夜明けの祭りの中、ドレスを捨てた私は、モルドー爺の用意した村娘の服に着替え、城を抜け出した。

そして、モルドー爺とはぐれた私は後悔している。町外れで待ち構えていた野盗に、私はひとり囲まれてしまったからだ。

セクション2

猛々しい黒い鎧の彼にであったのは、そんな時だった。
雷鳴と共に現れたその彼は、夜盗をたちまちの間に振り払った。
お姫様を助けたその騎士が私を振り返る。
まるでおとぎ話のようではないか。

黒騎士との恋愛が始まるのだろうかと思った期待感は、すぐさま打ち砕かれた。騎士が小手を外した右の手のひらでぴしゃりと私の頬を叩いたのだ。
皇女の私の左頬を。
思わず「何を無礼な」と私は抗議した。
兜を脱いだ彼の顔は怒っていた。
「無礼も何もないだろう。こんな夜更けに何している。大人しく街へ帰れ」
そうか、彼は私が皇女だとわからないのだ。今の私はドレスも王冠も着ていないから。
「帰らない」と私は意地を張った。
今頃、王城は大混乱だろう。何せ、姫が出奔したのだ。今更、帰れない。
貴族言葉をあらためて、御伽話でしか知らない村娘のふりをした。
「騎士様、どうか私をお救いください」と頼んでみる。
「断る。家出娘の世話などまっぴらだ」二言目が、傲慢な言葉。
なんなんだ、このわからずやは。と私は、歯噛みした。
とはいえ、夜盗から逃げたこの場所は、明らかに物騒な森だった。 
武装の一つもしていない私が、ここで生き延びるには彼に頼らざるを得ない。

黒騎士は軍馬を連れていたが、どうやら野宿をするつもりのようだ。
「俺はマンハッタン。お前の名は?」
「我・・・いや私の名前は、クロワッサンよ」と自己紹介をする。
焚き火を囲むその騎士・・・マンハッタンが何かを放ってよこした。
質素な堅いビスケットと甘いコーヒーの入った水筒だった。
ささやかな夕食を無言で済ませた私は、生まれてはじめて地面の上で泥のように眠った。
焚き火の温もりが、心細い私の胸を包み込んでいた。

セクション3

夢の中で私は、兄様を思い出した。顔も姿も名前も知らない、私の半身。
私は双子の片割れだ。
同時に生まれたわたしたちは、公国に災いをもたらす忌み子とされた。しきたり通り、兄は里子に出されることになった。
そんな兄がなぜか今、愛おしい。今頃どこでどうしているんだろうか?

「起きろ。ちょっとまずいことになったようだ」
早朝、マンハッタンに叩き起こされた。
私はこれでも姫だ。それなりの対応を望みたい。
そんな私の憤りはよそに、伝書鳩から帰ってきた手紙を読んだマンハッタン。
「行くぞ。馬の後ろに乗れ」
言われるまま乗った馬の背、振り落とされないように力強くしっかりとマンハッタンにしがみつく私。
進路は王都。
「何してんのよ!街には戻らないって!」
マンハッタンが顔を曇らせる。
彼が放った次の言葉に私は絶句した。
「王都でクーデターが起きたんだ」

街の関所に多くの人が溢れていた。戦火から、逃げ惑う人々だった。
マンハッタンは馬にくくりつけていたバルハードを片手に、その人の群れも物ともせずに飛び越えた。
厚い背中が頼もしい。
こう昼間の姿を見ると、恋にも落ちそうな精悍な横顔だ。歳は、私と同じくらいか。いや、やや上か。
じっと見ていた私の視線に、マンハッタンが振り返る。
「おい、軍馬が悲鳴を上げてるぞ。少し太り過ぎじゃないのか?」
その言葉に100年の恋が一瞬で覚めた。
この男は、絶対、恋愛できない、恋しない。無理、無茶、無神経。ぐちぐちと心の中で彼をののしる。

気がつけば、戦火の中を走っていた。
バルハードを振り回し、マンハッタンは襲撃者を薙ぎ倒していく。クーデターだということは、王城を占拠する人がいるということだ。
「王城はどっちだ?」
「その道を右よ」
「わかった」
マンハッタンの乗った軍馬は、たちまちのうちに人を飛び越える。
きっと、周囲からは異質に見えていたに違いない。
マンハッタンは強かった。
その姿は無類の戦士だ。百戦錬磨は、比喩ではなかった。

たちまち、軍馬は城門にたどり着いた。

セクション4

私は、おかしいと思った。
これだけ、強い戦士をみたことがなかった。
この黒騎士・・・只者ではない、と今更気づいた。

王城での戦火を時に薙ぎ倒し、時に潜り抜け、謁見の前に向かって駆け抜ける。
謁見の間に辿りついた時、一瞬の時が止まった。
国王陛下と一部の護衛たちが、なんとか踏みとどまっていたところだった。
周囲からの視線が私たち2人に集まった。
「何者だ!」
王座に詰め寄っていたのは、私の逃亡に手を貸した従者のモルドーだった。
そうか。と気づいた。
この男が私を騙して、クーデターを主導したのだ。
複数の兵士たちが私たちをとりまく。
王国屈強の戦士たち。モルドーは軍部も巻き込んだのか。
「おい。力を貸せ」
マンハッタンが私の手をとった。
「名乗りを上げるぞ。いいか?」
有無を言わさず、マンハッタンが私の手を取る。そして、高らかに声を張り上げた。

「我が名は、希望の騎士。炎の龍の使いにて、玉座を守る者。
自らの手で希望を果たし、伝承を学び、法を行使し、民を守る黒曜の騎士」

騎士の名乗りに驚いた。私はこの対句を知っていた。
それが、私の存在理由。姫として、私もとなりに並ぶ。
今、このとき、私はどうしても名乗らなくてはいけなかった。

「我が名は、三日月姫。慈愛の精霊の使いにて、正当なる血脈を守る者。知恵を司り、国を癒す白衣の賢者」

マンハッタンと私はぴたりと呼吸を合わせる。

『夜明けの誓いを果たすため、我らは再びこの世界を希望で満たそう!』

セクション5

私の好きな王妃ティアフレーズは伝説を語り継ぐ妖精だった。実は彼女は子孫たちのために多くの口伝を残している。
私はこれを母から、童話という形で受け継いだ。大人になって兄と再会できたら、共に力を合わせて、この国を守りなさい、と教えられた。
マンハッタンの宣言は、まさに、その口伝の一節だった。つまり彼は。

考えるまもなく、軍部の兵士たちが一斉に私たち2人に襲い掛かった。
私たちは馬から飛び降りる。マンハッタンが槍で薙ぎ倒し、道を作る。
私たちはなんとか、国王陛下の元に駆け寄った。歩きにくい服装でつまづいたのだろうか。何ヵ所か浅いすり傷はあるが無事だ。
「国王陛下」
とっさに、言葉がついて出た。
今のこの状況では、マンハッタンは十分に力を発揮できていない。その事に気づいたからだった。
「彼に抜剣の許可をお与えください」
「うむ、、、わかった」
列強の兵士たちが一気に詰め寄る。
「マンハッタン!思いっきりやって」
うなづくや否や、黒曜の騎士が剣を抜く。
雷鳴が轟き、稲妻が奔った。
初めて私を夜盗から救った時と同じ電撃が部屋全体に轟いた。

セクション6

騒動から、かれこれ1週間が経った頃。
マンハッタンと私は馬上の人になっていた。
結論から言うと、クーデターは失敗に終わった。王城のほとんどの人間が行動不能になった結果、別部署から駆けつけた衛兵たちによって、首謀者たちはあっけなく牢獄に送られた。
「おい、おてんば娘」
マンハッタンが私を呼ぶ。「やっぱりあれは、やりすぎだったんじゃないか?」
マンハッタンは王城でのあの騒ぎの際、電撃で私と陛下以外の全員の意識を奪ったのだ。敵味方問わず全員の。
「気にしないで、私は昔から魔術が効かない体質だから。もちろん、陛下は私が守ったから無事だし」
「おかげで俺は、隣国へ3年間追放される羽目になったんだが」
ため息をつくマンハッタン。
「名目は私の長期留学の護衛を命じられたのよね?」
ポカポカと陽光が降り注いでいる。
流石に今回は村娘の格好ではないが、きちんとした旅姿で私は白馬を駆っている。
留学先は、友好国のひとつ、南国のサウスバード。皇女としての立場を隠しての留学だ。

護衛はマンハッタン以外は現地の人に依頼してある手筈。
つまり、サウスバードまでは2人きりの旅路。晴れて念願の公務からの解放、という事になる。
「お願いだから、羽目を外すんじゃないぞ」
「もちろんよっ♪」
そう元気に答えておいて、私はちらりとマンハッタンを見る。
それに3年もあれば、生まれてから離れ離れの兄妹の溝も、少しは埋められるかもしれないしね。

さあ、いよいよ旅が始まるんだ。

ちらりとのぞきみた兄の顔も、言葉裏腹、弾んでいるように見えた

(つづく)


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?