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スーパー戦隊を浴びたい

 最近「なんでスーパー戦隊が好きなの?」と聞かれることが多い。そりゃそうだと思う。だけどどう答えてもお互いに納得いくやりとりになっていないことが多い。なので自分の中で今一度「自分がなんでスーパー戦隊を好きなのか」についてまとめておこうと思ったのがこの文章を書こうと思ったきっかけである。

 まず、一番勘違いしてほしくない部分として言っておきたいのは、基本的には素面俳優には興味がない。ものの、嫌いな演技、私の中での通称「レッド演技」(暑苦しい感じ)は見る気を削がれる。仮面ライダーのように本格的な演技はいらない。子供向けの大きな演技とコミカルさが大事。戦隊ものでデビューする俳優さんも多いので、その成長を1年かけて見届けるのも戦隊オタクの使命。

 やっぱり戦隊モノを観る上で一番注目したいのは「スーツアクター」通称「スーアク」。なぜなら「スタントマン」「俳優」「モデル」一人で3人分の職能を有していながら表に出ないその奥ゆかしさとそのかっこよさたるや。絶対に世に伝えていきたい。だって一度考えてみるといい。あの誰が着たってかっこ悪い、どこに出しても恥ずかしい、「戦隊スーツ」という名の「全身タイツ」を着てなんであんなにかっこよくなるのか(特に獣拳戦隊ゲキレンジャーは腰ベルトが無いため本当に全身タイツ)。

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あれはスタイルが良くないと着こなせない。かといって素面俳優と大きく差があってはいけないので筋肉モリモリでもだめだし、ひょろひょろではスーツが余ってかっこ悪い。肩幅は広く胸板は厚く、腰と足は太すぎず、本当に絶妙なバランスを保たなければいけないのだ。
そしてそのうえで演技をしなければならない。これが本つつつつつ当にすごいし特殊技能!!!!喋らない(実際の撮影では喋っている)し顔も見えないのにどうやって演技するの?せいぜいテーマパークの着ぐるみのような演技しかできないのではないか。普通の人はそう思うだろう。


 ではここで最も私の愛する海賊戦隊ゴーカイジャーを例に解説してみたいと思う。「ゴーカイレッド」のスーアクは現・アクション監督の伝説のスーアク福沢博文さんが演じている。私が福沢さんを通してゴーカイレッドに惚れた理由。それは「立ち方」だ。

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話すと長くなるので割愛するが、ゴーカイジャーはそもそも“地球を救いにきていない”。よって悪と戦っている時も地球のために戦っているわけじゃない。特にその先頭をいく船長であるゴーカイレッドは一番その思いが強く、だから何をするにも基本力が抜けている。要するに立つときは基本片足重心。戦うときはほぼノーモーション。銃を撃つときも決して振りかぶらない。この力の抜き加減がゴーカイレッドの色気へと繋がり、「立っているだけでかっこいい」と世間に言わしめた福沢さんの演技なのである。

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 福沢さんの名前を出したのならばこの方のお名前を出さないわけにはいかない。ゴーカイグリーンを演じ、現行戦隊のゼンカイジャーではレッドのジュランを演じている竹内康博さんである。竹内さんがすごいのは先ほどの福沢さんが設定を深めていく演技だとしたら、竹内さんは設定を作っていく演技であるところだ。竹内さんの演技は「え?こいつってこんなキャラだったんだ!」ってアクションと演技でわからせにくる。その竹内さんの演技に引っ張られるようにして俳優がそっちに寄せていくというケースも少なくない。つまりそのキャラに関する竹内さんの解釈こそがそのキャラの解釈になる。特にゴーカイグリーンの竹内さんの演技、この「手汗を拭く名乗り」は戦隊オタクの中でも有名である。

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あのトリッキーな戦い方はゴーカイグリーンの変身前、ドン・ドッコイヤーのキャラに深みと新たな一面を持たせた。あれは竹内さんでなければできなかったと思う。


 あともうひとつ演技という部分で触れておきたいのが、ポージング。これも普通のスタントマンでは専門外の領域となる。ポージングでいえば、若手スーアクの浅井宏輔さん、伊藤茂樹さんが素晴らしい。「なんでマントのひらめきまで操れるの!?!?」と浅井さんのルパンレッドを見る度不思議に思う。

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また、指の開き方など爪の先まで演技していらっしゃるのが伝わってきて本当に尊い。そういう意味でスーアクはマスクをしていても感情がわかるし、性格がわかるし、表情まで見える。世界には色々な職業があれど、こんなにすごくてどこまでも表現にこだわる職種があるだろうか。ぜひスーアクさんには国からなんらかの補助が出てほしい。スーアクのアクション部分についてはただかっこよさでボコボコにされるのみ!という感じなので割愛。

 次に戦隊もののスピリッツの話をしよう。私がよく話す話でこんな話がある。平成最後の戦隊「騎士竜戦隊リュウソウジャー」、そのリュウソウジャーの中でのレッドのコウの台詞、「限界は超えるためにある」。そして翌年、令和初の戦隊は「魔進戦隊キラメイジャー」だった。キラメイジャーの中でレッドの充瑠はこう言っている。「限界は超えないためにある」と。このように朝令暮改とまではいかないが、戦隊は常にアップデートされ、子供たちに伝えたいメッセージもその時代、価値観や環境によって変容していくのだ。ヒーローの在り方や正義について描いていると思いきや、戦隊ものは人間を描いているのである。ただ私にここでひとつ提言させて頂きたい。戦隊ものは子供へのメッセージを伝えることを一番に考えているわけではないと。

戦隊ものは、、、戦隊ものは、、、どこまでいってもバンダイのCMに過ぎないのである!!!!!!

これは一見すると悪く見えるかもしれない。だがこの事実こそがちんけな教育番組になり下がらない、どこまでもエンターテイメントを追求した作品となる原動力となっているのである。そんな番組他にないから!戦隊ものは視聴率も大事だがそれと同じくらいにおもちゃの売れ行きも大事な指標となる。したがってどこまでいってもビジネスが付きまとうのだが、その中でエンターテイメントを成立させているのが本当に素晴らしいじゃないか。戦隊ものを見ていて本当に思うのが、「これから後の世代にアイデアの一滴だって残してやるものか!」という意気込みである。

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本当のところはもちろんわからないが、思いついたアイデアをすべて無理やりにでもねじ込んでくる感じ、「今年で最後だ!」と言わんばかりの全部乗せ。これを毎年やってくるのがすごい。だからいつまでも戦隊は新しいし面白いし常に鮮度がある。そのスピリッツこそが私の心をつかんで離さない。あなたたちの考えたその設定、デザイン、演技、カメラワーク、すべてのこだわりを私は享受したい。

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戦隊ものの魅力についてごちゃごちゃと長々書いてしまったが、今年夏に放映された映画「スーパーヒーロー戦記」で改めて悪の組織に「ヒーローなんかになんの意味がある」と問われたときのゼンカイジャーの主人公、介人の答え、「意味が無かったら、こんなに続くわけないじゃん!」のそのバカみたいな一言に尽きるのである。あの映画は石ノ森章太郎へのラブレターなんだよ。だからこそ石ノ森先生が残してくれた「スーパー戦隊」という愛ある宝物を私は全身で浴びたい。

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