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子どもとの距離感


離れてほしいと思えば思うほど
まとわりついてくる我が子
泣き声は大きくなりやまない
顔に胸元にお腹の上に
容赦なく襲いかかってくる
抱き抱えれば
胸元も手元も足元も
何も見えない
私の身体は一体どこからどこまでか?
境目はどこにあるのか
肌がつながって
切り離すことができない存在

2017.2.12

息子が一歳になる前に書いた詩。
赤ちゃんの時からいわゆる"背中スイッチ"(寝たと思ってベットに寝かせると背中スイッチが発動して、すぐに起きちゃう)があって、抱っこのまま寝かせることになり、昼寝中もずっとくっついていた。結構しんどかったし、ひとりでコロンって寝てる赤ちゃんがうらやましかった。
あの頃、この詩を書いて、あぁ考えてみれば乳児期ももうすぐ終わるんだ。やがてこの肌から離れていくんだ。今しかない時間なんだ。
ってちょっとプラスに捉えることもできた。

あれから4年。
息子は未だにくっつきむし。
座ってても膝の上にすぐに乗ってくるし、寝転んでてもお腹の上、背中の上に容赦なく乗ってくる。

私の考えでは、子どもって満たされて安心できたら自分から離れていくものって思ってた。だから、いつまでもくっついて離れていかないのは、私が満たしてあげれてないんだ、愛情が足りないんじゃないかなんて思ったりもしてた。でもどうしていいのかわからなかった。

だけど、最近ある人に、息子のタイプ的に、「自分からは離れていかないよ」って言われた。肌がくっついてることで安心するタイプ。だからいつまでもくっついてるって。時々尻叩かないと、いつまでもくっついてるって。(尻叩く、は実際に叩くんじゃなくて、比喩ね)
目からウロコだった。あ、そうなん?でも、なんか妙に納得。おっぱいやめるときも、抱っこも、本人が自分から離れるまでって思ってたけど、なかなかで、結局は2歳過ぎに断乳、抱っこもスキンシップではするけど、歩きたくないから抱っこっていうのは4歳になったらやめよう(ていうか、体力的に無理だった)ってこっちが区切りをつけた。まぁ賛否両論あるかもしれないし、何が正解かなんてわからないけど、未だにひっつきむしなのが、ただくっついていたいだけなんやって思ったらなんか楽になった。触り心地のいいものずっと触っていたいみたいな感覚。ただそれだけ。私の接し方とか愛情不足とかって思わなくてもいいのかなって思えた。自分の不足感とか自信のなさみたいなものをくっつけて考えてしまうから苦しくなる。

母親が仕事や用事で出かける時に「行かないで」と泣かれると、置いて行く時にものすごく罪悪感があるとかも同じで、自分の感情をくっつけてしまっているんだよねぇっていうのも同じ人から学ばせてもらった。大事なことは、信頼。母親じゃないとダメなんだっていうのではなく、母親じゃなくてもこの子は大丈夫っていう信頼。自分の感情にちゃんと境界線をひいて子どもに接すると、子どもの反応もすごく軽くてスムーズ。まぁ自分のことってなかなかわからないから、自分で勝手に苦しんでるとこもあるんだなと思う。

自分の感情が一番浮き彫りになる相手が、実は自分自身の鏡とも言われる。でもそれは気づきのチャンスでもあり、成長のチャンスでもある。その時の問題(と思ってるだけだけど)に対してベクトル(矢印)を相手じゃなく自分に向けることで、本当の問題は自分の中にあるとわかる。でも、それに気づいたら、自分の中にあった無意識的なネガティブな感情を昇華させることができる。そうしたら、自分の心の中がひとつ平和に近づき、前よりも穏やかになる。子どもやパートナーとか親とか一番感情的になる人にこそ、自分を成長させてくれるタネがしかけられてるんだなぁと思う。
気づかせてくれてありがとう。

まだまだ成長の過程。いい感じ〜と思ってたら次の日にまた急にアレー?ってなったりもする。でもまぁそういうもんなんだろうな。
これでよしとしよう。

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