ネットにいる神様、インターネットの今と昔
インターネットの今と昔の話
今のインターネットは欲しい情報を得るために特定の個人と繋がらなきゃいけなかったり、お金や時間やファン活動といった対価を支払わないといけなくなったなと思います、それがいいのか悪いのか、そこまではわかりませんがお金や数字に赴くようになって、本音は聞きづらくなった気がします
個人的な感想を言葉を借りて言えば尊敬する作家のルグインは言っていました。大衆に追随したら大衆文化は死んでしまうと……
昔は神様はネットにいる!みたいな冗談めいた言い方をされるくらいに欲しい情報が無料で誰でもアクセスできる状態で手に入りました
煽りや誹謗中傷、デマといった今にも繋がる問題もありましたが匿名で誰もがペルソナを被っている分平等で、またSNSが未発達ゆえの個人サイトでの熱のあるいい意味で個人的な他人に赴かない批評や情報配信がありました、まあ今思うと玉石混合だったとも思います、でも熱は確かにありましたね
名無しの人間が熱のある活動をしていたり、いい仕事をしている。いい言葉を書いている。それがこの国の教養と文化レベルの高さにつながっていると思っていましたし、個人的に自分が好きだなと思えることでした
他の人が自分の好きなマイナーな漫画を応援しているのをみて無性に嬉しくなったり、掲示板でコアなファン同士で語り合うことが出来たのも昔のネット文化だったなと思います
今のネットにもいいところはあって、子供の頃からずっと応援していた漫画家や作家の先生とネットを通して直接言葉を交わせたりできるのはとくに昔にはない、いいなと思うところです。自分なんかは恐縮してめったに言葉をかけませんが、近況を知れるだけでとても嬉しいです
こうやって知り合いに読んでもらうためのニュースペーパーじみたことをやり始めたのもネットを通じて人と知り合ったからです
予断ですが好きな作り手の人、作家の人がfacebookをやっていて昔は繋がってなくても読んだ本の感想や近況を読むことが出来たのですが、今は繋がっていないと見れなくなってしまいました。とても辛い……お金を払っても見たかったです。強く無力感を覚えました。繋がりがないと情報の得られない時代になったなとつくづく感じました。インターネットは閉じたセカイを求めている気がします
最後に
みんながみんなが人生の成功者じゃないし、自己肯定感マシマシでもない、発信できる有益な情報なんてない、自分は空っぽなんだ、そう、思う人もいると思います、まあ自分もそうなんですけど、そういう人なんかは今のネット文化は居づらいなと思う人もいると思います
でも、今みたいにお金や数字の理論がはいったからその分野で成功を収めて今のネット様さまだと思う人もいると思います
何より簡単に言葉を発信できるようになった分、目に見えない誠実さや、理性による歯止め、思いやり、共感が問われている気もします
美味しんぼの山岡じゃないけど気持ちを伝えることが簡単に思えて1番難しいなといつも思います
皆さんはどう思いますか、次はまた何か好きな事を書いていきたいと思います
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