見出し画像

新美南吉『鳥右ヱ門諸国をめぐる』レビュー

このところ青空文庫で新美南吉作品をコツコツと読み、一作ずつメモを取っていくという地味~な作業を続けております。
この『鳥右ヱ門諸国をめぐる』は南吉作品の中ではかなり異色ではないかと思い、レビューを書いてみる気になりました。ネタバレには注意しますが、読んでみようと思われる方はご注意下さい。

あらすじ
鳥山鳥右ヱ門はしもべの平次を快く思っていなかった。好きな犬追物をする鳥右ヱ門を見る平次の目が鋭く、咎めるように心を刺してくるから。鳥右ヱ門は視線に耐え切れず、平次の右目を矢で潰してしまう。
七年後、鳥右ヱ門は渡し舟から一矢で二羽の鷺を仕留める。称賛の声が上がる中、船頭だけが非難の言葉を投げかける。船頭は平次だった。鳥右衛門は怒り、平次の左目も矢で潰してしまう。平次はこう言ったのです。

そんなことがえらいものか。人のためになることをしてこそえらいといわれるもんさ。

新美南吉『鳥右ヱ門諸国をめぐる』

この言葉が鳥右ヱ門の頭から離れなくなり、正しい生き方とは? 人のためになることとは? と悩み、自らを省みて、家族を捨て旅に出るという決断をする。職を転々とし、やがてある村の小さな寺の坊主となって名を鳥右ちょううと改める。坊主になる時の村人とのやりとりは、この重い話にあって少しユーモアが感じられます。
村のために一生懸命頑張り、尊敬されるようになってきた鳥右。自分でも正しい生き方をしていると思えるようになった。これで物語が終わるのかと思いきや……
寺に鐘を作ろうということになり、鳥右は喜捨を求める旅にでます。八年かかってやっと十分な金が集まった。きっと村人も喜んでくれる。そんな思いで村へ急ぐ道中で彼は、喜捨の旅の始めの頃、自分によくしてくれた村が大水に襲われ、村人が苦労していることを知る。
鐘を作るべきか。困っている村のために金を使うべきか。
ここでの選択が結果的に彼を苛み、心を蝕んでいきます。平次とも再会し、また彼は冷たい笑いを浮かべて、目のない顏を鳥右に向けます。

わしのやったことが間違っていたとぬかすのじゃろう。~貴様を見たとたんに分かったわい。わしは~やり方が間違っていたのだ。
                     (抜粋 原文は旧かな遣い)

新美南吉『鳥右ヱ門諸国をめぐる』

平次と再会し、冷たい笑みをみたことで、自分なりに正しいと下した決断が誤りであったことを目の当たりにしたんでしょうか。鳥右の心の中にあった後悔が絶望に変わってしまったんでしょうか。この後、物語は救いのない終わり方をします。
無益な殺生を繰り返し、平次への仕打ちも残酷でしたが、鳥右ヱ門という男は良心の呵責に苦しんだり、正しい生き方を求めたりと根っからの悪人ではないので、読んでいて応援したくなるんですよね。彼が下した決断も間違っていると言ってしまったらちょっと気の毒にも思います。最後は酷だな、僕はそう思いました。

この作品の元ネタは怪談『利根の渡』でしょうか? 目を潰される下男と平次がかぶります。ただ怪談のストーリーが下男視点の執念を感じさせる陰惨な話なのに対し、こちらの視点は鳥右ヱ門にあり、読後感も違います。元ネタからの話作りなど学ぶべきところのある作品と思いました。


この記事が参加している募集

読書感想文

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?