実家じまいと、バランス感覚の大切さ、難しさ
最近私が何かと目にしているのが、空き家問題だとか、「負」動産だとか、実家じまいとかいう話である。
この世が成熟した結果として、少子高齢化社会が進み、近年、上記の問題が勃発している。
こういう、「自分でコントロールができない事象」のせいで発生した問題や課題に、人々は対処していかなければならない。
生まれるとは、生きるとは、本当に酷なことである。
そういう私の一族も、この問題に直面しているところを、うまく親族で乗り切って、なんとか早めに解決の糸口を見つけたところである。
私の父方(A家、仮に、「阿久津家」とする、以下同じ)と、私の母方(B家、仮に、「馬場家」とする、以下同じ)には、父の実家と、母の実家がある。
私の、祖父母にあたる人間の持ち家である。
阿久津家の、それより上の世代の家は、どうしたのかわからないが(今はない)、馬場家のそれより上の世代の家は、それぞれの直系卑属の人たちが代々居住していた。
しかし、馬場家の人々の家は、私の母の実家をのぞいて、すべて3.11の津波で流されたので、もうない。
これらの、私から見た、祖父母の家の、実家問題に、私が直面したのが、今から1年前、2023年の初めである。
阿久津家も、馬場家も、違う県でありながら、たまたま、同じ問題に直面したのが、同じタイミングであったので、あれこれ同時に進行した。
・どちらの家も、私の祖父の名義で、実家(土地と建物)がのこされていた。
・どちらの家も、祖父は昔に亡くなっていて、祖母が現在高齢ながら施設暮らしで生きているが、軽く認知症が始まって、現在進行中である。
・どちらの家も、長子は、私の父と、私の母である。
・どちらの家も、私の祖父の相続人にあたる人間は、祖父の配偶者と子2人である。
・私の父と私の母の長子は、私である。
そういうわけで、私も両家の家の整理の手伝いをはじめたのが1年前であった。
1年前、5年ぶりくらいに実家に帰ったら、両親はすっかりおじいじゃんおばあちゃんの風貌になっていたっけ(ということは、私もすっかり40歳中年おばさんの風貌になってしまったということである)。
※そのときに、私の弟がもう実家の自室にて、何年も引きこもりをやっていて、外に出てこなくなったという家庭内問題が発生していたのは、また別の話題である。
私は、かつての職業が、弁護士事務所の事務職員だったので、あれこれ資料をそろえたり、東京で専門家の先生の無料相談を予約して、そこで整理した知識を紙にまとめて、両親におくっていたりした(相続登記や相続税や、未登記建物の処理について。あるいは必要な登記事項証明書)。
しかし、私は相続人ではなく、両家の相続人は、私の両親なので、特になにかを指示したりということはないし、両親の意向のみで、両親は手続きを進めた。
ただ、いろんな専門家の先生に、「当事者に認知症が進行しそうな人がいるなら、一刻も早く」という話は共通でされていたので、それだけは強要しない程度に、私から積極的に話すようにした。
結果として、馬場家の実家は、私の母の弟(私のおじ)が相続することになり、司法書士の先生に依頼して、相続登記まで無事に完了した。
その後の家の片付けは、母やおじが定期的に訪問してやっているはず。
片づけたら後、どうするのは、おじに委ねられているが、祖母が生きている間は、売却や取り壊しはしないで、おじが片付けやメンテナンスやカスタマイズをするのだと思う。
祖母が亡くなった後はどうなるのかわからないが、おじの家になったので、その後の判断はおじに委ねられた、無事解決(なぜか関係ない私だったが、馬場家から、お世話になったからとお小遣いをもらった、ありがとう)。
予定外のパラダイムシフトがおこったのが、阿久津家の実家のほうである。
実は、阿久津家の場合、私の祖父の、孫にあたる人間が、私と、私の弟しかいない。さらに、私と、私の弟の下の世代には、誰も人間がいない。これが馬場家との大きな違いである。
馬場家には、私の祖父の、孫にあたる人間が、私の他にも複数人いる。しかも、私の祖父の、玄孫にあたる人間まで、複数人いる。
馬場家の一族は、皆そろって、結婚と出産が異様に早いという家系である。
だいたい20歳前後で結婚出産している。23歳で結婚、24歳で出産した私の母は、馬場家の中でも比較的遅いほうに入ってしまう。
一方の阿久津家は、まず、私の祖父母の下に、子どもが二人いる。うち一人は私の父である。もう一人は私のおじであるが、私のおじには子どもがいない。
私の父と母には、子どもが二人いる。私と私の弟である。私と私の弟は独身(アラフォー無職)である。
阿久津家の一族は、私の直系についてだけみれば、全員晩婚か、未婚である。
例外は私の父だけで、私の父は、20代で結婚して家庭をもった、稀有な人物だ。
ここだけの話であるが、私の父は、阿久津家の中で一番昭和気質の人間であったが、一番陰キャでもあった。正直なところ、結婚してないけない人間であったような気もする。
私の遺伝子の主流は、阿久津家のほうなのだと思う。顔も、性格も、スキルも、よく「(阿久津家の)じいさんにそっくりだ」と言われて育っていて、それが現在進行中である。
私の遺伝子の主流が馬場家だったら、容姿は誰よりも優れて生まれて、人間としての能力も高く、性格も穏やかで、海のある街で海に関係のある仕事をして暮らし、すぐに結婚もできただろう。
前置きが長くなってしまったが、阿久津家は、相続人と、その直系卑属が少ない、ということもあって、事実上、家は、私の父と、私のおじの二人のみで、自由にできる状態であった。
その二人が、10年以上空き家になっていた阿久津家の実家を、精神崩壊して経済的に東京で一人で暮らせなくなってしまった私に、「無料で貸してあげる、何なら、ずっと住んでいいぞ」と言ってくれた、いう流れ。施設で暮らしている祖母も、それを歓迎していた。
そして私が移住したのが、4か月前の11月末。
ここから、阿久津家の「実家じまい」というか、「実家はじめ」というべきか「実家再開」?が、私の手で始まった。
これで、阿久津家も今現在できることは、解決にいたった(祖母が亡くなった後のあれこれの手続きの話はまた別として)。
私の両親の実家じまい(正確には、しめていないが)の、根幹の大きな部分は、これで終わったのである。
私の両親が終わらせたということは、次は、私が始めなくてはいけない。なかなか責任重大な重労働をもらってしまったが、ホームレスになりそうにだったところに、住む場所を与えられたことに感謝し、がんばらなくてはいけない。
移住生活は、50年以上の家のものがそのまますべて残されている状態で始まった。
実は実家本体だけでなく、巨大な倉のような物置や、隣接する空き家(ひとつ前の阿久津家の実家だったらしい、これも物置として現在使われている)にまで、物が大量にのこされていた。
そこには大量の不要品がもちろん含まれている。
私は、お金がない分、毎月、この家で家事手伝いをして、家賃の代わりにしていくことを決めた。
雪国なので、頻繁に降り積もる深い雪と、全てを凍らせてしまう寒さには本当に参ったが、それでも、この冬を乗り越えた(隣の住人のかたがたや、町内会の人たちがいうには、今年はかなり雪が少なかったらしい、これで少ないとは……来シーズン私は生き残れるのだろうか)。
最後に大雪が降ったのは2月末日。そこからまた氷点下が続いて、溶けずに残っていた雪だったが、3月後半に入って、やっと溶けだした。庭に、祖父が植えた花々が芽を出して咲き始めた。
一時停止していた大掃除や大物のゴミの処分もいよいよ再開である。
庭のあちこちには、チューリップ、クロッカス、水仙、あと名前の知らない草木と花々。こんなに植えられていたとは。
庭の整備もかなり重労働になりそうである。
家の中と外、あちこち、片づけていく。
YouTubeでも、片付けや掃除方法、収納方法なんかについてよく調べるものだから、断捨離とか、終活、捨て活、実家じまい、みたいなコンテンツがよく候補にあがってくるようになった。
そこで興味のあるものを再生してみたりするのだが……。
それでタイトルの話にやっと入る。
断捨離だとか、実家じまいと、バランス感覚の大切さとか難しさを日々実感する。
時間もお金もかかるものだが、なにより、「精神がかかる」。
無駄遣いしてはいけないものに、よく「時間」と「お金」はあげられるが、なぜ人々はそこに「精神」を加えないのだろうかと日々感じる。
大事なものは、時間やお金よりも、むしろ、精神ではないだろうか。
「精神」の無駄遣い、「精神」の損失は、時間やお金よりも、肉体への直接打撃の威力あきらかに他より大きすぎて、しかも、死に直結する。
命が、お金や時間よりも大事でないなら、まあいいのだけれども、そうそう命を粗末に扱うのは、現実的に難しい(たとえ、お金や時間のほうが命より大事と考えようとしたしても、死のうと思ったとしても、なかなか死ねないのが、私のこれまでの現実であった)。
たしかに、断捨離だとか、アルバムやらなんやら、死んだらゴミになるものは事前に全部捨ててしまうとか、何も持たないミニマリストとか、気分のいいものであるとは思う。
精神の安定にもつながりそうな気もする。
ただ、天井までゴミが高く積まれているだとか、相当な非常事態レベルではない限り、そこまで己と他人に厳しくしなくてもいいのではないか、という気もしているのである。
大量の残置物を残された子孫も、つらかったり、大変だったりするのはわかる。
でも、終活をやる人や、断捨離をやる人も、すべてを「使わないから今すぐ捨てるんだよ!!」ではなくて、「これは全部死んだら捨てていいもの」として、常識的な量を、わかるように仕分けておくだけでもいいのではないだろうか。
たまたまYouTubeのおすすめ動画出てきた、自称「断捨離アドバイザー」の人たちが、とにかく、パワハラっぽくて、圧がすごすぎて、一方的で、観ていてしんどかったし、全然気分がよくならなかった。
むしろ不愉快すぎた(しかも、何の参考にもならなかった)。
なんだろう、自分を刑務所の刑務官だと勘違いして、弱い立場というか、勝手に下に見ている在監者相手に鞭ぶんまわして、恐怖政治して、快感にいたってるのかな、この人たち。
権力とか暴力で人をいじめてスッキリしたい人たちなのかな。
まあ、「来てほしい」っていう人に依頼されてやってるんだから、外野の私が口出せることなんて何一つないのだけれども。
それでも、なにか、私の主観では、「断捨離アドバイザー」という人間が、ただ権力ごっこで、(暴)力を振りかざしたいだけの人たちに見えてしまってしかたなかった(客観はおそらく違うんだろうけれども)。
片付け業者さんの片付け風景とか接し方とか、整理収納アドバイザーの収納づくりとかは、観ていて気分がいいし、参考にもなるのだけれども。どちらも同じようなコンテンツのはずなのに、自分の主観がこうも違うリアクションをするのはなぜなのだろう。
多様性を受け入れてないと感じると、少ししんどくなるのかもしれない、私の場合。何事もいろんな要素をバランスよく保つことは大切だなと日々実感する。
もちろん、自分自身や他者に、今現在や将来に、大迷惑かけるような生活じゃ、いけないと思う。
でも、そういう「ある一定程度のライン」から、逸脱していないかぎりは、いいんじゃないかな。私はそんな気が今しているんだよね。
あと、「なにがなんでも自分一人で!すべてを始末する!」、って思わずとも、周りの人に、将来、負担にならない程度に少しだけ、協力をお願いすることだって、いいと思う。
数年前に、みうらじゅんさんの個展をみて、ふと思ったんだよ。
みうらじゅんさんは、ミニマリストの180度反対側を行く人というか、「マキシマリストの頂点」にいるような人。
自分の子どもの頃の落書きとか、何かのパッケージとか、古い雑誌とか、冷蔵庫にはる水道工事の広告マグネットとか、挙げればきりがないんだけれども、博物館とか資料館よりも、すごい物量のものを所有している人。
他人から見たら、すごく無駄なものをすべて残している人(でもすごく面白くて、生き方が唯一無二で、幸せそう)。
どういうことかというと、これとかみてほしい。
こういう人ですよね、みうらじゅんさんは。
私は昔からみうらじゅんさんが大好きで、トークライブとか何回も観に行ってるんだけれども。
改めて、はっとさせられたよ。
不寛容社会の末端にいた自分とか、多様性社会に生きているようでいて多数派社会に生きていた自分に気づいて。
オートマティカリーに「物が(少)ないこと」が「すべての100%の人間」に共通する絶対正義だと思っていないか。
もちろん、自分が選択して選んでいるとか、他の可能性を認識して、物の(少)ない生活にしたならいいと思う。
でも、何の疑問も持たずに検討もせずに多数派に属することとか、無意識のうちにやっていそうで、ふと怖くなったんだ。
こういう価値観もあるよ、こういう生き方もあるよ、世の中にはいろんな人が生きているんだよ、ということを無意識のうちに忘れてしまっている。
みうらじゅんさんは、それを思い出させてくれる。
もちろん、生活スペースがない人が、こういう物量を保有することはできないし、やってしまったら心身や命に支障がでる。そういう「限界ライン」は絶対に超えたらいけないけれどもさ。
お金や時間ではどうにもならない、「精神」「こころ」を少し大事にしようと振り返る習慣を作ってもいいじゃないかなと思った。
たとえば、阿久津家の実家にまるまる残された、50年超の家財たちの片づけを日々していて、「なんで必要のなクソデカタンスがこんなにたくさん?半分くらいは捨ててもいいのでは(将来場所や処分に困るのは私)」と私は主張する。
でも、「それはおばあちゃんの両親が手作りしてくれた一点もので、おばあちゃんも大事にしていた物。まだおばあちゃん元気だから置いておいてあげて」と父と母は止める。
最初は納得がいかない気持ちがあった。
でも、そもそもこの家の家主は私の祖母であって、私ではない。
そういう元々の所有権の話もあるが、とにかく、この家は広すぎて十分な空間があるんだ。
いいじゃないか、そんな家に、空っぽのクソデカタンスが5個も6個もあったって。
家も十分広いし、生活スペースも十分確保されているし、邪魔なんかじゃない。しかも、ここに住んでるのは私ひとりじゃないか。
中身もカラなんだから、いざとなったら、数年後、業者を呼ぶなり、自分で解体して運べばいいじゃないか。
まだ40歳で、よぼよぼで動けない老体とかではないんだから。
ゴミ屋敷でもなく、整然と片付いた空間で生活しているのだから、いいじゃないか、。
自分にも他人にも、今も近い将来にも、迷惑なんてかけてないから、いいじゃないか。
そんなことをふと思ったのだった。
そう考えると、一戸建ての場合、たいしてスペースも取らない卒業アルバム一冊を、捨てる一択で処分している人たちを断捨離関連の動画でよくみるが、なんか不寛容というか、アホらしいというか、視野が狭いというか、愚かに思えてきてしまった(もちろん、これのせいで精神がつらいだとか、必要と検討と吟味の結果、処分になったなら、問題ないとは思う)。
そんなものは、棚の一か所にこじんまりまとめて置いておいて、死ぬ間際に溶解処分に出せばいいじゃないか。五体満足なうちは、捨てることはいつでもできる。捨ててしまったら、時間やお金では返ってこないものは、より一層慎重になったほうがいい。
遺品整理のプロたちだって、片付け動画の中で、依頼者から言われなくても、残置物から、お金・貴重品と写真アルバムだけは、別によけて取っておいて、依頼者に返すじゃないか。
私も前に、小学生の頃の通知表を、かつての担任に、「いらないから」とあげたことがあった(先生は災害で家と全ての思い出を失った)。
今はもうベテラン管理職の先生が、20代新任教員だったころに、手書きで書いた文字だった。
しかし先生は「これは大切なものだから、絶対にあなたにお返ししなければならない」と、白髪交じりのかつての担任の先生が、わざわざ私に手渡しで返してきたことがあった。「中身はコピーをとったから、大丈夫」、と。
きっと写真とかアルバムとか、と同じ、そういう大事に扱わなければならないものだったんだと気づかされた。
死んだらゴミになるものは、そのときにゴミにすればいいじゃないか。
今はすぐ捨てられるように、きちんと仕分けて、まとめて、おいておく。
〇か月つかっていないから~、と、即あれこれなんでも捨ててしまうのは、それこそ、度が過ぎているのではないか。散らかってもいない家で、それを毎日のようにやっているのは、ある意味、別の方面で、限界ラインを超えていると感じる。
あまりにも度が過ぎている感覚が研ぎ澄まされていくと、どんどん人は不寛容になる。摩擦が起こる。
行き過ぎた結果、しまいには、どうせ将来ゴミになるなら全部捨てよう、の短絡回路から、どうせ死ぬなら最初人間生まれてこなければいいじゃないかとか、罪を犯す人間をクリエイトした親が一番悪いだとかという相当な因果関係を逸脱した飛躍思考になったり、
健康を目指しながら身体や精神を壊す命を失うとか、滑稽な本末転倒になったりすることも、もしかしたら、あるのかもしれない(ちなみに、「どうせ死ぬなら~」というのは、私が恒常的に抱えている思考である)。
何事もバランスというか、極端に一定方向に偏りがでないように、気を付けて生きていくことで、自分と他者の現在未来を大事にしたいものだけれども、無意識のうちに、どこかに一点集中したり、全振り状態になりがちなのが、私のナチュラルな思考回路である。
他の人も、もしかしたら、そうなのかもしれない。
偏りを出さない、とがらない、平凡、平均的と言うのは、なかなか評価されにくいような気が個人的にするし、避けたい気もするが、実は、一番、万人から必要とされるべき特性なのかもしれない。
そして、健康健全を求める人々が目指すべき姿なのかもしれない。
しかし、どうしても尖りたくなる私は、その境地を目指すのは、とても難しい。
今日も悩みながら、それでも、一歩ずつ着実に、「実家はじめ」を進めていく。(了)
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