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とある喫茶店で

夏の一大イベント夏合宿が終わった後の虚脱感と喪失感に包まれながら、他の会員が帰省したり友人と楽しそうに旅行や食事に出かけているインスタのストーリーを1人に自宅のエアコンが効いた部屋で眺めることに耐えられなくなり渋谷のユーロスペースに映画を観に出かけた。

その映画は評判が良く、その監督の他の作品を観て感銘を受けていたために期待値が高かったが、思ったより冗長で眠くなってしまうほどだった。期待と実際の印象にギャップが生まれてしまい、「なんか違う感」が拭いきれなくなったので(これは私はよくやることなのだが)近くの喫茶店に逃げ込んだ。ここで誰かと映画を観に行っていたならその冗長さに秘められているはずの魅力であったり、「なんか違う感」について共有し語り合えたのに。と思うのもいつもと同じだ。そうなると1人でやれることといえば現実逃避的にぼーっとしょうもない空想を巡らせることぐらいであり、折角だからそれを文字に起こしてみようと思っただけなのでこんな文読まなくても良いかもしれない。

1.600円のアイスコーヒーについて
小さいころコーヒーにそんな金出すなんてブルジョワか気狂いだろ。とか思ってたけど、気づいたら自分がブルジョワか気狂い側にいた。(おそらく後者)よく喫茶店の商品値段の大半が空間とに対する対価だという発言を見るが、確かにその通りだと思った。600円払えるどうかは「ブルジョワ、気狂いかどうか」ではなくて「その空間に価値を見出せるかどうか」だった。現に自分自身もどこかボーッとできるような静かな空間を求めていたのであり、その需要と合致したから600円を出したのだから。コーヒーの味だけでいえば喫茶店で出されるそれよりも神保町のカレー屋だったりどっかの店のサイドメニューに過ぎない値段の安いコーヒーの方が美味しかったりする。コーヒーに味を求めるだけならば態々、600円も払って博打に出る必要はない。余談であるが今日飲んだアイスコーヒーはかなり美味しかった。

2.煙草について
さっきの空間に繋がる話であるが喫茶店は喫煙可能な店が多い。かくいうわたしもニコチンとカフェインの奴隷の1人であるためにそのような空間は非常に嬉しい。今日吸っていたのは台湾旅行からの帰国時に免税店で買った1箱200円の煙草でありその箱には繁体字で警告文が記されていた。(味は金マルをもっと雑にした感じ、後味に安タバコ特有の雑味が残る)繁体字の箱を置きながら日本語の本を読んでいたため、周りの人からは何人だと思われているのだろうとか想像していた。

3.自意識について
この想像から自意識が肥大化していることに気づいた。普段、人からどう思われているかなんて絶対に他人に察知されたくないし極力持たないようにしているのに、この空間に1人でいるとそういう意識を持ってしまう。特に店員に自分がスマホをいじっていたら「コイツ喫茶店にまできてスマホいじってら」とか思われてそうであんまり頭の中に入ってこないのに本を読むフリとかして自分を装う。そんなにダサいことないだろ。でも喫茶店に1人で来る人は同じように他人の目を気にしているのかな。そうであってほしい

4.本の内容について
さっきまで店の中で読んでいた「ドリアン・グレイの肖像」にでてくる「ああ、きみ、女性に天才などあるはずがない。女性とは装飾的な性だ。いうべきことはなにひとつもっていないのに、ともかく魅力ある言い方をするのが女性というものだ。精神に対する物質の勝利を象徴しているのが女性だ。」という現代におけるポリコレだのコンプラだのの一切をガン無視した暴力性の塊のようなセリフは、フェミニスト陣営が政権を掌握している昨今のサークルに於いて劣勢気味の大和魂溢れる男性側からの強力な一打になるなどと空想する。(この妄想はフィクションであり実在の人物や団体などとは関係ありません。また、筆者はこの内容の一切を支持していません。)

5.人間観察
基本的に1人で来ていた人は皆、揃いも揃って免罪符のように本を開いている。無論私もそのうちの1人だ。
・右隣に座っていた同年代ぐらいの大学生ぽい青年は私が1本のタバコを吸い終わるまでにアイコスを3回分消費していた。
・左隣のおじさんはチーズケーキとブレンドコーヒーを頼んでいた。こんなクソ暑いのにとか思ってたけどやはりケーキにはホットコーヒーが合うのだろう。
・後ろのテーブルに座っていた初老の夫婦はイランの詩について話していた。どうやら友人がテヘランに留学に行っていたらしい。
・別の組はオバさん3人組でその内のマリコ⭐︎バタフライみたいな薄ピンクの服を着たオバさんは原稿のようなものを滑らかな口調で丁寧に読み上げていた。アナウンサーかなにかなのだろうか。ジッポーでタバコに火をつける姿がその口調とのアンバランスさを際立たせていてギャップ萌え

6.喫茶店のコーヒーについて
喫茶店のコーヒーを流し込むように飲む客は少数だろう。みな思い思いの種類のコーヒーで誰かと話す時間や読書時間を確保しようとする。(これは少し下品な話だけれど)ブレンドコーヒーで読書時間を確保するほどの時間はうまく稼げないし、アイスコーヒーは氷が溶けていき、味が薄まっていく。喫茶店のマスターはそれを計算してアイスコーヒーを作っているのだろうか、それとも早く飲めや。とか思っているのだろうか。また、ブレンドコーヒーの方がセンスいいかなとか考えてしまう。本当はアイスコーヒーの方が好きなのに。また、恥ずかしながら未だにブラックの方がよく見えるのではないかという意識があるので、今日はミルクの気分だな。という日でも無理してブラックで飲んでしまう時もある。(でも今日はちゃんとミルク入れたよ)

まとめ
色々あーだこーだ言ったが1人で訪れる無駄な妄想を巡らす喫茶店も誰かと一緒に行く交流場としての喫茶店も好きだ。だからもう少し敷居が下がってほしいというか、気軽に友人を誘えるような場にしてほしいというか、自分がもう少しそういう空間に相応しい人間になるべきというか。まぁなんでもいいからみんなコーヒー、一緒に飲みいこう。


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