「春夏秋冬の春」 通り過ぎる季節

 春は短い。寂しいことも楽しいことも、気がつくと私の前を通り過ぎていく。無情に、無慈悲に、一瞬も足を止めることなく。

 春は桜の季節だ。店先に並ぶ桜モチーフのグッズやコスメにワクワクするのは春の醍醐味と言って良い。でも衝動買いする勇気は出ず、グズグズと迷っているうちに桜グッズはレイングッズに変わっている。基本的に決断は早い方なのだが、春はそんな私さえ軽々飛び越えていく。
卒業や入学の時期はいつでもいっぱいいっぱいになってしまう。別れはもちろん寂しくて心を削られるのだが、私は新しい人や環境との出会いも同じくらい消耗する。自分のちょっとした言動や言葉が数年あるいは数十年の日々の土台になるかと思うと胃が痛い。プレッシャーすぎる。
いくら気持ちが追いつかなくても時間は止まってくれないし、不安より希望の比重が高そうな人を見ると柄にもなく羨ましくなったりして。置いていかれないように必死すぎて、気がつくと春はもう終わっている。夏休みより春休みを長くしてほしい。
思い返してみると春にまつわる記憶はそれほど多くない。のんびりと噛み締めるような余裕がないせいかもしれない。春が私を飛び越えていくのか、私が春を置いていくのか、どっちなのだろう。

 それでも私は春が好きだ。
柔らかく暖かい香りの風。花壇に咲く小さな花。明るい色の洋服を着られること。何より春は私の生まれた季節だから。何歳になっても祝ってもらえると嬉しいし、どんな1年にしていこうかと想像を膨らませるのはとても楽しい。
それに、学生より社会人になってからの方が余裕を持って春を楽しめるようになった。人によって個人差はあるだろうけれど、数年で全てが決まってしまう学生とは違い押し寄せる変化は緩やかだ。多少もたもた足踏みしていても遅れを取り戻す時間はいくらでもある。退屈と安定はかなり近いものなのかもしれない。
そもそも春が出会いと別れの慌ただしい季節なのは、日本の年度制度が原因だ。決して春のせいではない。制度を憎んで自然を憎まず、だ。
瞬きする間に通り過ぎてしまう季節だけど、なくなってしまうわけじゃない。切り取ってとどめておけないからこそ愛しく感じる。短い季節だから、1日1日を大切にしたいと思う。
春はまだ先かと思っていたら、東京は桜が開花した。世間は鬱々としたニュースに溢れているけれど、春はどの年にも平等に訪れ、瞬きする間に通り過ぎていく。
季節の変化を感じる余裕のない人々の上にも、きっと桜は咲くだろう。暖かい春が遠い誰かの支えになるといい。

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