『かっこいいを探る』 ずっと前から好きでした

 今回のテーマは「格好いいを掘り下げる」。格好いい人でも物でも作品でも、自分の思う格好良さについて楽しく向き合ってみようと思う。
まず大前提として、私の考える格好よさとは、つまり『私の目標』だ。こんな風になりたい、こんな風に生きてみたい。尊敬できて、その人の世界に私も連れて行ってほしいと思えるような。憧れだなんて烏滸がましいかもしれないけれど、目指すのは自由だ。道標のない人生、せめて理想くらいは追いかけないとつまらない。届かないかもしれないとか図々しいかもとかはひとまず横に置いて、楽天的なことだけ語らせてほしい。

知的な人

 いろいろなことを知っている人はとっても格好いい。広く浅く知識を蓄えている人も素敵だし、一つの分野で誰にも負けないほど探究している人も格好いい。
知識というのは一朝一夕には得られないけれど、一度手に入れて仕舞えば誰にも奪われない。どんな形にも変わることができ、剣にも盾にもなる。使い方次第でどんなことだってできる宝物だ。誰かのために知識を使える人も、ひたすらに自分を高める人も、私はどちらも尊敬するし格好いいと思う。

揺らがない人

 揺らがないというのは何にも心を動かさないということではなくて、グラグラと揺れても最後には自分の決断を下せること。脆さを持ちながら、その脆さに負けない人。誰かに自分を明け渡さず、自分の責任を自分で取れる人はとっても格好いい。
他と関わりながら生きていれば、嫌でもたくさんの刺激を受ける。時にその刺激に疲れて全てを放り出したくなるけれど、与えられたもの全部を抱えていないとたどり着けない場所ってあると思う。揺らがない人は、きっと今まで自分に降りかかってきたいろいろを丸ごと抱えたまま毎日を過ごしている。
私は基本的に無理をせずに生きることにしている。逃げたり隠れたり誤魔化したりしながら生きている。人生そのくらいの方がいいと思っているし、限界を考えずに頑張り続けていると他人に優しくできなくなるから。けれど、自分の内側に一本芯を通したいなら踏ん張ることも必要なのかもしれない。

惑わされない人

 人にはそれぞれいろんなタグがついている。生まれや性別、学歴、職業。そういう便利なタグに惑わされず、関わる相手の本質を見抜く人は格好いい。
ゴテゴテとつけられたタグは鬱陶しいしがらみでありながら、私たちを守る防壁でもある。広すぎる世界の中で「あなたはここにいていいんだよ」と一時の安定を与えてくれる居場所であり、よく知らない人と出会った時に相手を判断する材料にもなる。
窮屈だけど、多くの人はその便利さゆえに手放せない。人にタグをつけてカテゴライズすることをやめられない。何のタグ付けもなしに他人と関わるのは地図のない道を一人で歩くようなものだ。
だから安全安心なカテゴリーに頼らない人は格好いい。彼らにはどんな世界が見えているのだろう。私もいつかはそこへ行けるかな。

答えを出さない人

 世の中にはいろいろな考えや立場の人がいて、白黒はっきりつけられることなんてほとんどない。頭では理解しているけれど、私は自分なりの正解が欲しい。そうでないとこの先が定まらないような気がして不安になってしまう。
だから答えを出さない人はすごく格好いいと思う。もしかしたら自分の中では出ているのかもしれないけれど、それを無闇に主張しない人は本当に尊敬する。
決めてしまうのって実はすごく簡単だ。自分なりの結論を出して仕舞えばもう迷わずに住むから。
でも、そうやって決めつけてしまうと、その答えから弾かれた誰かを傷つけるかもしれない。今必死で迷っている人の決断を歪めるかもしれない。決めてしまうってすごく危険なことだ。
答えを出さない人は、多分優しいのだと思う。はっきり決めてしまうことで取り残される存在がいること、激しい感情や強い言葉に流されてしまう人々がいることを知っているから、むやみに答えを出さないのではないだろうか。こういう優しい人がいるから、私のような猪突猛進が生きていける。
答えを出さない彼らを格好いいと思うし、そういう優しさに救われたこともある。けれど、多分私は彼らのようにはできない。できるだけたくさん考えて、できるだけ誰も置き去りにしないように頑張るつもりではいるけれど、私は最後には答えを出す。片方を切り捨てて片方を拾うようなことをすると思う。
どちらが正しいとかではなくて、ただ違うだけ。道は交わらないかもしれないけれど、いろいろな人がいる方がきっと未来は明るい。

格好良さを見つけられる人は格好いい

 格好いいなと憧れるのは、同時に自分に足りないものと向き合うことでもある。昔は無意味なプライドが邪魔をしてなかなかできなかった。人の素晴らしいところを見つけるたび、自分の至らなさを突きつけられるようでしんどかった。
でも今は格好いいと思えるものをたくさん知っている。人の美点を見つけても、悲しくなったり卑屈になったりしなくてもいいと分かった。その人にしかできない氏名とか、特別なオンリーワンとか、そういうものだけが格好良さではないと気づけたから、私は今存分に格好良さを愛でることができている。
格好いい人はすごい。でも格好良さを人の中に見つけ出せることもすごく素敵なことだ。

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