雨の日に思うこと

 雨は嫌いだ。ジメジメするし、水溜りに落ちるし、傘をささないといけないのは面倒だし、周囲の音も聞き取りづらくなる。「雨っていうのは恵なんだよ」と力説されたことがあるけれど、私は米でも野菜でもないのでどうでもいい。必要性は理解しているしどうにもならない自然現象なので余計嫌いなのかもしれない。第一畑の作物だって雨が必要だから受け入れているだけで好きかどうかはわからないと思うんだけどな。
天気としてはかなり嫌いだけれど、梅雨の時期には紫陽花が咲く。私は昔からこの花が好きだった。学名はHydrangea(水の器)。わしゃっと寄り集まったフォルムは可愛いし、水を湛えた姿はとても綺麗。花壇に紫陽花を見つけるととても幸せな気持ちになれる。

 そういえば雨の中を歩くと思い出すことがある。
私が通っていた中学は教室がある建物と食堂がある建物が分かれていて、数十メートルとはいえ外を歩かなければならなかった。大した距離ではないけれど、激しい雨の中傘をささなければそれなりに濡れてしまうくらいの距離はある。雨の中、よく佳歩と二人で食堂までの道を走っていた。
「雨って走った方が濡れるらしいよ」
「え、そうなの?じゃあゆっくり歩いてみよう」
はやる気持ちを抑えてわざとらしいほどゆっくり歩いた。隣を何人もの人に追い越されたことを覚えている。
結局食堂に着いた頃には二人ともしっかり濡れていて笑ってしまった。歩いた時と走っている時のどちらが濡れずに済むのかは今もよくわかっていないし、私たちはやっぱり騒ぎながら小走りする習慣をやめられなかった。
誰かに追い越されても全然気にならなかった環境や、雨の音に負けないように少し力の入った会話や、水を飛ばしながら笑った幸せ。雨の音と共に思い出すたび、その全てが私の奥深くに根付いていると感じる。
あの頃はただの日常だったのに、いつから大切な思い出に変わったのだろう。切ないなんて感情、昔は感じたことなかったな。

 いろいろ書いてはみたけれど、やっぱり私は雨が好きではない。紫陽花が咲いても、素敵な思い出があっても、やっぱり地面を濡らす雨粒を見ると憂鬱になってしまう。可愛い傘を買っても、履きやすいレインブーツで出かけても、どうしたって雨は苦手なままだ。
けれど、楽しかった思い出や綺麗な花を思えばしんどくはないと気づいた。嫌いなものを好きにはなれなくても、受け止めるくらいはできる。それは全部私に楽しいことを教えてくれた人たちのおかげ。思い出ともいえないような些細な日常を一緒に重ねてくれた人たちのおかげだ。ありがとう、本当に。
これからも焦らず日常を積み上げて、いつかの自分の糧になるような生き方がしたいなと思った雨の日。

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