「春夏秋冬の夏」 あの夏はもう二度と

 今年の夏は短かったように思う。蝉の声は昨年より少なかった気がするし、晴れの日よりそうではない日の方が多かった気がする。
けれど、別に過ごしやすい季節というわけではなかった。気温は順調に過去最高を記録し、熱中症で運ばれる人は跡を立たない。「不要不急の外出は避けてください」という台風の最中のような注意が流れ、ニュース記事を読むだけで汗をかきそうだった。
こんな季節に外に出るなんてとんでもないと思っていたのだけれど、各種公的な手続きというものは最高気温を記録した程度では待ってくれない。私は快適に温度管理された部屋に背を向け、炎天下の中に出る決意をしなければいけなくなった。

 その日は最高気温36度。普段エアコンの効いた室内でテレワークをしているせいで暑さへの耐性が落ちていることを差し引いても地獄のような気温だった。
上から照りつける太陽とアスファルトから立ち上る熱気に挟まれた私は、刻一刻とぬるくなっていくスポーツドリンクを片手に笑うしかなかった。これなら鉄板の上で焼かれる鯛焼きの方が全然マシだと思う。「閑さや岩にしみ入る蝉の声」と言った松尾芭蕉だって、36度になるなんて予想外だっただろう。
しかしまあ、文句を言っても暑さは和らがないし役所は向こうから歩いてきてはくれない。この地獄から無事に生還することだけを考えて足を動かしていると、近くの中学校の音が耳に入ってきた。
グランドに響く複数の足音。刺さるようなホイッスルの響き。図々しく愛を叫ぶ蝉の声をものともせず、彼らの気配は私に届いた。
こんな日に外で運動するなんて大丈夫なのかとか、何のスポーツをしているのかとか、考えることはいろいろあったはずなのに。全然違うんだなー、とそれだけを思った。
粗末なフェンスのあちらとこちら。走り回る学生とアスファルトを歩く私。うまく言えないけれど、すぐ近くにいるはずなのに流れる空気は全然違う。眩しいような、恥ずかしいような、不思議な気持ちだった。

 私が学生の頃、夏は特別だった。いや、どんな季節も特別だったのかもしれない。
ポカリスエットを手放せなかった部活の夏季練習。みんなで食べたアイスクリーム。
夕立の中を笑いながら走ったこと。部屋に入ってきた蜂に怯えたこと。
夏休みに交わしたメール。グランドで目玉焼きを作ろうとしていた友達。
31日の夜まで残っていた大量の宿題。なぜかプールの日だけ悪くなる天気。
美化されているのかも知れないけれど。でも全部、特別だったな。
あの頃夏といえば、今自分が生きている夏しか想像できなかった。去年の夏を懐かしむことも、来年の夏を待ち侘びることもなかった。今生きている時が一番最高で一番最低で、何よりも近くにあった。
今しか知らないから必死にぶつかることができる。それは私がもう二度と手に入れられないものだ。だから眩しくて、格好悪かった頃を思い出して少し恥ずかしい。

 この前読んだ小説にこんなセリフがあった。
「同じじゃないって寂しいね。でも違うっていいね」
本当にそう思う。自分と他人、過去と未来。違うことは寂しくて怖くて、唯一の希望でもある。違うと思うからこそ未来に期待して進んでいけるのだと私は思う。
グランドを走る彼らと同じ夏を、私は二度と手にできないけれど。彼らと同じ熱量で生きてはいけないけれど。違うという現象にまだ寂しさや悲しみを感じてしまうことの方が多いけれど。
それでいいと思う。それがいいと曇りなく思える日だってきっとすぐそこだ。

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