年下になめられている気がする話/置かれた場所で咲くってなんか嫌な話 #呑みながら書きました

 正直最近あまり元気がなくて。
どのくらい元気がないかというと、缶ビールをわざわざグラスに注ぐレベル。そんなことをしないと保てない自尊心。
でも、だからこそ呑み書き! こんな時だからこそ呑み書き!

年下になめられている気がする話

 どうも昔から年下に  
なめられがちな気がする。同級生よりも明らかになめられている気がする。
なめられているというか、軽視されていると言うべきかもしれない。明らかに他の人には言わないことを「こいつなら大丈夫だろ」みたいなテンションで言われている。
別にね、怖がられたいわけじゃない。萎縮させたいわけでもない。いじめられるわけでもないし、私が心を痛める以外にとくに不利益があるわけでもない。
ただ、曖昧な話なんだけれど、ただ一人の人としてもう少し大切にしてほしいというか、尊重してほしいというか、私だけなんか下に見るような雰囲気を出さないでほしい。
とはいえ、ここまで続くということは、間違いなく私にも原因があるってことだ。
たとえばバカっぽい言動であるとか、自信がなさそうな雰囲気であるとか、そもそも私が私の価値を貶めるような発言を繰り返しているとか、思い当たるところはたくさんある。そりゃ本人が自分のことをバカだと言っているのだからそういう扱いをしてもかまわないと思ってしまうのは仕方がないのかもしれない。
でもさ、考えてみてほしい。
自分はバカであると思っていて他人にもそれを公言しているからと言って、それを人から言われてもいいというのはちょっと違うんじゃないかな。思っていても、自虐していても、人から言われれば嫌なことってあるでしょう?
こうやって文字に起こせば起こすほどわがままな気がしてきた。
わがままなんだけど、わりと昔から切実な悩みなんだよなーこれが。

置かれた場所で咲きなさいがなんか嫌な話

 「置かれた場所で咲きなさい」という言葉が昔からどうも苦手だ。その場に適応できない人間は努力が足りないと言われているみたいで。
だって、花だって水をあげないと枯れるじゃん。栄養をあげた方が早く丈夫に育つじゃん。
植物だって適切な場所に置かれて適切な栄養をあげることが常識なのに、なぜ人間は全責任を個体が負わないといけあいのか。
「置かれた場所で咲きなさい」と「適材適所」という言葉が同じ世界に存在していることが信じられない。適材適所なら育成環境も個人に合ったものにされるべきでしょ、あまりにも出来上がったものを使う側の理屈すぎる。
自分に合わない環境からう勇気を持ってどうにか飛び立って、新しい環境に慣れるために心身を削っている人に向かって逃げ出しただの甘えているだのと言う人間もなぜ存在しているのかわからない。嫉妬か?
自分が穏やかに生きられる場所を求めているだけの人間に罪悪感を植え付けるシステムが私はとても嫌だ。
ただ、農業青春アニメ銀の匙で、チャラチャラした先輩が言っていた「仕事に自分を合わせるのもいいんじゃないか」って言葉も忘れずにいたい。マツコデラックスも「流された先でいろんなものを吸収している人も素晴らしい」みたいなこと言ってたし。環境に適応している人、そうなろうと頑張っている人もすごいと思う。
だから、甘えているとかわがままとかフラフラしているだとか、そういうことを言われずに、どの生き方が優れているとかジャッジされずに、幸せを掴むために生きている人がみんなすごいって褒めてもらえる世界がいいなーと思っている。

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