見出し画像

道路族被害者は子嫌いか?迷惑行為周知記事

はじめに

道路族、そんな言葉を聞いたことがありますか?
ひと昔前は道路利権とズブズブの地方議員(?)を指していたと聞いたことがありますが、昨今は意味が変わってきています。その道路族とは何か、どういう問題があるのか詳しく解説したいと思います。

住宅街の存在意義

突然ですが、皆さんが学校や職場から家に帰ってきたとき、家というものにはどんなことを求めますか?
疲れを癒す場であってほしい。ネクタイ緩めてビールを飲む、花金特有のあれは最高ですよね。
あるいは家族が一堂に会する唯一に近い場所でもあります。色々な場所に出かけていった家族が帰ってくる場所である家は、なんだが落ち着きますよね。
職場なら仕事に関する会話があるでしょうし、学校なら学校で昼休みに子どもたちが校庭で遊んだりもするでしょう。ショッピングセンターには試食を勧めるスタッフの声が響くかもしれません。それもこれも、その場所だからこそ、騒音だという場違いなクレームがつくこともないのです。(学校の運動会での音楽がうるさいっていうのはわからなくもないが、前もって学校から説明があれば対応もできるのでオッケーと考えます)

そんな家が、ある日突然安らぎの場所でなくなってしまったら?

道路族とは、住宅街での公道や私道を占拠し、道路で子どもを遊ばせたり大人数で話し声を響かせたり、洗濯物に臭いがついてしまうバーベキューを開催したり、とかく周辺住民に迷惑を振りまく人々のことをいいます。

道路族の迷惑行為

道路族は、具体的にどんな行為をするのでしょうか。
まず、大人なら問答無用で逮捕されるような犯罪を無自覚に起こします。ボールが(わざとではないにしろ)他人の家や車にあたり、物が壊される被害があります。
また、道路を数十人で占拠し、大声で会話をすることがあります。ゴミ捨ての時間が一緒だった数人と井戸端会議、の規模ではありません
自宅の敷地の外にあたる道路に家庭用のプールを広げたり、おもちゃの自転車を走らせたりします。

皆さんが思っていた「子どものやることじゃない」「大げさな」と一笑にふせることができる生易しい問題ではないことがおわかりいただけたでしょうか?そして「子どものやること云々」というのは的外れでもあります。被害者が糾弾しているのは、大抵の場合「保護者である親」だからです。
他人への迷惑を考慮に入れられてしかるべき大の大人が、周辺住民に対して迷惑行為を公然と行っていることが問題です。善悪の区別がつかない子どもが可哀想なのはわかるのですが、ならば尚更、その子を躾けるのは最低限の親の責任なのではないでしょうか。

道路族問題は、フジテレビの「実録!金の事件簿」という番組でかつて取り上げられ、住民たちの相互理解では収まらない事態の深刻さと、迷惑行為をする住人への話の通じなさが明らかになりました。被害者はせっかく手に入れたマイホームを手放さなくてはならないと悲痛な声を聞かせていたと記憶します。ぜひフジテレビ様には該当回の再放送をお願いしたいところです。

また、道路族問題に取り組んでいる地方議員さんもおられます。

国会議員を目指す政治家の方も道路族を取り上げてくださるそうです!

警察庁も文部科学省も、道路で遊ぶことは危険と注意喚起しています。それなのになぜ、道路で遊ばなければいけないのでしょうか。子どもの命まで危険に晒して。

道路族は、批判や注意を逆恨みして仲間で結託し被害者に対し村八分のような嫌がらせをすることもあります。決して、話し合いだからといって、一人で加害者側の用意したテーブルに座ってはいけません。度が過ぎる場合は遠慮なく警察に通報しましょう。
また、一般の方々には、道路族という問題を正しく理解し、被害を訴える人が決して不寛容なわけでも子嫌いなわけでもないことを理解していただきたく思います。そして余力があれば、このことを身近な方々に周知してください。皆さんの関心が、全国にいる被害者の支えになります

春瀬由衣

誤解されやすい点FAQ

・「子どもを外で遊ばせるな」とでもいうのか!
被害者さんは外で遊ぶなと言っているわけではありません。自宅敷地内に止めた車に何度もボールをぶつけられて車体が凹む、許可なく敷地内に侵入されるなどの実害が、実際に道路で遊んでいる子どもによって出ています。多くの被害者が「お願いだから公園で遊んでくれ」と訴えています。歩いて5分もかからない公園に行かず道路で遊ばせなければいけない理由があるのでしょうか?
また、どんな奥まった道路でも、私道でも、車が通ることはありえます。滅多に車が通らないからといって、住宅街のどこかの家が宅配便を頼んだりネット通販で商品を注文したりしていない確証があるのでしょうか。また、肉親が子どもを轢いてしまうという事故もこの世には存在しています。運転免許をお持ちの方は教習所で習ったことと思いますが、車に乗っていると構造上低い視野は塞がれます。十分確認しても、道路で子どもを遊ばせている限り死角に子どもがいる可能性があります。私は、道路で子どもを遊ばせることはネグレクトに近い虐待であり、保護責任の放棄と考えます。

・「子どもの声が嫌い」なんて子どもが嫌いなのね!
いくら子どもといっても、昼夜問わず家の前で騒がれて心証を悪くしない人間はいません。TPOをわきまえようという話なのですが、通じない方がいます。世の中には夜勤明けの人もいれば、受験を控えた学生もいるでしょう。あるいは体調の悪い人が休んでいるかもしれません。いつどの家庭でどんな人が休んでいるのか詮索し○時~△時まで遊びませんと言ったところで根本的解決にはなりません。住宅街の存在意義について、よく考えてほしいものです。

・誰だって子どもの頃は道路で遊んだよね?
いいえ。

2021/4/18追記

モラルの問題である道路族問題と、組織犯罪である集団ストーカーは、厳密に分けて考えた方が双方の問題の解決に繋がると考え、道路族被害は集団ストーカーとは別問題である、と明記させていただきます。
春瀬由衣

いつもありがとうございます。執筆のエナジーチャージのためいいなと思ったら「スキ」していただけると幸いですー(*'ω'*)