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無理に「ありのまま」でいなくてもいい

仕事で担当していた、とあるビッグ案件が終わった。
まだ入社したての時にアサインされ、目の回るような多忙感で過ぎ去っていった案件。先輩たちに迷惑をかけまくり、力不足を突きつけられ、自分では全然貢献できなかった、、、と反省してたとき、上司からこんなことを言われた。

「たとえ自分では反省点ばかりだとしても、これからこの案件はあなたの実績になる。だから自信持って、お客さんや社内の人に向かって語りなさい。そうやって自分をプロデュースすることで、次の仕事にもつながっていくよ」と。
(ちなみにあなたはよく頑張ってた、とも言ってくださった。涙)


この時、ちょっとだけだけどプロとしての自覚を芽生えさせられた。

お客さんが「信頼できる」と思うのは、自分なんて仕事できなくて、、、と謙遜しまくってる人よりも、とりあえず自信ありそうな人だろう。

例えば美容院で髪を切ってもらう時。美容師さんのキャリアは一目見ただけでは分からないけど、なんか堂々とした雰囲気だったら、この人にお任せしようという気になる。そうすると、自信なさげの美容師さんと仕上がりが一緒だったとしても、なんとなく満足度は高まるのではないだろうか。


振る舞い方一つで自分の市場価値は変わってくる。反省点はしっかり振り返りつつも、自分が成し遂げたことを噛み締めることで、経験が血となり肉となっていく。お客さんからお金を払ってもらっている以上、「ここにコストをかけてよかった」「この人なら安心して任せられる」と思ってもらえるように、直接的なスキルだけでなく精神面・人間性も磨いていかなきゃ。
そんなことを教わった一件だった。


でも「振る舞い」については、思うところもある。
人は社会で生きている以上、「他人からどう見られるか」を多少なりとも意識する生物。となると、<目で見える世界>と<人の本音や心の中の世界>は少し違ってくる。

同期のあの子がとても仕事ができそうに見えるのも、友達が充実してる生活を送っているように見えるのも、もしかしたらその子の振る舞いから私が勝手に思い込んでるだけかもしれない。実は自分と同じような悩みとか、違う部分での葛藤があるのだと思う。


だからと言って、目に見える振る舞いの世界が「嘘」と断定するのも違う。
上述のようにプロとして安心感を与えられるように振る舞おう、と意識するのも本当の自分。けど内心では力不足にへこたれているのも本当の自分。

よく、「ありのままの自分でいることが一番」というけど、そんなナイーブな一面をさらけ出すのは勇気がいる。もちろんありのままの自分は何か、を自分で認知することは大切だけど、それをそのまま見せるのは、誰もができることじゃないと思う。だから「ありたい自分でいる」ように心がけるくらいくらいがちょうどいい。


まあとりあえず、人にはパブリックイメージとプライベートがあるのが普通、と割り切って無駄な心労を避けてこう。そのうえで、少しでもプライベートを共有できる人がいれば、その存在を大切にしていこう。

ちょっと長くなってしまったけど、ここ最近の学びでした。



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