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赤ちゃん連れに席を譲れない大人たち

3人の子供を連れて電車に乗りました。夕方の時間帯だったので車内は混んでいて、立っている人が多くいました。

私は1歳の三男を抱っこしていました。車内の人は私に気づくと寝たふりをしたり、スマホを見始めたりして席を譲ってくれる人はいませんでした。

長男はだんだん元気がなくなり、帰宅してからその理由を聞きました。すると「電車の中で赤ちゃんを抱いた人がいても気がつかない振りをして、スマホを見ながら自分の世界に没頭している大人を見てカッコ悪く恥ずかしいと思った」と言いました。

私たちは、海外のいろいろな国を旅行をしていますが、赤ちゃんを抱いている人がいたらすぐに席を譲ってもらえる国がほとんどでした。なので長男は、日本のそんな現状に驚き、悲しいと思ったようです。

長男は親の欲目を差し引いても、とてもとても優しい子です。また、思春期特有の理想の高さと、潔癖さのせいもあると思います。

次男は「見た目ではわからないだけで、何か大変な事情がある人なのかもしれないよ」と言いました。

長男は「そういう人もいると思うけど、目の前にヘルプマークをつけている人がいても知らんぷりだったのにもとても腹が立ったし悲しかった」と言いました(車内の他の人のことをとてもよく観察していました)。

私は「席を譲るような人は、いろいろな意味で余裕がある人なんだよ」という話をしました。周りの人を見る余裕、席を立っても平気なくらい体力があるという余裕、自分も人に優しくしてもらえているという気持ちの余裕。

席を譲ることができない人は、体も心も余裕がなくてできないんだと思います。私もいつでも人に席を譲れる人でありたいし、子供達にも迷わず席を譲れる人であってほしいです。

だから席を譲れない人が悪いと思うんじゃなくて、自分の体や心に余裕を持つためにはどうしたらいいのかを考える機会にしたり、席を譲ってくれることが当たり前なんじゃなくて席を譲ってくれる人には特別に感謝をするようにしたらどうかなという話をしました。

それでも納得いかない表情だったので、体や心に余裕がなく貧しい人たちと同じ時間帯に生活しなくていいように自分のスキルを磨いたり、その場所を出ていくための力を身につけるようにしたらと言いました。

自分が共感できない人のせいで、気分を害されるのはもったいないことです。それを自分の人生をより良くするための機会にできたらいいなと思ったのです。

大人は子供に、ふるまいを観察されていると自覚しなければと思いました。

そして、子供は柔らかすぎる感受性の中で生きづらいこともたくさんあるだろう。それをさりげなく支えていけたらいいなと思った出来事でした。

↑最近思春期の子供の気持ちに寄り添うことを考えて参考になった、インスタでマンガを描いている学校の先生のアカウント。しみます。


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