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親子三代の手打ちうどんは「くるみ汁」で召し上がれ



#料理はたのしい

実家に行くと「めんめん、めんめん」と言って父にうどん作りをせがむ子ども達。
娘も息子も離乳食の頃から父の手打ちうどんを食べていた。


私が幼い頃から実家では日曜日になると家族みんなで手打ちうどんを作って「昼うどん」をした。

うどんを打つのは父。

うどんを作る粉は必ず地元産のうどん粉を使っていて、いつも決まった農家さんから地粉を購入している。

父はこね鉢の中で地粉と水と塩を混ぜ、体全体を使って力強くこねる。

形良くきれいに丸めたら取り出してビニールシートのようのもので包み、両足で踏んで平にする。
それをもう一度丸めて、同じ作業を2.3度繰り返す。


生地を少し休ませてから麺台にうつして
打ち粉をし、長い麺棒でのして薄く大きな円にする。
これは結構難しそうに見えるが、父は麺職人のようにリズミカルに麺棒を操り あっという間に見事な円に伸ばしていく。

それを麺棒に巻きつけてから折り畳んでいく。

最後に麺切り包丁で端から細く切って完成だ。

同じ幅にきれいに揃った麺はとても美しい。
父は几帳面に麺の束を整えて、余分な粉を払う。

その間に母は煮干しと鰹節で出汁を取り、うどんの汁を作る。

同時に汁に入れるナスやほうれん草、インゲンなども茹でておく。

出汁と醤油の混ざった濃厚な風味のいい香りが家中に広がる。
この漂う香りが私の記憶と嗅覚に染みついている「お昼の匂い」だ。



妹と私は胡桃を金づちで割って中の実を取り出す作業が担当だった。

小さな手で胡桃を押さえながら金づちで半分に割るのは案外手間がかかる。
誤って手を叩いてしまったり、胡桃が逃げて転がってしまったりするし、金づちを叩く力加減にコツがいったが、私は黙々と胡桃を割る作業が好きだった。

割った胡桃の殻の中から実を楊枝で取り出したら、それをすり鉢でする。
妹と交互に、する係とすり鉢を押さえる係をしながらペイスト状になるまでするのだが、スリコギを使うのは思ったより力がいるで私達はすぐに疲れてしまう。
いつも見かねた父が高速でスリコギを動かして仕上げてくれた。

母が作った汁にこの胡桃を入れて「くるみ汁」にするのは父の強いこだわりだった。

このくるみ汁を作るために、よく父と胡桃を拾いに行ったのを覚えている。
近くの川へ降る道の横に胡桃の木があって、たくさんの胡桃が落ちていたものだ。


麺が切り終わると直ぐさま母が大きな鍋で麺を茹でる。
茹で上がった麺を流水にさらして締めたら
コシのある喉ごしのよいうどんの出来上がりだ。

ザルにあげたツヤツヤのうどんをテーブルの真ん中に置き、それをくるみ汁につけて皆んなで食べるのが我が家流だ。
うどんと一緒にナスやほうれん草も入れて食べると尚美味しい。

父は料理の味にとてもうるさい人だったが、この手打ちうどんは自画自賛で、「うまい、うまい」と言って機嫌良く何杯も食べる。

「今日のお汁はいい味だな」と父が言うと、
「うどんもコシがあって美味しい」と母が言う。

当時は極々当たり前の我が家の手打ちうどんだが、改めて思い起こすと何だかとても有り難みのあるうどんのようにも思えてくる。



娘達が成長すると共に父は今度は孫と一緒にうどん作りを楽しむようになっていた。

父も子ども達も全身粉だらけになりながら、こねたり、踏んだり、のしたり、、、
キラキラした瞳で好奇心いっぱいに真剣に包丁を持つ子ども達の姿を父も真剣な眼差しで見守る。

息子は自分で切った麺を茹でてもらう間、待ち遠しくて鍋の中を背伸びしてずっと覗いていた。


「この麺はオレが切った!」

「なんだ!この太っちょのうどんは!?」

笑いが絶えない賑やかな昼うどん。

親子三代で作るうどんは格別の味だ。
あの時父はこの上ない幸福を噛み締めていたに違いない。

子ども達と実家を訪れる度に手打ちうどんを作るのがお決まりになり娘の包丁もすっかり上達したのに、父は呆気なく天国へ逝ってしまった。


父が亡くなった後は、母が父の代わりに子ども達と手打ちうどんを作ってくれた。
幼い子ども達と父の思い出話をしながら作るのは、母にとっても癒しの時間だったのかもしれない。

茹で上がったうどんをお仏壇にお供えして、
いつものように皆んなで食べる。

「じいじも『うまい!』って言って食べてるかなぁ?」と無邪気に息子が言うと、私は鼻の奥がツーンとなった。

息子が切ったちょっぴり太い麺を父はきっと笑顔で食べたことだろう。


父のお陰で子ども達は幼い頃から包丁も上手く使い料理をする楽しさを自然と身につけたように感じる。
そして家族皆んなで作った料理を家族皆んなで食べるということが何よりのご馳走だということをきっと知っている。
二人とも成人した今はそれぞれに得意料理があり、たまに振舞ってくれるのだが、なかなかの腕前に感心する。

天国の父はそんな孫の姿を微笑ましく眺めているのかな。

母の足腰が弱ってしまってからは、今はもうあの「昼うどん」の風景は懐かしい思い出の味になってしまったけど、今年のお盆に帰省した際には私がチャレンジして父に久しぶりに昼うどんをご馳走しようと考えたら 何だかメキメキやる気が湧いてきた。

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