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家族への思い#清潔のマイルール



私が働いていた幼稚園では保育が終わると毎日職員が全員で保育室、お遊戯室、トイレ、玄関、靴箱、園庭を丁寧に掃除する。

明日も子ども達が怪我や病気をしないように園を「清潔」に保つためのとても大切な仕事だった。
保育室の床を磨きながら今日1日子ども達が元気で無事に過ごせたことに感謝する。

翌朝は園児が登園する前に保育室の窓を開けて新鮮な空気を入れ、ピカピカの玄関で園児を迎える。園児が安全に安心して過ごせるように「清潔な環境」を整えることは命を預かる者の責任なのだと思った。

幼稚園を退職し、結婚、出産を経ても私は変わらず「清潔」を保つことを心がけてきた。

家族皆の体を清潔にし清潔な衣服を身につけて清潔に整った家で暮らす。「清潔」は家族が明るく前向きに生きるための基盤である。

息子が高校の剣道部でインターハイ出場を決める大きな試合の朝も、夫が癌になり肺の手術をする朝も、私は必ずトイレを念入りに磨き、玄関をほうきで掃いてきれいにしてから家を出た。そうすることでまた自分も前向きなれた気がする。


しかし、ここ数年のコロナ禍では怖さや不安で私は気持ちが乱れ、心がカサついた。
目に見えない敵と24時間戦っているようでクタクタになってしまった。

人混みの中に出かけていく家族とも気持ちが揃わなかったこともある。

リビングや寝室に空気清浄機を置き、玄関、テーブル、ドアノブ、トイレ等至るところに除菌スプレーをかけて家中を清潔にしても気持ちがスッキリすることはなかった。

人と話すことも同じ空気を吸うことも苦しくなるような日々が続いた。


そんなある日、ふと、幼稚園で働いていた時に聞いたお釈迦様と弟子の話を思い出したのだ。

何をやっても失敗ばかりしてしまう弟子が「自分は愚だ。」と落ち込んでるいると、お釈迦様はその弟子に「チリを払い垢を除かん」と唱えながら掃除をするようにと1本のほうきを渡した。
弟子は来る日も来る日もひたすら掃除を続け、二十年。ついには毎日降り積もるチリや垢とは自分自身の心に積もった煩悩と同じであると気付き『悟り』を開いたという話だった。

チリや垢は自分の心の中にあり、掃除をすることは心をきれいにすることと同じで、心をきれいにすれば思いやりの心や感謝の気持ちが生まれるというものだ。


私は園庭を竹ぼうきて掃くのが好きだったことを思い出した。
掃いたあとが模様のようになり広い園庭が美しく整うと空気まで清らかに変わる気がした。

そして私の気持ちもスッキリして体の中まで澄み切った空気が染み渡り心が晴れ晴れしたのだった。


「あぁ、私の心にチリと垢が積もってしまっていたのかもしれないな。」と自身を冷静に見つめることができた。


コロナウイルスと共存していく世の中へと移り変わってきた今は、我が家も平穏な日常を取り戻しつつある。

新しい生活様式の中で、家族とも清潔を保つことについて話すことが自然と増えたように感じる。「責任」という重石を下ろして、家族皆で清潔の在り方を共有すると、清潔を保つことは健康を保つことでもあるということに改めて気付いた。

栄養バランスの良い食事をし食材にまでこだわっていても口腔内を清潔にしていなければ健康は保たれない。
歯周病菌は歯肉から血管内に侵入し全身に多くの影響を及ぼすそうだ。
歯磨きは糸ようじや歯間ブラシも使い磨き残しがないようにすることが新たな習慣になった。

また、適度な運動をして筋力をつけることや趣味や好きなことを楽しむ時間をつくりストレスを溜めないようにするなど免疫力を高める努力も積極的に行うようになった。



家族が明るく前向きに生きることこそが私の願いであり、「清潔」は家族の健康を守ることだと思っている。
























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