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「先生」の呪縛から解き放たれた時。


今日は、長女のサッカー教室の参観でした。

次女の育休にはいって、平日の昼間に見に行くことができるようになって、6.7回目でしょうか。

今回のわたしは、これまでの私と決定的に違う想いで、娘を観ることができました。

今までのわたしは、
•先生として見学に行ってた
→困っている子どもがいたらフォローする(え?!)
→娘のここが弱点だとかあちゃーと弱点探しをしていた(え⁈)
→うまく娘が活動に参加できるように働きかけていた(次女がいるので、やってくる。そして気持ちをサラリと聞き流し、しっかりココロで受け止めずに次の活動を促してた)え?‼︎

もう、何やってたんだろう半年ほど。でした。

4月の参観では、先生方から先生と呼ばれる始末。
今日は、泣きじゃくり寄ってくる我が子を、園の先生に、お願いします。といえました。ちゃんと。わたしが連れて行くこともできるけど、ここまでです。と。それは、相手への信頼へも繋がっている。から言えたのかと

だから、楽しくなかったんですよね。
今日の参観は、素直に、母として、参観することができたと感じました。
泣いていても先生に抱っこされてても、ママがいいよね。いつでもママは見てるよ!大丈夫!と。

自分から手を振ってしまったわたしには
1つダメ出しをしてしまいましたが(・_・;


ママママおうちがいーーーーいと泣き叫ぶ長女に、(次女も抱っこ紐にいて)3月の段階では、なんでこんなこというの⁈ちゃんとしてくれーー‼︎😭なんて思ったこともありました。

周りのお母さんたちは、我が子がそうなってても笑顔で対応。わたしは笑顔なんだけど、なんだか家に帰ってドット疲れている。

この差はなんなんだろう。
そんなサッカー教室の参観だったんですよね。


娘の姿を見ることができるのは、素直に嬉しくても、母として、なんだか、違和感がずっと拭えずにいて。
もちろん、そうじゃない時もたくさんあったけど、今までのわたしだったら今日ほど
ママがいいーーーーと泣きじゃくり
先生方の手を煩わせ、抱っこされ、などなど
な娘を見ていたら
いつも支援する側だったので、
うちの子が手をとってすみませんの祭りで、
1日中落ち込んだり、自分のこれまでの育て方が悪かったのだろうかと思ったり、しました。挙げ句の果てに迎えに行きたくない、とか。

書いていて、
「そこまで自分のせいにせんでもお母さん!」「下の子生まれたら誰だってそうなるし、毎回誰かしらそうやって泣いてますよ。」「そんなに気にしなくてもいいと思いますよ」ですね。笑

↑今日周りの上の子がいらっしゃるお母さんから、こんな声をかけて頂ました。


心配性 気にしすぎ な自分はまだまだ根深いけど、


母として、大きな気持ちで。まるで海のように万物を包み込めるお母さんの道を歩んでいけてるといいなぁーと思います。

古いですがちっちゃいことは気にすんな!ワカチコ!が頭の中で動いてます。ゆってぃー。