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自分の心地いいをこまめに確認してあげる

宮崎に来て、自分の「心地いい」感覚がすごくわかりやすくなった。

ワッサワサ茂っている緑と真っ青な海を見ながらドライブをしている時。サーフィンで冷えた身体で湯船に入る瞬間。旬のフルーツや野菜や米をシンプルに調理して食べる時。夜本を読みながら眠りに入る時。朝起きて、窓を開けて鳥の声を聞くとき。朝の練習を終えて、チャイを飲みながらぼーっとしている時。波待ちをしながら夕焼けの空を見ている時。

全然お金かからないこと。シンプルなことだけど、こんな感じなのだ。

自分のやりたいこと、好きなことをこまめに書くようにしている私。
昨日も書いてみた。今一番楽しいこと何?

「自分の作ったご飯を食べること」

らしいです。今、それが一番楽しいらしい😂
シンプルだなぁ。
いつも美味しいご飯作ってくれてありがとう(自分にw
大したものは作ってないけど、いつもすごく美味しい。
素材がいいから、シンプルな調理法でとても満足度が高い。例えばお米は道の駅で無農薬玄米を買って、毎回精米機で精米して土鍋で炊いてる。(精米機は去年のベストバイです。)
土鍋で炊くと、炊飯器より早い、美味しい、そしてそのまま冷めてもお米を美味しく保湿してくれる。良いことずくめなのさ。もうそれを塩むすびにするだけで幸せニンマリご飯になる。

料理はずっと好きだったけど、東京にいる時は休みの時くらいしか(それも元気な時)楽しんで作れなかったなぁ。帰ってきたらもう疲れ果てていて、いつもデリバリーや外食で済ます日々。
たまのゆっくりの休日に早めからゆっくりと、ワイン飲みながらご飯作るのが好きだった。

今料理を毎日楽しめているのは、余裕があるからだ。
この時間と気持ちに余裕がある生活を、できるだけ自分に与えてあげたいなと思う。(そりゃ毎日ずっとは難しいけどさ

私はご飯を作るのが好きだけど、レストランで毎日シェフとして働くっていうのは難しいと思う。
だけどこうやって毎日試しながら食事を作って、あ、これ美味いやんみたいなよくできメニューを集めて、(レシピ見るのが苦手なんで基本創作料理、といえば聞こえがいいけど、適当料理w)月に1回とか振舞えるような機会があれば楽しそうだなと思う。
昔から小料理屋をやってみたかった。
好きな日本酒やナチュールワインを揃えて、ヘルシーなおつまみを作って、みんなでゆっくりお話しながら食べるんだ。
あー楽しそう。
でも月に一回がいい。笑

そういえば、先日ふとしたタイミングで「チャイやさんでもやろっかなぁ」が叶った。
先日書いたときめきメソッドにて大量に出てきた服をフリマに出したくて、そういやヨガスタジオのオーナーがフリマのこと書いてたなと思って、出店できるか聞いたら、いいよ!チャイも出せば!って。(チャイ出す気全然なかった、これ言われるまで。)しかも急すぎて出すかどうか迷ってたけど、面倒な保健所の申請とか容器の用意とか全部オーナーがしてくれて、私、当日チャイ作っただけ。なんとありがたい環境ですか?
オーナーもドリンクメニュー出してたんだけど、お客さんが来たら「インドのチャイがあるとよ!」ってチャイを勧めてくれたおかげで(優しすぎだろ?うちのオーナー。。)、チャイは目標を杯数を達成して、無事完売となりました。

何が言いたいってさ、こんなに簡単にチャイやさんっていう目標がヒョイっと叶っちゃうんですよ。
だから月一小料理屋だって絶対できる。
これができるのが田舎のいいところ。
都会にいる時に、海が見える丘の上で、ヨガやアーユルヴェーダを伝えて、サーフィンして、たまにカフェして、お菓子作ったりして、たまにお酒も出して、通訳とか翻訳とか、コラムとか書いたりして生きていきたいな〜なんて言い出した暁には、ふざけてるのか?って言いたくなるとおもう。東京の時のわたしなら「なめてるのか?」と言ってただろうw こわいこわい

でも誰に何を思われるかなんて本当に気にしないでいたら、私のやりたいことはこういう感じみたいだ。今少しずつやりたいことをやれる生活に切り替えて、自分が楽しそうに、のびのびとしているのを感じて嬉しい。
田舎やったら、こんな一見ふざけた生活だってそんなに難しくなく叶えられると思える。まず生活費、維持費が全然違うし、土地や空き家もたくさんあるし、自分で始めなくてもこういうふうに人とのご縁で「うちでやってよ!」って言ってもらえることがたくさんある。

まぁでも、それはね、よく考えたら東京でも全然可能だと思う。
なんで田舎やと叶えられるのか、よくよく考えたら、
田舎にきて、「難しい」のブロックが外れただけだと思う。東京は「生きていくためには最低限これくらいのお金稼がなきゃ」ブロックが根強すぎた。

宮崎にきて、生活なんかどうでもなるやろって割と軽めに考えられるようになった。自分がなにしてたら幸せかがはっきりしてきたからだと思う。そしてそれを感じるのに、そんなにたくさんのお金も必要なさそうだということもわかった。

ただ、「叶える」ことにフォーカスしすぎると、いつの間にか自分の「心地いい」から外れていくことは田舎に住んでたって、全然ある。
だから、こまめに聞いてあげる。何してる時が心地いい?楽しい?幸せ?って。
その時間をできるだけ作れるようにしようねって。
自分と協力して人生を作っている。
この感覚になるまで、34年かかった。
早いのか、遅いのかはわからない。(だし、早いも遅いもないか。別に)
子育てをしているような感覚で、自分をよく観察して、ケアしている。
身体や心は素直に答えてくれるから楽しい。

今までは「こうしなきゃダメでしょっっっグイーーーーっっっ」て無理やり首根っこ掴んで頑張らせてたことを、今は、「嫌ならしなくてもいい。だけど、これも必要だよね。じゃあこういうふうにしてみるのはどう?」とか自分の気持ちに向き合いながら方向性を決めている。今は自分にたくさんフォーカスできる環境だけど、今後わたしも生活スタイルの変化と共に自分にかけられる時間は変わっていくだろう。それでも、その時のできるだけをやればいい。自分に精一杯誠実でいれば、それを自分が一番見てくれているから。

もし将来子どもができたら、こういう風にたくさん話し合いながら一緒に成長していきたいって思う。そう思えるようになってよかったな。

徒然なるままに。


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