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一方通行の年賀状

 今年の盆休みは帰省することも出来ず、結局だらだらと自宅マンションで過ごすことになった。

 実家の母は今年は坊さんを呼ぶのはやめておこうかと言っていたが、毎年やっていることを今年はやらないのはどうも気持ちが悪いと、結局呼ぶことにしたらしい。

送っておいたお供えの菓子のお下がりが送り返されてきたのが今日の午後。宅配で届いた箱の中には菓子の他にビールと今更と思いたくなる年賀状が一枚入っていた。

あいつには今の住所を教えていない。だから年賀状は毎年実家に届く。俺があいつに年賀状を出すことはなく、一方通行の年賀状だ。

家庭用のプリンターで出力された住所。通信面は今年も子どもの写真なのだろうか。

年賀状が一方通行になったのは十八年前からだ。

最初の年賀状には『結婚しました』の文字があった。添えられた写真の中のあいつは、ウエディングドレス姿の女性の隣で笑っていた。翌年は『家族が増えました』だった。その次の年から写真は子どもだけのものになり、いつのまにか子どもが二人になっていた。

年々大きくなっていく子どもたち。成長するにつれ長男があいつに似ていく。面倒くさそうに写真に納まっている顔があまりにあいつと同じで、それを見たときは思わず笑ってしまった。

そして、笑える自分に泣けてきた。

「俺、結婚するんだ」

唐突に告げられたその言葉はどんな別れの言葉よりも辛かった。

おめでとうと言えばよかったのだろうが、その時はたった五文字の言葉すら頭から消え失せていた。

後日届いた結婚式の招待状にどれだけ心を抉られただろう。笑って祝える余裕なんてとてもではないがなかった。だから理由をつけて行けないと言った。

あいつはどういうつもりで招待状を出したのだろうか。

俺を抱いたその手で隣の女の手を取るのか?

俺に口づけたその唇で誓いのキスをするのか?

それを俺はおめでとうと祝わなければいけないのか?

そんな言葉を口にしてしまいそうな自分が嫌で嫌でたまらなかった。

あいつとはたった一度だけだったのだ。

大晦日から元旦にかけて初詣にでかけ、雪に降られた。極寒の中、泊まるところもなく、仕方がないとあいつとラブホテルに入った。

無駄に広い風呂場で冷え切った体を温め、ダブルベッドに並んで転がった。最初は互いに笑っていた。

「何か妙な気分になるな」というあいつの言葉に箍が外れてしまったように思う。誘ったのは俺だっただろうか。それともあいつだっただろうか。

その晩、俺はあいつの全てを知り、あいつは俺の全てを知った。

あいつが俺の思いを知っていたのかどうかわからない。おそらく俺だけがそのたった一度の行為に舞い上がってしまったのだろう。

あいつはゲイじゃない。あいつが結婚するのはあたりまえだった。

あいつが決して自分のものにはならないのがわかっているのに、結婚式の招待状を受け取った途端、心が打ちのめされた。悲しいと思ってしまう自分が情けなくて、悔しくて、結局あいつと連絡を取ることは一切なくなった。なのにあいつは毎年律儀に年賀状を送ってくる。

今年で十八枚目になったあいつからの一方通行の年賀状。去年の年賀状に写っていた長男は、出会った頃のあいつにそっくりだった。今年はもっとあいつに似ているだろう。

そう思いながら通信面に目を向けると、そこに子どもたちの写真はなかった。差出人も去年までの連名ではなくあいつ単独のものだ。写真の代わりに干支のイラストが描かれていて、その横にあいつの癖のある字が書かれていた。

『元気にしてるか? どれでもいいから連絡をくれ。話したいことがある』

電話番号とメールアドレス、そしてSNSのIDが添えられたそれをまじまじと眺める。これは何を意図しているのだろうか。

離婚をした? 今は一人なのか? どうして今更――。

一瞬そんなことを考えたが、ため息と同時に笑いがこみ上げた。

「今さらだっての……」

思わず呟くと、ソファに寝転がって本を読んでいた男がのそりと顔を上げた。

「どうかした? 何笑ってんだ?」

「ん? 何でもないよ。母さんからお供えのお下がりが届いたんだけど、クッキー食べる? けっこううまいんだよ、これ」

「じゃあコーヒー煎れようか?」

本を置いて立ち上がった男がキッチンに向かう。その背を追いかけながらあいつからの年賀状をダイレクトメールが突っ込まれているレターボックスに放り込んだ。

十八枚目の一方通行の年賀状。今年もそれに返事を書くことはない。来年も再来年も、その先もずっと――。




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井上ハルヲ
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