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リアル鏡地獄 GENKYO 横尾忠則 原郷から幻境へ、そして現況は?

土曜と日曜なら、土曜の方が人出が少ないだろうかと思い、3月27日愛知県美術館に横尾忠則展を見に行く。
地下鉄や、オアシス21はそれなりに人がいたのに、愛知県美術館の横尾忠則展は、驚くほど人が少なく、チケットも全く並ばず買え、作品の前に客が列をなし人の肩越しに見るというようなストレスは皆無であった。
横尾忠則は私が生まれる前から活躍しているアーティストで、名前も作品もまあまあ知っていた。作品の実物も見たことがあったかもしれない。でも今回私は、展示室に入ってすぐに、これは実物を見ることができて本当によかったと思った。
なにがどうというのは説明しがたいのだが、すごくよかったのである。
松坂屋でやっている蜷川実花展も行こうと思ってたけど、なんだか、もう他のものは見たくないなと思ってしまい横尾忠則展だけ見て帰った。
たくさんの作品で時間をたっぷりかけて見た。帰りの電車でエッセイを読んだ。たくさんの作品の後ろにある作者や、作者に関わった人、時代、歴史、その他もろもろ…それが伝わってきたんだろうと思った。
いいものをみた。
私はなにか作ったり後世に残したりする人間ではないのだが、まだまだ死ねない全然生き足りないと思った。
横尾忠則展の中で、滝のポストカードを使ったインスタレーションがあった。まずその膨大な数のポストカードに圧倒された。
誰がセッティングしたんだろう。
すごい時間がかかったんじゃないかな。
鏡の床を歩くとき、しまったスカートで来ちゃったと思い、足もとを見ると、天井の高さの分だけ下に底が見え、とたんに私の足はガクガクと震え歩みがおぼつかなくなってしまった。
後で読んだエッセイには、「非常に肉体的で、ちょっとした狂気的空間」とあった。たしかにそうだった。
肉体と魂にガツンときた。
「江戸川乱歩の『鏡地獄』的効果」ともあった。
最近は技術の発達により、球形の鏡の中でその中にいる人はどう見えるかと言うバーチャルな映像を見ることができるようになった。
それは意外とつまらない映像である。
小さいスマホの画面で見るからかもしれないが。
ああ、確かにそう写るねとなんとなく理屈で納得してしまった感じである。
横尾忠則の滝のインスタレーションは、理屈ではない。
私が感じたおぼつかなさ。
この世に確かなものなどないのかもしれない。
地面がしっかりと私を支えていて、私はしっかりと足を踏みしめて歩いているなんていうのは幻想かもしれない。
そんなことを思った。

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