夏の匂いと煙草の香り

 夜風に、煙草の匂いが混じる。
 ――ここのところ、体調が悪くて引きこもりがちだ。
 ようやく、引きこもるのにも飽きてきて、ふと何気なく今日は月が出てるだろうかと気になった。
 窓を開ける。テーブルと植物たちを避けて足を踏み出し、窓枠に手をついて空を覗き込んだ。
 半分くらいが雲に覆われていて、隠れていない空には星が瞬いていた。前方にある建物に半ば隠された空を見渡して、月がないことを確認した。雲の下にあるか、とも一瞬思ったものの、雲の切れ間に月光は伺えなかった。
 残念。
 と、思った直後、流れ込んできた夜風の匂いに懐かしさを覚えた。
 成人前、よくキャンプに連れて行ってもらっていた。そこで流星群を見たり花火をしたり……その時に度々感じていた「匂い」だった。
 自然な、匂い。夏の香り。
 季節を感じさせる匂いが、わたしは好きだった。
 その匂いと星に誘い出されるように、わたしはベランダに立った。
 柵に肘をかけ、顎を乗せて空を見上げる。冬に比べて数は少なく、湿気っているためにやや朧げに見える星。
 それを見ていて、なんだか今日は暗いなと思った。月を探した時にもほのかに思っていたが。
 わたしの住むアパートには夜型の人が多いようで、ちょいちょい明かりが外に漏れている。向かいの建物からも光がさして、時にはカーテン越しにも結構な明るさをもたらしたりもするくらい。
 だが、今日はどこも消えている。隣もよく明るかったものだが引っ越して居ない。さらに月がないだけでもかなり暗くなる。
 暗がりに、夜中の人気のない時間。建物の隙間から近くの街頭の明かりが間接的に差し込む。
 朧げに光る星。月のない夜空。
 見ていたら……急に煙草を吸いたくなった。
 随分前……もはやいつかもわからない、友人が置いていった煙草。おそらく友人も、ついさっきまでのわたしも、存在を忘れていたそれを、思い出した。
 体調悪いのに?
 と、少し迷ったが、深く考えずに自然と流れるように煙草を確認していた。
 一度定位置を決めればそこから動かさないタチなので、当然のように煙草は決められた場所にあった。ガサガサと携帯灰皿も掘り出す。ライターは、キャンドルを灯すのによく使うのでその辺に転がっている。
 煙草の残りを確認してみた。四本。意外と少ないようにも思えたし、そうでもないようにも思えた。
 いずれ吸い切ったら買い足そうか……とほんのり思案する。煙草を買ったことがないので、どことなく緊張するような。そんな気がしつつ、一本抜き取った。
 煙草一本とライター、灰皿、スマホを持って再び外に出る。
 部屋の豆電球の明かりで、煙草の前後を確認して咥え、ライターで火をつける。そういえば、咥えて空気を吸って火をつけるのだと教えてくれたのは、この煙草を置いていった友人だったろうか。しばらく……数ヶ月以上吸っていなかったのに、小慣れた手つきで火をつけた。
 吸って最初の感想が、意外といい匂いじゃん、だった。自分でも意外なことに。
 煙草は体に毒だ、みたいな。悪いもの、敬遠するものという思いがあったのだが、すっかりその気はなくなったらしい。
 とはいえ、肺に入れるというより口の中で燻らせる、という吸い方をしている気がするので、勘違いかもしれない。
 煙草の苦味は相変わらず苦手ではあったが、やはり前よりも平気だった。
 夜風に、煙草の匂いが混じる。
 なんだか、とてもいい心地だった。
 気がつけば、雲は完全にどこかへ流れていってもう残っていない。
 部屋の豆電球が消えた。かけておいた三十分のタイマーが作動したようだ。
 ちょうどいい頃合いだし、この独り言もこのでおしまいにしよう。

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