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神戸の奈良時代の敏馬神社

この前、神戸に引っ越したが、この町はあまり知らないです。どのような街を分かるために、歩き回って、私の近所の神社に挨拶に行きます。

そこで、神戸の最も古い神社の一つ、敏馬神社に出会いました。マンションから5分からこんな素敵な場所があるかと少し驚いてたんです。

本殿の参道

まず、神様に挨拶と感謝。これからも、大事にされていますように

敏馬神社の本殿

そして、本殿の賽銭箱の隣には、敏馬神社の歴史のパンフレットが置いていました。一枚を取り、玉垣の近くのベンチに座って読んでみます。

名前の呼び方

まず、神社の名前は読みずらいらしい。敏馬はよく読まれているのは「みるめ」ですが、正しい読み方は「みぬめ」です。
ちなみに、阪神電鉄バスの「敏馬神社前」と「敏馬」の停留所の読み方は「みめ」と読むらしいです。

古代には美奴売、美奴面、見宿女、三犬女などとも書かれています。日本に漢字が伝わると、漢字の音を当てはめ記したと考えられます。古い言葉・地名です。

敏馬神社のパンフレット
http://engishiki.org/settu/bun/st061003-01-s.html

奈良時代の創建

神社によると、奈良時代(8世紀)に編纂された『摂津風土記』には敏馬神社が書かれていました。

『神功皇后が、朝鮮出兵に先立ち、神前松原(現在の神崎川)で神様をお集めになり占ったところ、
能勢の美奴売山(現在の三草山)の神様のお告げにより、
美奴売山の杉の木で船を作って出兵したところ大勝利を収められた。
ご帰還の際この地で船が動かなくなり、再び占い問うと「神の御心なり」と。よって美奴売山の神様をこの地におまつりし、船も献上した』

敏馬神社のホームページ
https://minumeeco.or.jp/shrine/

つまり、船の安全祈念のために建立され、昔から、重要港湾でした。そして今でも、「航海安全」「災厄や悪縁解除」のご利益があると言われています。

鳥居の近くの扁額

神社の周りの変化

扁額の古地図による海岸線は神社に近かったようなので、神戸はどれほど埋め立てられたのだと分かります。

扁額の古地図

平安時代の万葉集の和歌から、敏馬神社が全国的に知り渡った港になりました。
「新羅人が来朝すると、生田社で醸した酒を敏馬でたまう」と書かれています。つまり、敏馬神社は市内最古の格式の高い神社でした。

江戸時代のイラスト

江戸時代は、神社の前の西国街道は忙しい道で、酒造業や船運業が盛んでした。この地には俳諧を筆頭に多くの文人が集まり、扁額神社に俳諧奉納絵馬二扁が残っているらしいです。

西国街道の古地図

そして、明治時代から海水浴場として賑わい、神社の周囲には茶屋や料亭、劇場などが建ち並んでいましたが、昭和初期の海岸の埋め立てや、昭和20年の戦災により、昔の面影は失われてしまいました。
「鎮守の森だけが往時を偲ぶ唯一のよすがである」(神社のパンフレット)。

現代には、海まで全然見えず、鳥居の向こうはビルばかりです。

鳥居からの風景

町の風景は随分変わってきたと感じられます。昔みたいに、ここから梅を見ることが出来ないのは少し残念だと思いました。
昔の風景はこのように説明されています:

大和時代(八世紀)この高台は海に突きだした岬で東側は港に適した入り江であった。(…)奈良時代後半(八世紀後半)航海の進歩と共に港は西の大輪田の泊へ移るがその後は白砂青松の美しい海岸は都の歌人達の賞でる所となり「みぬめ」と「見る眼」を掛詞にした浦が多く詠まれた。

敏馬神社のパンフレット
http://engishiki.org/settu/bun/st061003-01-s.html
本殿

私の近所の神社として、とても面白い場所を見つかりました。

摂社

高い木に囲まれ、アジサイはきれいに咲いていて、
都会の喧騒から離れ、静かで落ち着ける場所です。


境内のアジサイ

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