『私の失敗2~北風と太陽編』
※画像は書影をお借りしております。
さて、私の失敗その2です。
今回は私が小学生の頃の出来事です。
みなさんは、過去に戻ってやり直したいことはありますか?
私もたまに、過去のあの場所に戻ってやり直したら? と想像してみることがありますが、大概は、やっぱりもう一度やり直すのは面倒くさいから、戻らなくてもいいや、となります。
そんなものぐさな私が、あの日、あのとき、あの場所に戻れたらと、繰り返し考え続けていることが、たったひとつだけあります。
もし、心だけ過去に戻れるなら、私は間違いなくあの場所へ飛ぶでしょう。そして、今度こそ完璧にやってのけるでしょう。
それは、学芸会の劇の、オーディションです。
小学生の私が学校行事でダントツ好きだったのが、秋に開かれる学芸会でした。毎年、学年ごとに劇をするのですが、それをとても楽しみにしていたのです。
クラスのお楽しみ会や、卒業生を送る会、新入生の歓迎会でも劇をすることはあり、それも大好きで、クラスの劇は脚本を書いたりしていました。
そんな中でも、年に一度の学芸会は規模が大きく、セットや衣装や音響も凝っていて、やっぱり別格だったのです。
私の通っていた小学校は生徒が多く、体育館も立派でした。おそらく声が響きやすい造りになっていたのでしょう。小学一年生のとき、はじめて体育館のステージで発した台詞が、向かいのバルコニーの先の壁に、ぱん! とぶつかって、館内に響き渡るのが、とにかく気持ち良くて、うわぁ~声が返ってくる! すごーい! すごーい! と、ぞくぞくしたことをはっきり覚えています。
そのとき演じたのは『スイミー』で、私は主役の黒いおさかなスイミーでした。
舞台の上で別人になるのと、本を読みながら色々な人の気持ちになるのは、私の中では同じことで、とても簡単に感じていました。これは大きな勘違いだったのですが、そこについては、またのちほど語りましょう。
とりあえず、スイミー役は大好評で、校長先生からじきじきにお褒めの言葉をいただき、翌年も、次の年も、主役を演じることになったのでした。
それは私が、マイクなしで声が体育館の隅まで届くこと、シナリオを二回読めば、自分の台詞以外もほぼ丸暗記できたこと、母の趣味が洋裁で、衣装の調達が容易だったこと、ステージに立って代表でお礼の言葉を述べたり作文を読んだりする機会が多く、舞台慣れしていたこと、なによりも学年主任の先生のお気に入りだったこと、また、共演者が台詞を失念したとき、アドリブで即カバーできたこと、などの理由がありました。
共演者が台詞を忘れる、これはなさそうで、結構あります。小学生のときだけではなく、中学、高校でもあって、そのたび意気揚々とカバーしてきました。物語の流れがわかっていれば、どうにかなるものです。むしろ、このハプニングがたまりませんでした。
舞台の評判はどれも上々で、上級生のお姉さんたちから、○○ちゃん! と役名で呼ばれて手を振り返す、などということもありました。
ただ、小学生の私は自分の役柄に、とっっっっっっても不満を感じていました。
このへんのことは、ファミ通文庫さん刊行の『楽園への清く正しき道程』の3巻あとがきで、がっつり語っております。
そう! 要約すると、私は魚や鳥やきつねのかぶりものにタイツではなく、ひらひらした可愛い衣装を着た、お姫様みたいな役をやりたかったのです!
女の子なら当然の心理でしょう。
何故、年に一度の晴れがましい大舞台で、毎回毎回、とっくりセーターにタイツに、かぶりものなのか。
役名も、プーとかポーとかゴンなどではなく、エリザベートとかコーデリアとか、もっときらきらした名前で呼ばれたい! と思ったのでした。
どうせ別人になるのなら、森の動物たちよりも、お姫様のほうがいいに決まっています。
そうしたお姫様の役も、学芸会以外の劇で何度か回ってきました。ところが、あとがきで叫んだように、どのお姫様も、とにかく静かなのです! 出番が少なく、台詞もひとこととか、舞台の上でぐーぐー眠っているとかで、まったく活躍しません。
そして、上級生のお姉さんたちから「○○ちゃーん!」と呼ばれる名前は、お姫様ではなく、どれも学芸会で演じた、タイツの動物たちなのでした。
そこで神様にお祈りをしました。
「次の学芸会では、ひらひらのドレスを着て、台詞がたくさんある役になりますように。もう高学年なので、タイツは卒業させてください」
当時、近所で開かれていた聖書を読むお茶会に通っていて、毎晩、眠る前に聖書を読んでお祈りをしていました。
世界が平和でありますように。
家族や友達が、健康で幸福でありますように。
清らかな祈りの言葉のあとに、私欲丸出しで、学芸会でお姫様の役をもらえますように、お姫様が活躍する演目になりますように、と真剣に祈ったのでした。
しかも一年間かかさず!
どれだけ学芸会に賭けているのでしょう!
秋に入ると私の祈りは、ますます熱を帯びてゆきました。
そろそろ演目が発表になる頃です。
そんな中、担任の先生から、放課後被服室へ行くよう指示がありました。
来た!
これは学芸会の顔合わせに違いありません!
放課後早々、期待に胸をときめかせながら被服室へ向います。
被服室には、すでに先生や他の生徒たちが集まっていました。
各クラスから男女それぞれ二名ほどです。
「今年の学芸会の演目は、『北風と太陽』です」
先生の言葉に、私は思いっっっきり、がっくりしました。
北風と太陽~?
お姫様、出てこないじゃありませんかぁぁぁ!
どうなってるんですか、神様ぁ!
先生からシナリオが配られ、あ~、今年もタイツかぁ、とページをめくった私でしたが、配役一覧を見るなり背筋を正しました。
北風の王
日の女神
女神!
きっと頭に、風や太陽のかぶりものをするのだろうと、がっかりしていたら、よもやの女神様!?
急いで続きをぱらぱらめくってみると、北風の王とその一族が猛威を振るう冬の世界に、日の女神が現れ、春を呼ぶというストーリーになっています。
やっていることはイソップ童話の『北風と太陽』と同じです。
けれど華やかに脚色されていて、しかも太陽は“日の女神”です! 出番ばっちりです! 台詞いっぱいです! 北風の王と対決するシーンの台詞の応酬が、たまらなくカッコいいです!
戦う女神様、最っっっっっっ高です!
衣装も当然、ひらひらドレスでしょう。
うわぁぁぁぁぁ、これを待っていたのです。
神様、ありがとうございます! ありがとうございます! ありがとうございます!
その場でハレルヤを歌いたい気持ちでした。
ところが。
これまでキャストは指名制で、学年主任の秘蔵っ子だった私は、ずっと主役でした。
それがその先生は、前年度で定年退職され、この年からは、劇の配役はオーディション形式にしますと告げられたのでした。
被服室に集められた二十数名ほどの生徒が、男子と女子に別れて、男子は北風の王の台詞を、女子は日の女神の台詞を、順番に読んでゆくという。
このシチュエーションに、私は逆に燃えました。
まるで『ガラスの仮面』のようではありませんか。
こうなったら完璧な演技をして、日の女神を勝ち取るしかありません。
役を演じる際の、重要なポイントのひとつに、恥じらいを捨てられる、ということがあります。
小学生にいきなりシナリオを読ませたら、大抵の子は恥ずかしがって、演じるどころではありません。
その点、私はその場で役に入ることに、わずかな恥じらいもありませんでした。演じているときは別人なのですから、恥ずかしいことなどひとつもありません。これは大きなアドバンテージです。
学芸会で三年間、主役を張り続けた実力を、今こそ見せるときです。
イケる! と、私は確信しておりました。
こうして、オーディションがはじまったのです。
台詞は北風の王と、日の女神が対立するシーンです。
地上を雪で染め、霜の兵隊や氷柱の精霊たちと暴れる北風の王に、日の女神が、春が来たので去るように告げるのです。
この地は永遠に冬が続くと叫ぶ北風の王に、日の女神は、
「いいえ、いいえ。小川の水が流れ出し、小鳥がさえずり、かげろうが揺れるのです」
と一歩も引かずに立ち向かいます。
このやりとりが本当にカッコ良くて、頭の中では、燦然と輝く日の女神が、凜とした眼差しで北風の王を見据えていました。
よし、とにかく女神の威厳に満ちて、北風の王に負けない大きな声で!
しかし、私はすでに致命的な失敗を犯していたのでした。
私だけではなく、オーディションを受けている他の女の子たちも……。
順番が回ってきたとき、私は迷わず、戦う女神の声を響かせました。
イメージ通りにできたはずです。
北風の台詞を読んでいた男子もたじろぐほどの威厳を振りまき、完璧に演じきったつもりでした。
ところが、日の女神に選ばれたのは、私ではなく別の女の子でした。
ええええええ! なんでぇ?
当時は理由がわかりませんでした。
選ばれたその子は、台詞にあまり抑揚もなく、どちらかというとおとなしめだったからです。
何故、私は選ばれなかったのか?
大人になった今の私には、はっきりとわかります。
イソップの『北風と太陽』を正しく読み解いていれば、答えは明白です。
そう、日の女神は、戦ってはいけないのです。
私を含め、他の女の子たちも全員残らず、強い口調で北風の王に台詞を返していました。
「いいえ(キリッ)! いいえっ(さらにキリッ)! 小川の水が流れ出し(凜々しさ満点)、小鳥がさえずり(威厳たっぷり)、かげろうが揺れるのです(きっぱり、はっきり)!」
みんな、語尾のあとに「!」がつきまくりです。
ここは北風の王と言い合うシーンだからと、小学生の私たちは思ってしまったのです。
けれど、『北風と太陽』は、そういうお話ではありませんよね?
北風が強引に剥ぎとろうとした旅人のマントを、太陽があたたかな陽射しを投げかけて旅人が自分からマントをぬぐようにするというお話です。
ここは日の女神は、ほのぼの、おっとりした優しい口調で、
「いいえ(にっこり)いいえ(にっこり)、小川の水が流れ出し(おっとり)、小鳥がさえずり(ゆったり)、かげろうが揺れるのです(にっこり)」
と演じるべきでした。
役になりきるなんて簡単、と思っていた私は、大きな解釈違いをしていて、そのことにも気づけない未熟な子供だったのです。
日の女神に決まった女の子も、やっぱり“戦う女神”を演じていました。ただ、抑揚が少なくおとなしめな分、強気さよりも賢さが出ていて、それが彼女が選ばれた理由だったのでしょう。本番でも知的な女神を演じていました。
そうして、敗れた私が指名された役は、霜の令嬢でした。
白いドレスを着て、後ろに霜の兵隊たちを従えて、「霜のおうちへいらっしゃい♪」とソロで一曲歌う、という役柄です。
このソロ歌以外、単独の台詞がなく、しかも私は微妙に音痴でした。人前で演技するのは恥ずかしくなくても、人前で歌うのは、めちゃめちゃ恥ずかしいし、ためらいがあります。
楽曲指導の先生からも、音程がズレている&また喉で歌っている、おなかで歌いなさい等々、ダメ出しされまくりで。よりによって何故私にこの役を振るのかと、ますますがっくりしました。
それでもまぁ一応ドレスだし……頑張ろう、と学芸会の当日、こぼれんばかりの笑顔で歌い上げた私は、やっぱりここでも思いっきり解釈違いをしています。
だって、霜の令嬢ですよ?
北風の王の一族ですよ!
だったら、お愛想たっぷりに、「わたしのおうちへ来て来て~! 大歓迎よ~!」と言わんばかりに、にこにこにこにこ歌ってはいけません。
ひんやりさめた目をして、無表情に淡々とささやくように、誘惑するように歌うのが、正解です。
思い返せば返すほど、後悔があふれます。
この失敗に気づいたのがいつだったのか、はっきり記憶していないのですが……それ以降、延々と、あのオーディションの場に戻ってやり直したい、と想像し続けていました。
今度こそ完璧に演じるのだと。
私にとって、お芝居で役に入り込むことと、本を読み登場人物になりきることは同じだと書きました。子供時代のほうが格段に心がやわらかく、感じやすく、なにを読んでもおもしろくて仕方がありませんでした。
けれど、どんなに役に入り込んでも、それは子供の頭と経験で想像した範疇にとどまっていて、歳を重ねなければ理解できないことや、感じられないことも、たくさんあります。
大人の私がすんなり辿り着いた“正解”に、子供の私が辿り着けなかったように。
大人になればわかること、大人だから感じられること、心を揺さぶられることも、山のようにあって。だから私は今の私に、そこそこ満足していて、過去に戻ってやり直したいとは思わないのです。
それでも、たったひとつ、あの日のオーディションだけは、日の女神・正解バージョンを、ふんわり気高く演じきって、先生やみんなの賞賛の眼差しを浴びたかった~! と思ってしまうのでした。
きっと、絶対、最高の気分でしょう!