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【小説】菜々子はきっと、宇宙人。(第6話)
3月の月日はあっという間に流れ、なんとか菜々子の手伝いもあって、引越し作業も無事に落ち着き、晴れて4月1日を迎えた。
今日は、菜々子が紹介してくれた、これから働く山奥の林間学校での仕事の初出勤日だ。
いつもより早く目が覚めた私は、朝からお湯を沸かして、インスタントコーヒーを作り、それを持ってベランダに出る。
今日の天気は晴れ。朝日のまぶしい光と、少し肌寒いけれど朝日によって少しあたたかくなった風、その光が差し込んで輝いている川の湖面、流れる川の音、彼らがみな、私の新しい仕事への緊張と不安の気持ちを和らげてくれている。
なんだか今日1日頑張れる気がして私はうんと大きく背伸びをした。
「よし、頑張ろう!」
そう自分に気合を入れて、私は職場へと車を走らせる。私の住む家から職場までは、早ければ約15分。私のようなペーパードライバーののろのろ運転だと約20分強くらいかかる。不安だったので、何度か事前にシュミレーションをしていた。それに気づいてくれたのか、今日は本来であれば8時半出勤のところを、ちょうどオリエンテーションをしてくださるスタッフも朝一用事があるからと、9時過ぎくらいの出社でゆっくりでいいよとその林間学校を管理している所長さんが配慮してくれたのでありがたかった。
私が住んでいる標高約200メートルに位置する小さな温泉の町から、さらにかけあがって、新しい職場は標高約400メートルのところに位置している。
近づけば近づくほど、緑が深くなって、一部は携帯の電波さえも通らなくなる。
心細さに比例して、さらに細くなった山道を抜けて、なんとか私は職場にたどり着いた。
なんとか必死で所定された駐車場にバック駐車を終えて、入口から事務所の中に入る。
「おはようございます。」
おそるおそる声を出して挨拶すると、所長さんが、笑顔で出迎えてくれた。
「あーよかった。無事来れたね!今日からよろしくね!」
そう言って、私を他スタッフに紹介してくださった後、副所長さんと呼ばれる方に館内の案内などを含めたオリエンテーションを受けた。副所長さんは丁寧に優しくあれこれを説明してくれた。予想はある程度していたつもりだったのだけれど、館内は驚くほどに広い。一番北にある体育館から南にある利用者が宿泊する宿泊棟のはじまで歩くだけでゆうに5分は超える。さらに施設の裏にあるキャンプ場までは、歩いて15分くらいかかった。
館内を歩き回るだけで、普段まったく運動しない私の身体はすでに悲鳴をあげていた。
オリエンテーションを受けた後、経理の方に案内され、契約書類などの手続きを無事終えると、副所長さんが私に声をかけてきた。
「早速最初の仕事のお願いで申し訳ないんだけど、、、。菜々子を探してきてくれないかな?」
「え、菜々子ですか?今日朝出社してませんでしたっけ?」
「いや、出社はしてるんだけどさ、今日、彼女が担当している今度の親子イベントの参加者名簿作成の締め切り日なんだけど、、。どうもパソコン画面を見続けるのが駄目らしくて、途中途中で休憩しにいくんだよ、、。」
「はぁ。」
「もうすぐお昼前になるし、ある程度進捗も聞きたいからさ、たぶんその辺の木の上にいると思うから。」
「木の上?」
「そう、木の上。」
副所長さんは笑いながらも少し困ったような表情で、私に最初の仕事を依頼してきた。
私は戸惑いながらも言われた通りに菜々子捜索の仕事に取り掛かった。
とりあえず事務所を出て、人が登れそうな木がたくさん生えている場所を見つけて移動する。
「菜々子〜〜!どこいるの〜〜?」
「はる〜〜!ここだよ、こ〜こ!」
「あっいた!」
声のする方を辿ると、地上から3メートルくらいある木の上の幹にちょこんと菜々子が座っていた。その木の麓まで行って菜々子を見上げる。
「はるも登ってくる?ここ、私のお気に入りの場所なんだ!」
「いや、いいよ。私登れないし!それに、副所長さんから探してこいって言われたよ!名簿、まだ完成してないんでしょ?」
「あー、そうだったそうだった。今降りていくねー!」
菜々子が、丈夫な枝を瞬時に見分けて、つたいながら、スルスルとあっという間に、まるで猿のように木から降りてきた。
「ねー、何してたの?仕事中じゃないの?」
「いや、パソコン作業ってさ、目に悪いじゃん。15分くらい画面見てただけで目がちかちかするし、目が悪くなるとか私嫌なんだよね。だから、目が悪くならないように、ここに登って、定期的に遠くの緑見るようにしてるの!緑色って目にいいって言うでしょ?ここにはたくさん緑があるから。」
「でもパソコン見続けられないって致命傷じゃない?だって今どきどの職場もパソコンなしの仕事ってなかなかないしさ。」
「だから、この仕事選んだんだよ。だって、基本子どもたちの自然体験の補助だからあんまりパソコン使わなくていいじゃんって、けどちょこちょこ使う場面あって、最悪よ。」
「新しい職の選び方だね。」
「まぁね。あーあ、またあの画面見なきゃいけないのやだなー。ねぇ、はる手伝ってくれない?」
「いいけど、手伝っていいか確認してからね!」
「やったぁ!」
そう言って、事務所に戻って、副所長さんに了承を得て、菜々子の名簿作りを手伝うことになった。
「これを、このエクセルに入力すればいいの?」
目の前に積み上げられたA4用紙の山を指差しながら菜々子に質問する。
「そうそう、この用紙が参加者さんから送られてきた申し込み用紙になるから、それを全部打ち込む作業!」
ざっと厚みからして80枚くらいだろうか。菜々子の途中まで入力した画面をみると、いまだ10人分の入力さえ終わっていなかった。
「ねぇ、今日締め切りなんでしょ?まだ全然終わってないじゃん!」
「えへへ」
「えへへじゃないよ。わかったから貸して!」
菜々子のパソコンからデータを取り出して、自分のデスクのパソコンでそれを開く。開いた瞬間、気持ち悪くなった。菜々子が途中まで入力したエクセルの枠の中には、参加者の住所や電話番号が記載されているが、まるで半角と全角の文字がわざとのようにごちゃごちゃに混ざっている。
「ねぇ、菜々子ってさ、半角と全角の違いってわかる?」
「え、何それ知らない!」
「この表みて自分で違和感わかない?」
「うーん。」
「いいや、とにかく私が入力してくね!」
表の体裁を整えた後、1枚1枚、間違いのないように確認しながら入力していった。
「えー、何それ速すぎる!魔法みたい!」
「何が?」
「えー、だってさ、キーボード打つ指見えないくらい速いんだもん!しかも全然指みてないじゃん!位置見なくてもわかるの?」
「あー、ブラインドタッチね、前職で嫌と言うほどパソコン使ってたからね!」
「えーすごいすごい!すごすぎるよ、はる!」
菜々子に横でチャチャを入れられるのを跳ね除けながら、なんとか1時間かからないうちに入力作業と念のための確認作業を終えた。
「終わったー!菜々子終わったよ!」
事務所の別の場所で作業をしていた菜々子に声をかける。
「え、もう終わったの?嘘でしょ?」
「え、終わったよ!普通にもう1回間違いないか確認してくれたらうれしいけど!」
「え、速すぎる。普通に今日じゃ終わらないと思ってた。」
「いやいや、それはないでしょ。だって締め切りなんでしょ?」
「そうだけど、、ほんとに魔法みたい!」
一連のやりとりを見ていた副所長さんが私たちに近づいて声をかけた。
「中村さんは、とってもパソコンが得意なんだね!すごいスピードだよ。僕もすごくパソコン苦手ながらうらやましいし、ありがたい!それなら僕の資料作成もお願いしていいかな?」
「あ、はい!ぜひぜひ!」
「えー、ずるい!俺も名簿打ち込みお願いしたい!」
話を聞いていた別のスタッフの山田さんが、私のデスクに別イベントの名簿をずしんと置いてきた。
「こんなかんじでよければ、全然私やりますよ!」
いつのまにか、さまざまなパソコン作業とやらで、目の前にやる仕事がいっぱいになった。
私は、はじめての職場で役に立てたのが嬉しくて、早速、受けた仕事に取り掛かろうとした。
「はい、でもそんな急がなくていいし、12時になったよ!昼食を食べよう!」
時計を見ると、ちょうど12時の方向を針が指していた。おそらく、12時をお知らせしているのだろうチャイムも同時に鳴っている。
そのチャイムを合図に、事務所にいた10人足らずのスタッフたちが、一斉に各々お弁当やらを準備しはじめた。
不思議な空間だった。前の職場では、お昼休みなんてきちんと取る暇もなく、せわしなく働いていたから。
戸惑いながらも、私は持参したおにぎりをバッグから取り出して、他のスタッフかそうしているように、自分のデスクで食べ始めることにした。そういえば、私の目の前のデスクにいたはずの菜々子が消えている。見渡すと、事務所の奥にある給湯室で何やらゴソゴソしているのが見えた。気になって近づいてみる。
「何してるの?」
「あー、うどん茹でようと思って!節約節約!」
給湯室にはガスコンロが備え付けられていて、そこに小型鍋が置かれ、中で沸々とうどんが茹でられている。
「ここ、調理していいの?」
「うん。だからだいたいそうめんとかうどんゆでるから、めんつゆと冷凍ねぎはいつもこの冷蔵庫の中に、常備しているんだ!」
「なるほど。」
「ねね、ゆであがったら一緒にご飯食べようよ!」
「おっけーおっけー。」
そう言って、できたうどんをボウルに入れた菜々子と一緒に、私はおにぎりをもって、事務所の前にある、芝生広場のところでひなたぼっこをしながら昼食を食べることにした。
「う~ん、おいしいし、気持ちいい風だね~。」
「たしかに、ほんと今ちょうどいい気温かも。てか、昼食そのうどんだけなの?」
「ううん、あとね、ブルーベリーがあるんだ!」
「ブルーベリー?またなんで?」
「ほら、さっきも言ったじゃん。パソコン作業長いと目が悪くなるからその予防のためだよ!今日ははるに助けてもらったからセーフだったけど!」
「なるほどね笑」
そういえば、高校時代のグラタンとおはぎの組み合わせを思い出して、私は思わず笑みがこぼれた。
「いや~でも、無事はると一緒に働けることになってよかった!」
「いや、こちらこそいろいろありがとうね!」
「全然よ。これからたのしみ~!はい、はるたくさんパソコン作業してたっからブルーベリー食べて!」
「ありがとう。」
そう言って口に含んだブルーベリーは、きっとどこかに忘れてきていたような、甘酸っぱい、青春みたいな味がした。
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