見出し画像

【小説】菜々子はきっと、宇宙人(第13話)

11月を迎え、紅葉の種類の木々たちは色づき、早いものは、綺麗に散って、ふかふかとした、色とりどりの落ち葉たちが、絨毯のように敷き詰められている中を、音を立ててかき分けながら、私はどんぐりを探していた。

この季節、子どもたちが森の工作で使用するどんぐりのストックを作っておくため、落ちたどんぐりを拾いにいくのも、重要な仕事の一つだ。

拾いはじめて約1時間が経った頃だろうか、地面にしゃがみながら、1つ1つ実の状態を確認しながら拾う作業のおかげで、腰にだいぶ疲労がたまっていることに気づいた。

「ちょっと休憩!」

近くで作業していた菜々子に声をかけて、持ってきていた水筒がある場所に移動して腰かける。そして水分を取った。

「あー疲れたね。」

「うん、結構腰にくるけど、この作業楽しい!どんぐりって私1種類だけだと思ってけど、よく見ると形もついている傘もいろんな形があっておもしろいね!」

「そうなの?私全然気づいてなかったよ。はるはすごいね。」

「そうかな?どのくらい拾えた?」

「えっとねー。」

菜々子が拾ったかごの中に敷き詰められたどんぐりを見せてきた。

「え、待って待って。全然形違うのが全部一緒になってるじゃん!ちゃんとわけないと!それにさ、穴空いているやつとか汚れがあるやつも入ってるよ!」

「わーほんとだ、気づかなかった。はるのは?」

私は、菜々子とは違い、大きなかごの中に小さなかごをいくつも置いて、形ごとに違った種類を区分けして、綺麗に分類されたどんぐりたちを見せた。

「えーすごい。こんなにちゃんと分別して!それに、何でそんなにきれいな実ばっかりなの?」

「だって選んでるもん。せっかく記念の工作に使うなら、きれいな実の方がいいでしょ!」

「たしかに。けど、これ、すごいよ。私にはできないよ。はるはどんぐり拾いの才能があるんだね!」

どんぐり拾いの才能、、、。才能があると言われることはたしかに気分のいいものだけれど、一体何の役に立つのかもわからない才能を褒められたところでうれしくはない。

「別に、才能ってほどのものじゃないでしょ。菜々子がちょっと雑すぎるんじゃない?」

「まぁ、私基本雑だからね。それにあんまりどんぐりに興味ないし。」

「えー、こんなにかわいらしいどんぐりたちなのに興味沸かないの?」

「うん。沸かないなー。けどさ、私ほんと才能だと思うのよ。どんぐりにもちゃんと種類とかがあるらしいよ実は。私興味ないから断っちゃったけど、今度、私の知り合いのね、お姉さんがどんぐりクッキーの講座を開くらしいから、はる行ってみたら?」

「どんぐりクッキーの講座?」

「そう。その人どんぐりにすっごく詳しいんだよ。」

「へぇ、面白そう!その人につないでもらえる?」

「いいよ!」

そんな話をしながら、作業を再開して、後日、私は、菜々子に紹介されたお姉さんのどんぐりクッキー講座に参加することになった。

集合場所に予定より早く着いたので、周辺にあった木々たちの下に落ちているどんぐりを見渡していく。すると、驚くほどにたくさんの種類のどんぐりが落ちていた。すごい。

感動していると、講座参加者が続々と到着し、最後にどんぐりに詳しいというお姉さんが、小さな4歳くらいの女の子を連れてその場所に到着した。眼鏡をかけて、身長も小さくて、なんだか森から出てきそうなかわいらしい女性だった。

「みなさん、今日は講座に参加いただきありがとうございます。本日の講師を務めます、横山と言います。早速ではなんですが、あとで夢中になって忘れてしまいそうなので、まず最初に、講座費用をいただきますね。」

そう言って、私を含む6名の女性の参加者たちが、講座費用を順番に支払っていく。参加費用は材料代を含む1500円。良心的な価格だ。

「お支払い、ありがとうございました。それでは本日の工程を説明しますね。まずは、この公園で、どんぐりクッキーの素材となるマテバシイの木のどんぐりを拾って、そのあと公民館に移動して、クッキーづくりを行います。」

そう言って、何やら持っていた大きな紙袋の中から、どんぐりの標本を取り出しはじめた。その標本には約20個くらいの形の違ったどんぐりが貼り付けて並べられていて、その1つ1つに名前が記されていた。

「どんぐりにはたくさんの種類があります。みなさんに今日拾っていただくのは、このマテバシイという細長い形をした、とても殻の固いどんぐりです。その中には、食べるのにちょうどいい甘さのおいしい実が入っています。」

どんぐりお姉さんは、とても生き生きと約20種類あるどんぐりの実の中からいくつかの種類を参加者の前で説明してくれた。なるほど。どんぐりにもたくさんの種類があるのか。それに食べられるものも結構あるなんて。知らなかった。私はこれからの作業にワクワクしながら、その説明を熱心に聞いていた。

「はい、それでは、これ以上話すと、夢中になって、話だけで終わってしまいそうなので、早速、どんぐり拾いに取り掛かりましょう。ビニール袋等お忘れの方はこちらでも用意してますので、気軽に声をかけてください!」

そう合図がかかるやいなや、私は早速、バッグから持参していたビニール袋を取り出して、さっきすでに確認していたマテバシイの木の下に行って、黙々とどんぐりを拾いはじめた。1つ1つ実の状態を確認しながら、手早く袋に入れていく。ちょっと違う形をした種類のどんぐりはせっかくなら後で説明を聞こうと、別のビニール袋に分けて入れて、次々と拾っていった。
普段から仕事で拾っているせいか、ペースは他の参加者さんよりも早いみたいだ。その様子が目立ったのかはわからないが、横山さんの娘さんだというみのりちゃんが私に近づいてきた。

「どんぐり、好きなの?」

「うん、好き。ママがいろんなこと教えてくれるの。」

「それはいいねぇ。一緒に拾おっか。」

「うん。」

そう言って、私はみのりちゃんと一緒にどんぐりを拾いはじめた。
拾いながら、みのりちゃんの様子を見ていると、慣れているのか、ちゃんと実の状態を選びながら拾っていて、さすがだなと感心しながら、負けないようにどんぐりを拾った。

「お姉ちゃん、どんぐり好きなの?」

急にみのりちゃんが私に声をかける。

「うん、好きみたい。全然自分では気づかなかったけど、今楽しい!」

「うれしい!どんぐりのおともだちだね。」

「そうだね。」

なんだか、心があたたまった。言われて気づいたけれど、たぶん、私はどんぐり拾いが好きだ。

「すみません、、、。お任せしちゃって、、、。」

ちょっと離れた場所から横山さんが私たちに近づいてきた。

「いえいえ、私も一緒に拾うの楽しいし、刺激になるので。みのりちゃん、ちゃんと実の状態確認しながら拾っているの、ほんとにすごいですね。」

「あら、うれしい。気づいてくれたの?あんまり、人になつかないから困ってたんだけど、中村さんには、あまり人見知りしてないみたいね。もしかして、保育士さんとか?」

「いえいえ、全然保育士だなんてそんな。あ、でも林間学校で働いているので、人よりは普段子どもと接しているかもしれないです。」

「なるほど。だから、子どもと接するの上手なのね。いつも講座開くときも、みのりがぐずっちゃって困ることも多かったのよ。だから、すごく助かったわ。それにどんぐり拾いも上手なのね。」

私が拾ったどんぐりを入れた2つのビニール袋を指さして、横山さんが言った。

「いえいえ、最近、よく仕事で拾っているので。」

「ちょっと見てもいい?」

「はい。ちょっと恥ずかしいですが、、、。」

横山さんが私のビニール袋を手に取り、その中を確認した。

「やっぱり上手よ。だって、きれいなものばかりだもの。それにちゃんと種類も区分けしてある。」

「そうですかね?」

「えぇ、ここだけの話ね、、、。」

急に横山さんの声のボリュームが小さくなる。

「ちゃんとどんぐりに興味がないと、こんなにきれいな実を揃えたり、区分けしたりできないものなのよ。私も講座をはじめた最初の頃は驚いたの。自分と同じペースとやり方でどんぐりは拾うもんだって、思ってたから。だってそんな難しい作業でもないと思うでしょ?けどね、全然ダメで、参加者の人たちは、クッキーに使う十分な量には、全然到達しなかったし、作る前に区分けしなきゃいけないから、時間も足りなくて、、、。後で説明するけど、それ以来、念のためのストックを事前に拾って準備するようになったのよ。」

「えぇぇぇそうだったんですね。知らなかったです。」

「ここだけの話だから内緒ね、、。またあとでじっくり話しましょう。少し、みのりを看てもらっててもいい?」

「えぇ、全然。私でよければ。」

「ありがとう!ほんとに助かるわ!」

そう言って、横山さんと話している間に、おもしろくなかったのか、私の手を引っ張っていたみのりちゃんに連れられ、私たちはまたどんぐり拾いを再開した。横山さんは、1人1人の参加者のところを丁寧に回っているらしい。後ろ姿が頼もしかった。あっという間に時間が経って、私とみのりちゃんのビニール袋はマテバシイのどんぐりでいっぱいになった。

「みなさん、お疲れさまでした。それぞれ、しっかり水分を取って、公民館に移動しましょう。」

そう言って、近くの公民館に移動し、公民館の調理室で、どんぐりクッキーづくりがはじまった。参加者は、2つのテーブルに分かれて、みのりちゃんは私の横で座っていることになった。

「机の上に置いてある、金づちと雑巾を使って、マテバシイの固い殻を割って、中の実をボウルに取り出していきます。くれぐれも怪我をしないように注意しながら行ってください。そして、取り出した実をすり棒で細かくすりつぶしていきます。」

そう言われ、早速私たちは同じテーブルの2名の参加者、米倉さんと山口さんと一緒に作業を開始した。
横山さんがすかさず、マテバシイのストックを持って、慣れたかんじでテーブルを見回ってくる。

「中村さんの拾った量あれば、このテーブルは大丈夫ね。」

そういって、もう1つのテーブルに横山さんはストックを補充しはじめた。
一緒のテーブルの米倉さんと、山口さんが、すごい。ありがとうございます。と声をかけて、私の自己肯定感を上げてくれる。横山さんの言っていた通り、私はどんぐり拾いが上手らしい。

どんぐりを雑巾の間に挟んで、怪我をしないよう、狙いを定めてゆっくりと1つ1つ割り、中身をボウルにうつしていく。簡単なようで、1つ1つ割って実を取り出していくのには、結構な時間がかかる。途中から、一緒のテーブルの方たちと分担して、私はどんぐりを割る係、米倉さんは中身を取り出す係、山口さんはそれをすりつぶしていく係に分かれて地道に作業を行った。

そして、十分な量を取り終えたところで、一般的なクッキーの材料である、小麦粉、砂糖、牛乳等を混ぜ合わせてできた生地に、すりつぶした粉たちを練り込んでいく。練り込んだあとは、形を整えて、クッキーの形にくり抜き、オーブンにセットした。

公民館に着いて、クッキー作りをはじめてから、すでに2時間が経過していた。公園には午前中に集合していたのに、あっという間にお昼の時間帯を過ぎている。

「はい、みなさま一旦ですが、お疲れさまでした。それではクッキーができるまで、事前に持参するようお伝えしていた昼食を各自取られてください。そのあとデザートとして、どんぐりクッキーを、そして、本日はどんぐりコーヒーもご準備しておりますので、楽しみにしていてください!」

そう言って、横山さんは、どんぐりコーヒーとやらの準備に取り掛かったので、私たちはそれぞれ昼食を取り出して、テーブル毎に食事を食べはじめた。

「疲れたわねぇ。ふぅ。」

そう言って、疲れた表情を浮かべたどんぐりをすりつぶす係を担ってくれた山口さんが、ため息をついた。山口さんは60代くらいだろうか。本日の参加者の中では、一番年配のように見えた。

「ほんとうに。でも楽しかったですねぇ。」

そう答えた米倉さんは30代くらいだろうか。米倉さんと私は笑顔で目を合わせる。

「年金もらいはじめて、たいした趣味もなかったから、新しい趣味になるかもと思って参加したけど、どんぐり拾うのは、腰も痛いし、1個1個作業するのも腕使って、もう疲労困憊だわ。みなさんとやるのは楽しいけれど、これじゃあ1人でできないねぇ。」

「たしかに、意外と重労働でしたね。」

本当にそう思って答えた。まだ一応ぴちぴちの20代で普段、身体を使って仕事している私でも結構疲れているので、60代の山口さんからしたら、それは疲れること極まりないだろう。

「でも、私はいい勉強になりました。小学生の娘が、最近学校で毎日のようにどんぐりを拾ってくるので、これは家がどんぐりだらけになって困ると思っていたところに、どんぐりクッキー講座なんて、食べて消費できるならと思ってうれしくて参加したのだけれど、ほんとにいい収穫だったわ。家に帰ったら早速、娘のどんぐりコレクションからマテバシイを探そうと思っているわ。もう今日嫌というほど形を見て、中身をくりぬいたからね。」

どんぐりの中身を取り出す係を担ってくれた米倉さんの一言で、テーブルにあたたかな笑いが起きる。

「たしかに。もう見飽きるくらいに完全に覚えましたもんね。」

「ほんとよ。家がどんぐりだらけになる前に参加してよかったわ。」

「さっき、横山さんに聞いたら、学校の校庭にもこのマテバシイの木は植えてあることも多いそうなので、あるといいですね!」

「うん、期待してる。そういえば、中村さんはどうしてこの講座に参加したの?」

「うーん。ちょっと説明するの難しいんですけど、友人にどんぐり拾う才能があるよって言われて、、、。それで参加しました、、。」

発言してみて、すごく恥ずかしくなって即座にその発言を撤回したくなった。

「そうだったのね!なになに、そんなに恥ずかしがることないじゃない。私、そのお友だちの気持ちすごく共感できるわよ!ねぇ、山口さん?」

「いやぁ、ほんとたまげたもんだよ。若いのもあるんだろうけど、私たちとは、拾うどんぐりの数だって、びっくりするくらい違ったし、それに、私が拾ったどんぐりなんて、穴あいてたり、傷んでたりして、ほとんど使えなかったもの。ほら。」

そう言って、山口さんが、使えなかったどんぐりが入ったビニール袋を取り出して見せてくる。クスクスとまた、あたたかな笑いに包まれて、恥ずかしがっていた私の心が和んだ。

「私は、、、実はすごく楽しかったんです。どんぐりを拾うのも、割る作業も、ほんと無心って感じで、、、。たぶん、好きなんだと思います。あんまり、自分自身でこんなに楽しめることって今までになかったので、、、。」

「あら、今気づいたの?向いてるわよ。どんぐり。私が言うのもなんだけどね。きっと私のお掃除みたいなもん。」

「お掃除?」

「そう、私ね、娘が生まれる前までは、バリバリ仕事してて、家事なんてほとんどしたことがなかったのよ。家も汚かったし。けどね、旦那も仕事忙しかったし、ある程度収入もあったから、子どもとか家庭の時間もこれからは大切にしたいなって思って、娘ができたとわかったすぐに仕事を辞めて、専業主婦になったのね。最初はひどかった。妊娠中だし、もちろん不安定な部分もあったのだと思うけれど、とにかくね、人と会えずに家に一人でいることが耐えられなかったの。寂しくて、こう、社会から孤立しているみたいなかんじ?何も手につかなくて、仕事してないのに、まったく家事もできなくて、余計に自己肯定感が下がって、悪循環だったわ。」

「それは大変でしたね、、。けど、それとお掃除がどんな風につながるんですか?」

「ある日ね、いつものように昼間からテレビを見ながらゴロゴロしてたのよ。そしたら、たいした尺ではなかったんだけど、お昼のニュース番組の中で、家の水垢きれいに落としましょうみたいな特集が放送されてたのね。特にお風呂の水垢がひどかったから、ちょっと気になって見ていたら、なんてことない、意外と簡単に手に入るお掃除用具の組み合わせだけで、水垢がきれいになることがわかったのよ。半信半疑ではあったんだけど、特にすることもなかったから、ドラッグストアに行って、テレビで言われていた通りの道具を揃えて、お風呂を掃除したの。そしたら見違えるほどきれいになって!帰ってきた旦那もそれに気づいて喜んでくれたときは本当にうれしかったなぁ。今でも覚えてる。」

「そんなことがあったんですね。」

「ごめんね。なんだか自分語りしちゃって。」

「いえいえ。」

「そのときね、無心だったの。生まれてくる子どものこととか、このままで私は母親になれるのだろうかとか、仕事を本当に辞めてよかったのかっていう不安で毎日いっぱいだったのに、お風呂を掃除している時間はね、そんな不安から全部解放されてたの。きっと、楽しんでいたのだと思うわ。今のあなたのようにね。それからはもうお掃除にはまっちゃってはまっちゃって、、、。自慢じゃないけど今も家中ほんとぴかぴかよ。」

「それ、すごいですね!」

「すごいなんてことはないけど、私の人生には必要だったみたいなのよ。もちろん今でもほら、世の中悪いニュースも多いし、娘とか家族のことを考えると不安になるけど、不安になる度に私は掃除しているわ。掃除自体も無心で楽しんでるけど、綺麗になった家で過ごすっていうのがまたさらに満たされるのよね。」

「なんだか、うらやましいです。私のどんぐり拾いにはそんな要素なさそうなので。」

「何言ってるの!現に私たちは今日あなたがいて助かったわ。それに、みのりちゃんだって、いい刺激になったと思うわよ。」

隣に座っているみのりちゃんの顔を覗くと、おにぎりを食べながらにっこりと笑顔を浮かべてくれた。

「どんぐりのおともだち。」

そう呟いて黙々とおにぎりを頬張っている。

「私ね、今日参加して思ったの。横山さんみたいな存在って貴重だなって。ほら、今の子どもたちって、自然と触れ合う機会少ないじゃない?それに親世代の私たちだって、自然のこととか、どんぐりのこととかもちろん詳しくないでしょ。だからね、むしろお金払ってでも一緒に公園をお散歩してほしいと思っているのよ。どんぐりについてお話しながらね。また世界が広がると思うの。あなた、弟子入りしたら?」

「ですね。考えます。」

ちょうど、オーブンのクッキーが焼きあがった音がした。恐る恐るオーブンを開けると、部屋いっぱいに、香ばしいクッキーの香りが広がった。

「うわぁ、おいしそう。」

みんなで感嘆の声を上げながら、クッキーをそれぞれのテーブルのお皿に盛りつけていった。そして、その香りとともに、横山さんが淹れてくれたどんぐりコーヒーの香ばしい香りもさらに部屋いっぱいに広がっていく。

「いただきます!」

みんなでクッキーを頬張る。口の中に本当に香っていた通りの香ばしさが広がった。普通のクッキーよりも少し大人向けではあるが、甘さが控えられていて、とにかく香りを楽しめる。例えていうなら、紅茶クッキーみたいなものだろうか。

「おいしいねぇ。」

みのりちゃんもぱくぱくとクッキーをおいしそうに食べている。

クッキーと一緒にコーヒーにも口をつける。こちらも、ちょっと好き嫌いは分かれるかもしれないが、よい苦みと酸味で、なんというか渋い味だ。
甘いものが苦手な大人にはぴったりの組み合わせだった。

「みなさん、いかがでしたか?ここで一旦講座は終了になります。お好きなだけ食べて、時間も時間なので、各々のタイミングで終了してもらって大丈夫です。お疲れさまでした。」

ぱちぱちと、小さくはあるが、拍手が起こった。みのりちゃんも隣で小さな手を頑張って合わせている。

「ありがとうございます。今日のどんぐりクッキーと、どんぐりコーヒーのレシピは、手作りではありますが、紙に書いて印刷してきていますので、お帰りの際にぜひ、手に取っていってください。」

そう言って無事、どんぐりクッキー講座が終了した。
時間も押していたので、そのあとの予定を気にした参加者さんたちから順番に、余ったクッキーをアルミホイルで包んで、準備をして帰途についていく。
米倉さんは、早速、横山さんに本当に、娘と一緒にお散歩をしてくれないか交渉しているみたいだった。横山さんは、それだったらと、また別に開催している子どもたち向けの森のお散歩教室のチラシをバッグから出して案内しているらしい。米倉さんの弾んだ声が聞こえた。私は邪魔をしないように、米倉さんと横山さんの会話が終わるまで、みのりちゃんとクッキーを食べてしばらく待つことにした。

「今日楽しかった。みのりちゃんありがとう。」

「えへへ。おともだち。」

そう呟いて、またみのりちゃんが笑顔を向けてくれる。私はしっかりと癒されていた。

「すみませんねぇ。長話しちゃったわ。こんなに参加者さんとしっかり話せたのは今回がはじめてかもしれないわ。中村さん、みのりを看てくれて、本当にありがとう。助かったわ!」

「いえいえ、全然です。私も十分癒されました。というかここ、片づけないといけないですよね?」

「さすがねぇ。よくぞ気づいてくれた!」

「いえ、私も仕事で、イベントやったりとかしたら、結局そのあとが大変なので。まだ横山さん昼食も食べていらっしゃらないですし、、、。片づけ手伝いますよ!」

「本当にありがとう。恩に着るわ!」

結局、もう参加の中で残っているのは私しかいなかったので、横山さんと一緒にいろいろなことを話しながら、片づけ作業をしていった。
横山さんは、もう少し若いと思っていたが、もうすでに40歳を過ぎているらしい。結婚なんて、ましてや子どもを産むなんてまったく考えていなかったけれど、今の旦那さんと出会って、40歳になる直前に、みのりちゃんを出産したらしい。みのりちゃんを産む前は実は、私と同じような林間学校の職場で働いていたらしく、そこでも話が盛り上がった。

「私ね、みのりを産んだあと、本当はすぐにでも職場復帰するつもりだったの。」

「私が横山さんの立場だったら、絶対にそうしたと思います。だって、私なんかより全然、経験も知識も豊富だから、、、。」

「そんなことないわよ。でも褒められるとうれしい。ありがとう。」

「いえいえ、本当にそう思ったので。けど、職場復帰は結局されなかったんですか?」

「あ、そうなの。育児もそれなりにね、最初は楽しんでいたの。旦那も仕事してたし、もちろん大変なことも多かったのだけれど、自分より大切なものができたっていう新しい感覚でね。
けど、やっぱり、仕事して、社会の一員でいたいなって思って、みのりを保育園とか幼稚園に預けようと思っていたんだけど、、、。」

「けど?」

講座が終わって、やっとお母さんを独り占めできるとわかったのか、横山さんの隣にぴったりとくっついていたみのりちゃんの頭を優しく横山さんが撫でる。

「なかなかなじんでくれなかったのよ、みのり。他の子よりも、すごい勢いでぐずっちゃうし、うまく預けれたと思っても、1人で教室の隅っこに座ったまま、いろんな活動に参加しなかったり、他の子が遊んでいたおもちゃを取ったって聞いたときは、ほんとに謝るしかなくって、、。それ以来、預けたとしても、本当に大丈夫かなって、迷惑かけてないかなって、そのことばかり不安になって、預けてる間何も手がつかなくなっちゃって、だからね、旦那にも相談して、別に全く収入がないわけではないから、とりあえず家で育てたらって、収入の話をしてるわけじゃないのに、うまく伝わらなくってね、、。仕方ないから家にみのりと2人一緒にいることになったんだけど、ほら、旦那帰ってくるまでは日中2人きりじゃない?だからさ、結局、もしかして自閉症とか、療育の必要があるんじゃないかとか、あることないこと先走って悩んじゃって、高齢で産んだ私にも責任があるんじゃないかって、誰にも相談できなくて、、、、。」

「本当に、、大変だったんですね、、。」

「ごめんなさい。こんな重い話、、。けどね、そんなときに自治体が開催してるある森のお散歩教室に気分転換に参加したのよ。もちろんみのりと一緒にね。」

そう言って、横山さんは、きっと米倉さんにも渡していただろう森のお散歩教室のチラシをバッグから取り出して、目の前に差し出してくれた。

「私自身もどんぐり好きだったしね、いい気分転換になったの。そしたら講座の最後にもしよかったら、講師を探しててやってもらえないかってスタッフさんに誘われて、みのりも一緒でよければって話したら、いいですよって言ってくれて。それからはつながりも増えて、講師としての仕事とかも少しずつなんだけどもらえるようになったの。本当に救われたわ!きっとあの機会がなかったら今頃私、駄目になっていたと思うから。」

「きっと、横山さんの頼もしい姿、みのりちゃんにもしっかり伝わってると思います。」

横山さんの隣にいたみのりちゃんを見つめたら、うなずくようににっこりとした笑顔を返してくれた。

「ありがとう。ごめんね、後片付けに加えて身の上話まで付き合ってもらっちゃって。」

「いえいえ、こちらこそいろいろと勉強させてもらいました。」

そう言って整理した道具たちを、横山さんと車に運んで、後片付けが完了した。


「そうそう、ちょっと待ってね、、帰る前に、、。あ、あったあった。はい、これ、今日のお礼と言っちゃなんだけど、、」

そう言って横山さんがバッグから小さな手帳のようなものを取り出す。表紙には「森のハンドブック」という文字が記載されていた。

「これね、自治体で発行しているまぁいわゆる図鑑みたいなものなの。今日説明したどんぐりの木とかは、全てこれに載ってるわ。それに他にも野草とかも載ってるからすごく便利なのよ。」

「えぇ、ありがとうございます。」

そう言って受け取ったハンドブックを開くと、写真と説明文の他に何やら青ペンの手書きでイラストやメモが余白に埋め尽くされていた。

「もしかしてこれって、、横山さんが書いたんですか?」

「そう、追加で調べた情報とかを青ペンで記載してる。ちょっと見にくいかもだから、もしサラのものがよかったら全然新品も渡せるよ!」

「いや、ぜひこれがいいです。というか、こんなに大切なものいただいていんですか?」

「だいたいの情報は頭に入ってるから大丈夫!それに、せっかくなら中村さんににもらってもらいたいわ!」

「うれしいです!もっと勉強します!」

「ぜひぜひ、そしてまたもしよかったらイベントのときは手伝ってくれるとうれしい!」

「はい、ぜひぜひ!ほんとにうれしいです!」

「あっ、あとね、、あったあった。もしよかったらこれも。」

そう言って横山さんはまた違うチラシを私に手渡した。

「きのこの、、写真展?」

「そう、たくさん私と友人が撮ったきのこの写真展を今度やるのよ。こう見えて私、どんぐりよりきのこの方が詳しくて、専門なの。それじゃあ、また。」

そう言って横山さんとみのりちゃんは私に手を振ってその場をあとにした。まさか、どんぐりお姉さんかと思っていたら、きのこお姉さんでもあったとは、、、。横山さんの才能の多彩さに尊敬の念が溢れた。

世の中にはたくさんの才能と呼ばれるものがある。スポーツの才能、学問の才能、芸術の才能、それらを持つ人たちは、その才能を楽しみ、そして、極めることによって、その姿は多くの人々をときに感動させ、勇気づけて、そして、さまざまな形で人々を救う。

そんな類まれなる才能に恵まれているのは、選ばれた雲の上にいるような人たちだけだと思っていた。

けれどそれは木々に例えれば、神木と呼ばれて神格化されるクスノキや、秋を彩るモミジ、木材の用途としてたくさん植えられているスギのように、ただ、いい意味で目立っているだけで、私たちの生活を支えている木々たちは、他にもたくさんある。そう、私がただ名前を知らなかっただけの、どんぐりの木々たちのように。

別に目立ったり、数多くの人を救う必要なんてない。

人に知られていない、たとえ小さな名もなき才能であっても、米倉さんや横山さんのように、家族や友人、日々の生活の中で出会った人たちの幸せに、少しでも貢献することができるのならば、それはそれで、とても素敵なことなのだと思う。

それに、それは別に自分以外の人に影響を与える必要すらないのかもしれない。ただ、好きで、楽しくて、無心で取り組むことができる何かは、他でもなく、自分自身の幸せに貢献できるのだから。

家に帰って、マテバシイとは別のビニール袋に入れていたさまざまな種類のどんぐりたちを調べよう。そう思って私は、もらった年季の入ったハンドブックを、大切にバッグの中にしまった。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?