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【小説】菜々子はきっと、宇宙人(第14話)

季節は冬に移り変わった。山生活の冬は厳しい。私は毎日、痺れるような手足の冷たさに、必死に耐えながら生活をしていた。
1月に入り、一層寒さに磨きがかかってると感じていたが、近所の人いわく、一番寒いのは2月らしい。今でさえ凍え死にそうなのに、さらに寒くなるというのか。

1月は職場も閑散期に入り、定時で帰ることができる毎日が続いていた。私はとにかく冷え切った身体をしっかりと温めようと、仕事が終わるとまっすぐに温泉に向かい、長いときは1時間半以上湯船に浸かっていた。

温泉の滞在時間が長くなった冬、新しい温泉友だちができた。近くに住む、中学生の友里恵ちゃんだ。温泉には、毎日ほぼ同じ顔ぶれの、年配の方々が多いが、ちょうど長風呂をし始めた頃、時間帯が重なったのか、入ってきた若い友里恵ちゃんが珍しく見えて、私から声をかけたのがきっかけで仲良くなった。
友里恵ちゃんは中学3年生で、幼い頃からこの町で生まれ育ったらしい。中学3年生は年齢にして14歳。私はもうすぐ24歳になるので、10個も年下だったのだけれど、他の温泉仲間に比べたら一番近い年齢だった。

「友里恵ちゃん、今日も学校お疲れ様!」

「ありがとう。はるちゃんもお疲れ様!」

今日も友里恵ちゃんがいつもの時間に温泉に入ってきた。

「勉強忙しくなってきた?」

「うん、ぼちぼちね。けど、成績足りてないわけじゃないから、夜中まで受験勉強とかはしてないよ。」

「さすが友里恵ちゃんだね。まぁ無理は禁物。自分のペースでゆっくりだね。」

「うん、ちゃんと毎日温泉入ることは忘れないよ。」

「それがいい。」

友里恵ちゃんは高校受験を控え、それなりに勉強で忙しいらしい。そういえばそんな時代もあったなと、友里恵ちゃんと話していると中学時代が懐かしくなる。

「そういえばさ、菜々子ちゃん、最近見ないけどなんかあったの?」

「あー、いや普通に仕事はきてるよ。けど、たしかに最近見ないね。」

「菜々子ちゃんとはるちゃんて親友なの?」

「親友なのかな〜。難しいところだ。菜々子変わってるし。」

「え〜よかった。やっぱり変わってるよね菜々子ちゃん。何度か話したけどやっぱりいっつも変だなって思ってて、でもはるちゃんは親友って思ってたから言うの我慢してたの。」

中学生の友里恵ちゃんにまで、変わっていると言わしめる菜々子は、やはり宇宙人だ。一体何を話したのだろうか。

「えぇ、別に我慢しなくていいし、なんか変なこととか嫌なこと言われてない?なんかあったら注意するから全然言ってね!」

「え、それじゃあ、ちょっと話してもいい?」

「うん、どうしたの?」

「最近ね、噂になってるの。中学校で。なんか、若い女の人が、夕方の時間帯に、アパートの駐車場で1人で音楽かけて踊ってるって。すごい笑顔で。同じアパートに住んでる同級生が気味悪がって、教室で話してるの聞いちゃってさ。他にも目撃者がいたから、それ以来なんだか話題になってるみたいで、、。もしかしたら菜々子ちゃんかなって。」

「はい?踊ってる?」

「そう、踊ってるらしいの。若い女の人でこの町に1人で住んでるのはるちゃんと菜々子ちゃんくらいでしょ?はるちゃんは夕方はいつも最近温泉にいるし、逆に菜々子ちゃんはいないからさ、たぶん菜々子ちゃんなんだと思う。私も菜々子ちゃん悪い人じゃないのは分かるから、伝えてあげようとも思ったんだけど、なんかどんどん変質者みたいなかんじに教室でなってきちゃってて、仲良いとかって思われても困るなって思ってさ、行けてないんだよ。だからはるちゃん、菜々子ちゃんに伝えといてくれない?」

「うん、変質者の友だちは確かに嫌だよね。私も嫌だもん。ちょっとよくわからないけど、明日仕事帰りの時間帯に菜々子の家寄ってみるよ。」

「ありがとう!はるちゃんに話せてよかった。」

いささか、違和感しかなかったけれど、仕方ない。翌日、私は菜々子が定時に先に帰宅したのを確認して、その後を追うことにした。たしかに、仕事はきっちり定時で終わって帰っているのは知っていたけれど、そのあとは一体何をしているのだろう。12月くらいまでは、だいたい温泉の時間帯も一緒だったのに。

私は一旦家に帰宅してから、温泉セットを持って菜々子が住むアパートへ歩いて向かった。

駐車場に、菜々子の白い車が停まっているのが確認できた。近づけば近づくほどに、何やら洋楽のポップのような音楽の小さな音が聞こえてくる。やっぱり。

白い車の影で、菜々子が踊っていた。私もダンスはしたことないし、興味もないけれど、そんな私から見ても明らかに変な踊りだ。きっと菜々子も素人なのだろう。

「菜々子、何してるの?」

私はちょっと怒り気味に菜々子に声をかける。

「おー、はる!お疲れ様。何って、この通り、ダンスの練習だよ!」

「そんなの見たら分かるよ。なんで踊ってるのよ。ちょっと、音楽止めて。」

「はいはい〜。」

菜々子が音楽を流していた携帯の音を切る。

「普通にさ、迷惑でしょ。まぁそんな大きな音じゃないからさ、いいとは思うけど、友里恵ちゃんが言ってたよ。踊ってる変質者扱いされてるって。」

「あー、最近見学者多いんだよね。中学生くらいの子たちがちょこちょこ。やっぱ私のダンスの才能が気になるのかな。えへへ。」

「明らかに面白がられてるだけでしょ!」

「そうなの?」

「このままだったら通報されてもおかしくないよ。普通に人通りは少ないけど、この町ただでさえ山奥でちっちゃいんだから、すぐ噂広まるよ。変質者として!」

「うわん、それは困る。」

「ちょっとここじゃ寒いから、中で話そう。もう、ほんとあきれた。」

そう言って、私は菜々子のアパートの部屋に、菜々子と一緒に入った。菜々子がストーブをつけてくれる。

「だいたいさ、なんで駐車場なのよ。それなりに人目についちゃうじゃない!ちょっと車走らせれば人目につかないところなんてたくさんあるでしょ!」

「まぁまぁ、そんな怒らないでよ。もちろん他の山奥とかでやろうとも思ったんだけど、最近暗くなるの早いでしょ?だから、怖いしそれで駐車場にしたってわけ。」

「恥ずかしくないの?」

「全然!だってダンスって楽しい!」

そう言って、まるで盆踊りのようなジェスチャーをしてきた。なんと陽気なのか。

「というか、何でダンスしてるのよ。」

「ふふん、それはだねぇ。女優になるためなのだよ。」

「女優?」

「ほら、最近仕事暇だし、帰るのも早いじゃない?なんだかエネルギーが余っちゃってさ、それでね、満島ひかりって知ってる?あのとっても綺麗な女優さんで演技派の人!ほんとすごくて、映画見てハマっちゃったの。それでさ、満島ひかりみたいになりたいなって思って、そしたらやっぱりまずはダンスでしょ?だから練習しはじめたの。」

「それでダンスを?」

「そうそう。女優の道もまず第一歩からだからね。それにね、ダンスだけじゃなくって、家で映画見ながら演技の練習もしてるの!」

そう言って菜々子は、「海辺の生と死」という満島ひかりが出演している映画のワンシーンを再現して見せてくれた。

「もう、ほんっとにこのシーンの満島ひかり、かっこいいのよ。」

「わかった、わかったよ。見せてくれてありがとう。応援するから!」

「え、ほんと!ありがとう!私ね、今はいつか女優になって、朝の連ドラの団子屋の娘として出演するのが夢なんだ!」

「何で団子屋の娘なのよ。」

「だって、お団子たくさん食べられそうだし!それにね、似合うと思わない?」

「たしかに。」

「そう、だから夢に向かって突き進むの!今はね、踊ったり、演技の練習してる時間が一番楽しいんだ!」

そう言って、菜々子はまた、映画のワンシーンを目の前で繰り広げはじめた。何気にすごい暗記力だなと思った。

それに、、、。

菜々子が放った「夢」という言葉の響きが、なんだか久しぶりで、なんだか気恥ずかしくて、なんだか懐かしくて、胸にこだました。

「菜々子はいつも夢みてるの?」

「うーん、みてるっていうか、追ってるっていうかんじ?夢を追うってさ、楽しくない?」

「楽しいかな?つらくない?手に届かないから。」

「手に届かないかどうかはやってみないとわからないじゃない。それに、夢がない状態で生きてるってさ、何が楽しんだろって思っちゃう。だってさ、夢がなかったら、毎日ごはん食べて、仕事して、寝て、ただそれだけの毎日の繰り返しってことでしょ?そうやって目の前にあるなんの変化もない現実を繰り返す中で生きてる方がよっぽどつらいと私は思うけど。」

「そうかな。その夢が叶わなくてもいいの?」

「叶うかどうかは別問題じゃない?叶っても、叶わなくても、そうやって夢を追ってる時間が、また新しい世界を切り開いてくれると思うよ、私は。はるは、夢ないの?」

そう言われて私は言葉に詰まった。あったよそりゃあ、私にだって。昔は無限に。時間なんて足りなくなるほどにたくさんの夢があって、あたりまえのように追ってた。けれど、、。

「ないね、夢。その言葉があること自体も忘れてた。」

いつからだろう。「夢」という言葉がなんだか恥ずかしくて、発することができなくなったのは。追っていたはずの夢をいつもより遠く感じたあの社会に出始めた頃だろうか。それとも、、。

「えー、もったいないよはる。はるには私なんかよりできることたくさんあるし、夢がないなんてもったいない。」

あぁ、そうだ。思い出した。それなりに、私は夢を叶え、自分のできることが増えてきたのだった。そう、誰かのために。
私は性分なのか、幼い頃から努力はそれなりにできる人種だった。親のために、私はそれなりに名のある大学に入ることを夢にみて、学問に励み、その夢を叶えた。そして、大学時代は、途上国の貧困問題をまのあたりにし、貧困のない世界を作ることを夢にみて、ボランティア活動に邁進した。そして、社会人。社会の一員として社会を変えることを夢にみて、会社のために、与えられた目標を難なくこなした。

両親のため、世界のため、社会のため、会社のため、大小あれど、私が抱く夢はいつだってその先に誰かが存在していた。

誰かのために抱いた夢の結末はいつだって儚かった。
それなりに、自分自身に犠牲が伴い、すり減らす分、夢の先にある結末への期待は、想像以上に膨らみ、過大になっていく。

そうだ、そうだった。
その過大となった期待が満たされなかったときの喪失感。それが嫌だった。苦しかった。だから私はいつの日からか夢をみなくなったのだ。

いつのまにか黙り込んで、表情が険しくなっている私に気づいて察したのか、菜々子が演技を辞めて、私の前に座っていた。

「私ね、ここにくる前、ちょっとだけだけど、看護師として働いてたって話覚えてる?」

「あー、うん、高校卒業して看護学校行ってたもんね。」

菜々子は、高校を卒業してから、進学校だった私たちの高校では珍しく、大学受験をせずに、看護学校に進学していた。それを聞いたとき、菜々子には絶対に採血をされたくない。そんなことを思った記憶が蘇る。

「それでね、看護師、1ヶ月足らずですぐやめちゃったの。それで今ここにいるんたけどさ、そのときにね、嫌になっちゃったんだよね。」

「何が嫌になったの?」

「嫌になったっていうかさ、私高校のとき、たくさんの人を救いたいって、国境なき医師団みたいになりたいって夢みて看護師を目指したんだよね。それでさ、夢叶えて病院に就職してさ、病棟に配属されたんだけどさ、そこである植物状態の患者さんと出会ったのね。その患者さん、年齢もかなり高齢で、家族は延命治療を望んでてさ、、、私ほんと不謹慎だし、こんなこと絶対考えちゃいけないって思ってたんだけど、、、。」

「いいよ、別に私は気にしない。」

「ありがとう。それでね、延命治療しててさ、けど、その患者さんは意識もずっとないわけ。いつ目覚めるかもわからないし、というかそもそも目覚める確率だって低いわけよ。そうなったときにさ、一体何の意味があるんだろうって思っちゃったんだよね。その治療に。極端な考え方なのはわかってるんだけどさ、人間って、生き物でしょ。地球という星に生まれて、その生態系の中で、生態系に従って生きている1種類の生き物に過ぎないのよ。なのに、人間はさ、その生態系をことごとく壊して生きているじゃない?その環境破壊のおかげで、たくさんの他の生き物たちが住みかを奪われたりしてさ、生態系で生きるって、ちゃんと生まれることも、そして死ぬことも受け入れないといけないんだよ。延命治療なんて、なんか生にすがってるみたいで、生態系にはむかっているみたいで、私は無理って思っちゃったんだよね。」

「そっか。別におかしくないと思うよ。菜々子が環境とか、動物に優しいの知ってるから。」

あの、強烈なコンポストの匂いを思い出す。そういえば菜々子はよく休みの日に近所のヤギに、いつも草をやりに行っていた。

「それでね、あぁ、私には看護師無理だって思ったの。だってさ、このまま働いていたら、私延命治療している患者さんを下手したら殺めかねないんだもの。」

「そうだね。辞めて正解だったと思うよ。」

「でもね、そのとき思ったんだ。そういえばなんで看護師なりたかったんだろうって。もちろん国境なき医師団に憧れていたのは事実なんだよ。けど、よくよくたどれば本当はさ、私大学受験したくなかったんだよね。勉強あんまり好きじゃなくて。これ以上勉強したくないなって思って。興味なかったから、学校の授業とかさ。けど、親は教育熱心でさ、私を小学校から私立に入れてたし、高校もほら、それなりに偏差値の高い進学校だったじゃない?大学受験するのあたりまえだったし。けど私はどうしても大学に行きたくなくて受験勉強もそんなにしたくなくてさ、けど親には申し訳なくて、そこで看護師っていう選択肢が出てきたのよ。看護師免許を取るための勉強だったら、学校の授業よりは興味あるしなって。それに、親も国家資格だったら何も言えないよねって思って、だからさ、看護師を夢みてたっていうのは、もとをたどればただの親のための夢に過ぎなかったんだよね。」

「そうだったんだ。」

「そう気づいたときさ、虚しくなったの。私なんのために頑張ってたんだろうって。一応自分が夢みてた看護師になれたのにさ。ほんと、何を期待してたんだろうね。」

菜々子も私と一緒だ。そう思った。

「夢ってさ、自分のために抱かなきゃ意味ないのかもね。」

「そうだよ。私もそのとき気づいたの。親のためじゃなくて、自分のやりたいことしようって。自分の夢は自分で抱こうって。そしたらさ、すごく身軽になったの。それに毎日が楽しくなった。自分のための、自分の夢を追うって、すごく幸せを感じることなんだって。別にその夢が叶わなくてもさ、自分のやりたいことをやってるだけで、その責任はすべて自分自身にあるからさ、誰かに期待して虚しくなるなんてこともないって気づいたんだよ。」

「すごくいい気づきだと思う。ありがとう。」

「それにね、もちろん看護師辞めちゃったし、辞めたときはさ、ほんと虚無感みたいなのすごかったんだけど、今思えばさ、病院で働いていると、嫌でも健康じゃないってことが、どんなにつらいことなのか、その人の人生を丸ごと変えてしまうことなのか思い知らされるのね。健康っていうだけでさ、本当に奇跡みたいなすごいことなのよ。だから、健康な自分でいることに感謝して生きようって思えたし、たくさんの死を目の前にしている人たちを見てさ、本当にいつ死ぬかなんてわからないんだから、自分の好きなことしようって勇気づけられたの。そのことを知れたのはよかったなって今でも思っている。」

「そっか。私もいつか自分のための夢を抱きたいな。」

「きっと見つかるよ。はるなら。」

「ありがとう。」

「ねね、もしよかったらさ、このあと映画みない?はるに見てほしい映画があるんだよね。下妻物語っていう、深田恭子と土屋アンナが出てる映画なんだけどさ、この土屋アンナ演じるイチゴがほんとかっこよくてさ。」

そう言って、いつもの調子で急に菜々子が話を変えてきた。なんとなく、もう少し菜々子と一緒にいたい気がして、私は菜々子の家でそのまま晩御飯をごちそうになりながら、下妻物語の映画を一緒に見た。普通に素敵な映画だった。そして、案の定、ただ単に菜々子は、私に演技の練習の相手役をしてほしかったのだろう。映画終了後、無理やりに私は、深田恭子演じる桃子役をすることを強制された。そして、菜々子は楽しそうに、土屋アンナ演じるイチゴ役を熱演していた。ちょっとめんどくさかったけれど、悪くない時間だった。なんとなく、菜々子の近くにいれば、私もまた、今度は自分のための、自分自身の夢を抱ける気がして、心が軽くなった。

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