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【小説】菜々子はきっと、宇宙人(第15話)

厳しい寒さが和らぎ、少しずつ春の訪れを感じるようになった3月のはじまり。旅立ちの季節というのだろうか、職場では、部活やサークルのお別れ会で施設を利用する団体で賑わっていた。

「私はそろそろ旅に出る。」

2月が中旬に差し掛かった頃、そういえば菜々子も旅立つとかなんとか言いだして、新しく原付バイクを購入していた。

「名前はカブっていうんだ。カブみたいに白くて丸っこいデザインに見えるからカブ。」

菜々子には、なんでもかんでも名前をつける癖がある。

「車も白いけど、車もカブにはならないの?」

「うん、車の方はね、白いけど、少し角ばってるでしょ。それにライトのところが馬の目みたいだから、車の名前はスーホ。スーホの白い馬のお話から名付けたの。それにスーホの方がカブより早く走るでしょ?だから我ながらぴったりだったなって。」

「そっか。」

ここ最近、菜々子は休日によく、スーホは家に置いたまま、カブで出かけている。何やら旅の師匠と呼んでいるやたら車に詳しいおじさんにに会いに行っているらしい。

「私さ、車のおじさんにいろんなとこ連れて行ってもらってさ、旅の魅力を知ったんだよね。だから仕事辞めて、しばらく旅しようかなと思って。今はね、カブと一緒に日本一周するのが夢なんだ!」

いつのまにか、満島ひかりのような女優になる夢が、日本一周の旅の夢にすり替わっている。相変わらず忙しい女だ。また、どうせコロコロ夢も変わるだろう。そんなことを思っていた矢先、職場で副所長さんに呼び出された。人気のない場所に移動して、私に尋ねてきた。

「菜々子が、仕事を辞めることが決まったんだ。中村さん、話聞いてる?」

「あー、日本一周の件ですか?」

「そうそう、僕も最初は驚いたし、けど、またいつもの思いつきだと思って、もう一度よく考えるように伝えてたんだけど、、。」

「私も思いつきだろうって、放置してました。」

「そうだよね。けど、この間さ、本当に退職届を出してきたんだよ、ほら。」

そう言って、副所長さんは私の目の前に、菜々子が提出したという退職届を、持っていたA4ファイルから取り出した。

「もちろん、辞めてほしくはないけど、菜々子にも菜々子の人生があるから、無理に止めようとは思ってないんだけど、なんだか危なっかしくてさ、僕が話すのも変だから、中村さん、暇なときでいいから少し話聞いてくれないかな?一旦この退職届は預かっておくから。」

「了解しました!とりあえず話聞いてみます。わざわざ伝えてくださってありがとうございます。」

「いやいや、こちらこそ面倒なこと任せちゃってごめんね。話したら、また教えて。」

まさか退職届まで出していたとは知らなかった。少し心がざわついている音が聞こえた。早速その日の夜、私は仕事終わりに菜々子の家を訪れた。

「ごめんよ。今日急に行くとか言っちゃって。」

「ううん、全然。晩御飯カレーだいぶ余ってたし、むしろ来てくれてありがとうって感じだ。」

「カレーまで、ありがとう。」

菜々子が温めなおしてくれたおいしいそうなカレーが2皿、テーブルの上に並んだ。

「いただきます。」

2人同時にスプーンでカレーをすくって口に頬張る。

「うーん、おいしい。てか菜々子、料理の腕あげたね。」

「でしょう。ありがとう。で、話って何?」

「あっ、そうそう、忘れてた。菜々子さ、職場に退職届出した?」

「うん、出したよ。3月末には辞める予定。まぁ2月くらいから話はしてたからね。いよいよってかんじだよ。」

「ほんとに辞めて、ほんとに旅に出るの?」

「うん、しばらく旅に出るよ。今九州だからさ、南から攻めるつもり。もちろんカブと一緒にね!スーホはしばらく実家かな。4月に入ってすぐこの家も引っ越すから準備しないとなんだ。」

「え、もう退去の連絡もしてるの?」

「うん、したした。着々とね。」

寂しいという感情が、自分の中に湧き上がってくるのを感じる。

「どうして知らせてくれなかったのよ。」

「あれ、はるに言ってなかったっけ?日本一周の旅に出るって。」

そうだった。またただの思いつきだと、聞いているフリをしていたのは私の方だ。

「ここまで本気だって思わなかったんだもん。もう退職届も、退去の連絡までしちゃってるなんてさ。」

「ごめんごめん、なんかバタバタしちゃっててさ、、あれ、てかはる、もしかして寂しいの?」

「そんなわけないでしょ!」

言ったそばから、恥ずかしくて耳の辺りが熱くなっているのを感じる。からかうのはいつも私の方だったのに。そうだ、私は菜々子がいなくなることを寂しいと感じているのだ。

「ねぇはる、私さ、はると過ごせたこの1年間、本当にすごく楽しかったんだよ。今までにないくらいにね。そりゃあ、いつもはるに怒られてばっかだったし、嫌なときもあったけど、はるはいつだって私のためを思って怒ってくれてたんだなって、いつも後からはるの愛を感じてさ。一生の思い出にするよ。」

菜々子はどうしていつも、こう素直に感謝や愛の言葉を飾り気もなく伝えることができるのだろう。私にはできない。菜々子がうらやましい。

「なんか、最後のお別れみたいにしないでよ。」

「ごめんごめん、まだあとちょっとあったね。あ、そうそう、そういえば。」

そう言って菜々子はスプーンを置いて、隣の寝室から何やら大きな紙袋を取り出してきた。

「私ね、お世話になった人たちにさ、感謝の気持ちを込めてプレゼントを贈りたくてさ、今、製作中なんだよね。」

「プレゼント?」

紙袋の中から見たことのある曼荼羅の塗り絵本と、たくさんの色の刺繍糸を取り出した。

「プレゼントは2種類あってね、曼荼羅の塗り絵かミサンガなんだ。1人1人ね、その人との思い出を思い出しながら、その思い出と人柄に合わせた色を選んでいくの。」

「なんだか、素敵だね。」

「このページはね、副所長さんでしょ。この次は友里恵ちゃんでしょ。それから、、、」

菜々子が選んで描いた、色とりどりのページがめくられていく。たしかに、言われてみるとその人に合っているなと、知っている人のページは特にそう思った。

「あの、卑猥なページは誰に渡すの?」

「やだーもう、あのページは誰にもあげないよ。恥ずかしいもん。もちろん、はるにもね。そうそう、はるにはね、ミサンガ作ってるんだ。」

そう言って、20種類はあるだろうか、色鮮やかな刺繡糸の中から、作りかけのミサンガを菜々子が取り出した。

「きれいな色、、」

「でしょ?我ながらよい組み合わせだと思うんだ。ちょうどよかった。あとちょっとで完成するところだったから。今作っちゃう。」

菜々子は慣れた手つきで、私に渡すのだというミサンガの糸を目の前で紡ぎはじめた。

「はるとはいろんな思い出がたくさんあるからね。ここだけの話、ミサンガは特別な人にしか作ってないんだ。」

「そうなんだ。本当にきれいな色だね。選んでくれたの?」

「うん、この緑はね、ほら、山で一緒に過ごしたでしょ。緑が思い出の中にたくさんあったから選んだの。そしてね、このオレンジと黄色の色はね、はるの色。美春って、名前に季節の春の文字が入っているでしょう。この糸が交差しているところは、春の花をイメージしてるの。それにね、はるって私から見たら太陽みたいな人だからさ、春の花のイメージと、太陽のイメージを重ね合わせてるの。」

そう説明しながら、あっという間に菜々子はそのミサンガを仕上げてくれた。

「はい、できた。はるのミサンガ。プレゼント。」

「ありがとう。」

なぜか目に涙が浮かんだ。悟られたくなくて私はもらったミサンガを手に取って、すぐさま足首に巻き付けようと下を向いて涙をごまかした。

「長さ足りたね。ぴったり!はる、ありがとう。」

「こちらこそ、こんなに素敵なプレゼントをありがとう。」

本当にぴったりサイズのミサンガに、しばらく見惚れているふりをして下を向き続けたまま、私は涙を必死にこらえた。

「そういえばさ、あと、はるにお願いがあるんだよね。」

「お願い?」

震える声を必死にこらえて答える。

「そう、あのね、私が旅に出ている間、この子たちを預かってほしいんだ。」

菜々子は私に背を向けて、玄関の方へと移動した。たぶん、私が泣いているのに気がついたのだろう。察してくれたようだ。玄関で、菜々子が、飼っている金魚を指さしている。

「あおとそらみって言うんだ。」

「あおとそらみ?」

「そう、この真っ赤な色の子があおで、ちょっと赤色の中に白いまだらが入っている子の方がそらみ。」

ちょっと言っている意味がわからなかったので、私は涙をぬぐって、菜々子が立っている玄関に移動した。

「去年の夏にね、金魚すくいでとったの。珍しく長生きしててさ。可愛がってるんだよね。」

菜々子が水槽の隣にあった、金魚のエサを取り出して、水の中に落とした。パクパクと2匹の金魚が、おいしそうにエサを食べている。

「ねぇ、ちょっと疑問なんだけどさ、2匹とも赤い色をしているのになんであお(青)とそらみ(空美)なの?」

「あ、たしかに。色で考えてなかった。」

「どうゆうこと?」

「青い空をイメージして名付けたの。青い空みたいにさ、のびのびと自由に生きてほしいなって。」

「やっぱり菜々子、意味わからないね。どう考えても名付けるならあか(赤)としろ(白)でしょ。」

「まぁ、言われてみたらそうだね。けど、この子たちの名は、あおとそらみなの。」

「わかったわかった。」

いつもと何ら変わらない、訳がわからない菜々子のネーミングセンスに、私の涙はいつのまにか引いていた。

「この子たちを私が預かればいいの?」

「そうそう、水槽ごと、引っ越しのときにはるの家に預けに行きたい。もちろん、エサとかは一緒に持ってくよ。いい?」

「まぁ、いいよ。あんまりペットとか飼うの得意じゃないけど、それでよければ。」

「基本、水替えとエサやりだけなんだけど、水槽に入れてるオオカナダモね、たまに食べてるのかなくなっちゃうときあるから、そのときは、川から取っていれてあげて!」

「オオカナダモね。わかった。了解。」

「ありがとう。うれしい!旅が終わったら必ず迎えにくるね。そしたらはるにも必ず会えるでしょ?」

「そうだね。預けたこと自体、忘れないでよね。」

「うんたぶん。頑張る。必ずまた、会いにくるよ。」

それから、時は流れてあっというまに4月が訪れた。菜々子は本当に職場を辞めて、本当に旅に出るための準備を整えて、本当に引っ越しをした。そして、その引っ越しの日、本当にあおとそらみを私の家に預けに来た。

「じゃあ、またね。はる、元気で。」

「菜々子も元気で。」

最後はあっけなく、特に交わす言葉もなくて、あおとそらみだけを残して、菜々子は新しい道へと旅立った。

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