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【小説】菜々子はきっと、宇宙人。(第7話)

新しい職場に通うようになってから、もう約1か月が過ぎようとしている。季節は5月を過ぎ、山の木々たちは、旬を迎えたと言わんばかりに青々とその葉をたくましく茂らせている。

木々たちに加え、地面を張っている草たちもものすごいスピードで成長していて、毎朝のように、出勤前から、所長さんが、その草たちの成長速度に負けないようにせっせと草刈機で草を刈っている。

その様子はまるで、草刈りの専門業者みたいだった。もちろん、手際もよくて、速いし、刈った後は綺麗に水平になっているし、それに、丸1日、昼食と、ときどきの来客があるときを除いたら、ほんとに所長さんなのかと思うくらいに四六時中、草を刈っていた。


「今日朝出勤前に、遊具広場を探検してたら、赤い野いちごたくさん見つけました!ほら!」

出勤早々、目の前で、菜々子が手のひらいっぱいに野いちごをかかえて、自分の机の上に載せている。

「これ、どこにあったの?」

副所長さんが、すかさず菜々子に声をかける。

「遊具広場から少し上に登ったところにある草むらです!まだたくさんありましたよ!」

「情報ありがとう。早速、今度の週末のフィールドワークでそこに行ってみようかな。」

菜々子は、業務以外でもよくこのあたりの森を散歩している。副所長さんは、そんな菜々子が日々見つけてくる季節の植物便りを頼りに子どもたちのフィールドワークのコースを組んでいるらしい。

その季節の植物便りは菜々子のこの職場での重要な役割だった。

「所長、朝から草刈りしてるし、自分も一緒に作業してこようかな。はい、その間にこの資料作成お願いしといていい?」

隣で山田さんが、私にUSBを渡して依頼してくるのもほぼ日課になりつつあった。

「はい!わかりました。やっときます!草刈りよろしくお願いします。」

所長さんは草刈り係、菜々子は植物便り係、副所長さんはフィールドワーク作成係、、、そして私は、パソコン係にいつのまにかなっているようだ。他スタッフにも各々自分の得意とする係の仕事があって、それぞれにその役割をまっとうしていた。

まるで小学生の頃の、給食係、生き物係などの係活動をやっているみたいだった。

でも、小学生の頃のように、係決めの会議みたいなものが設けられているわけではない。
特に目立ったコミュニケーションを取るわけでもなく、阿吽の呼吸みたいなもので、各々が役割を見つけて、それぞれに協力し合っている。

私はどう考えても、この職場のスタッフの中で一番運動神経が悪く、女性というのもあって、力だって男性スタッフに比べたら全くと言っていいほど弱かった。

職場で開催されるイベントの机や椅子の運搬作業だって、みんなひょいと長机2つをそれぞれ片手に1つずつ抱えて同時に運ぶことができるけれど、どう頑張っても私は1つだったし、椅子を運ぶときだって私が運ぶ量とスピードは他のスタッフに比べて倍くらい少なくて遅かった。

それに、草刈り機だって、重すぎて持つのが精一杯で、それを持ったまま、あの恐ろしく大きな刃物が、エンジンとともに動く様を想像するだけで、怖くて扱えなかった。

最初はその私が「できない」ことが、ひどく申し訳なくてどうしようもなかったのだけれど、でも、そのことを鬱陶しがられたり、もっと鍛えてできるようになれと叱責されたり、咎められたりすることは一度もなかった。

むしろその代わりみたいな形で、みんなが私にパソコン作業をたくさん依頼してきて、私はその依頼された作業を、パソコン係として卒なくこなすことをまっとうした。

私はいつのまにか、その係活動が阿吽の呼吸で行われているこの場所に、ひどく居心地のよさを感じるようになっていた。

「できない。」


その言葉を口にすることが、怖くて、嫌で、怯えてきた人生を送ってきたのだと思う。
その言葉を口にしたときに、相手が見せる落胆の表情が怖くて、相手にされなくなるのが嫌で、それに、自分に限界なんて作りたくなかったから、だからこそ私の中の辞書に、その言葉を載せまいと、必死で頑張って、一生懸命生きてきた。

「不可能なことを可能にする。自分に限界を作るとそこで自分の可能性が止まってしまう。」

そんな概念が、身体のいたるところ節々まで染みついた私は、「できない。」その喉元まで出かかったその言葉を飲み込んでは、自分を追い込んできた。

「できます。大丈夫です!」

自分の可能性が広がる、そう信じて疑わず、どんな場面でもそう言ってきた私の可能性が本当に広がったのかどうかは正直、定かではない。けれど、飲み込んだ「できない。」というその言葉が、驚くほどに私の身体と心の中に沈殿したまま、その場にとどまって、まるで、寄生虫のように、少しずつ、少しずつ、私自身を蝕んでいっていたことは確かだ。


「中村さん、資料作成もしてほしいんだけど、今日、フィールドワークのコース事前に下見しようと思ってて、所内のことももっと知ってほしいから、僕と一緒に午前中、コースの下見に来てもらってもいいかな?」


「はい!わかりました!午後に資料作成するようにしますね!」


そう言って、今日の午前中、私は副所長さんと一緒にコースの下見に行くことになった。
水筒とメモを持って事務所の外に出る。暑くもなく、寒くもない、外を歩くにしてはとてもいい季節だと、大きく深呼吸をした。

「いい季節だね~。週末は天気も晴れそうだし、いいフィールドワークになりそうだ。」

「そうですね!子どもたちも楽しく活動できそうですね!」


そう言って、歩きながら、コースについてこと細かく丁寧に私に説明してくれた。この季節は、気温もちょうどいいから、少し長めにコースを設定すること、とはいえ、スズメバチやマムシなど、危険な生き物たちも活動をしはじめる時期だから、あらかじめその生き物については、事前に説明しておくこと、野いちごをはじめ、春の山菜もまだたくさんある時期だから、1つ1つ説明していくこと、、、、などなど。一緒に歩くうちに、きっとこの子どもたちと森を結びつける仕事に本当に情熱を持って働いているんだろうなということがしみじみと伝わってきた。

「副所長さんって、この仕事がすごく好きなんですね。」

ボソッと私は思っていたことを口にした。

「そうだね、長く続けているし、好きなんだと思う。」

「どの部分が好きなんですか?」

「うーん、どの部分って言われると選ぶのは難しいけど、、、。」

「そうですよね、変な質問してすみません。」

「いや、全然いいんだよ。うーん、強いて言うなら、子どもたちが、新しいものさしを見つける瞬間を見れたときが一番やりがいに感じるかな。」

「新しいものさし?」

「そう、新しいものさし。ほら、今の小学生の子たちってさ、まあ自分の偏見も入ってるけど、それなりに恵まれてる環境で基本育ってきてるじゃない?」

「たしかに。そうですね。」

「それなりに恵まれた環境で育ってきて、小学校とかに入ったらさ、とにかく勉強ができるかどうかのものさしでしか図られないことが多いと思うんだよね。少子化が進んでる中で、でも逆に1人あたりの子どもにかける教育コストって相対的に見たら増えていってて、どの親も、とにかく子どもに、何不自由ない人生を歩んでもらいたくて、いい高校、いい大学に行かせるために、勉強をさせたがることって多いと思ってるんだよね。ここに来る子どもたちも、学校以外に、塾に行っている子多いし。」

「まあ、たしかに、そうですね。」

「でもね、それが間違っているとは言わないんだけど、その勉強っていうものさししかないからさ、それが自分のものさしとは合わないのかもって、そもそも疑わない子どもたちも多いのよ。」

「はぁ」

「でも、勉強っていうものさしは、1つの選択肢でしかないわけで、他にいろんなものさしがあってもいいと思うんだよ。例えば、ここで言うと、森に来て、思いっきり身体を動して木登りするのが好きな子もいれば、森の工作にどはまりして、ずっと工作しかしてないみたいな子もいるじゃない?
それに、とにかく虫を捕まえて観察する子もいるし、咲いている花がきれいだからって、気づいたら手いっぱいに花を摘んでいる子もいる。」

「たしかに、ここにくる子どもたちって千差万別ですよね。」

「そう、本来みんな違うのよ。いろんな可能性が詰まっているし、いろんなものさしを持っているんだよね。もしかしたら木登りが好きな子は、ツリークライミングの才能があるのかもしれないし、工作が好きな子は、芸術家になれるかもしれない。虫が好きな子は、虫を研究する研究者になれるかもしれないし、花を摘んでいる子は、フラワーアレジメントや花屋さんになる才能があるのかもしれない。けれど、そういう自分のものさしって、普段、勉強っていうものさしでしか図れない環境の中にいると見つけることがなかなか難しかったりするんだよね。」

「たしかに。」

「森って面白くて、もちろん危険な生き物だっているし、足元だって危険な場所がたくさんある。けど、そういう危険で、整っていない環境だからこそ、そういった新しいものさしを見つける可能性に溢れているんだと僕は思うんだよ。だから、そういうこの場所で、少しでも自分の好きなこととか、得意なことに出会って、それが新しい自分のものさしに巡り合う機会になればなっていつも思ってる。もちろん、そこから最終的に、もとの日常の生活に戻ったとしてもね。」

「たしかに。そうですね。。。新しいものさし。。。好きなこととか得意なことを見つける機会。大人でも必要な気がします。笑」

「中村さんは、パソコン作業得意だよね!好きなの?」

「うーん、好きか嫌いかと言われれば難しいですけど、とりあえず、苦ではないことは確かです。」

「よかった。ずっと無理させてるんじゃないかって思ってたんだ。」

「いやいや、とんでもない。私なんて力作業まるであてにならないので、このくらいしかできなくて、、、むしろすみません。」

「いやいや、助かってるよ。さっきの勉強の話じゃないけどさ、得意とか、好きとかそういう感情がないのに、何かをやらないといけないって、結構ストレスかかるからさ。そういうのは職場でも極力避けたいと思ってるんだよね。子どもたち見てたらわかるでしょ?笑」

「たしかに、、笑。木登り好きな子が、工作の時間になったら、とたんにムッとした表情になってふてくされたり、とにかく外に行きたいからめちゃくちゃ適当に終わらせようとしたりしてますもんね笑」

「そうそう笑。正直、今まで職場にそういう事務作業というかパソコン系のの作業得意な人いなかったから、本当にありがたいと思っているんだ。だから採用するときもさ、そこは必ず確認するようにしてて、、、ここだけの話、本当は菜々子がその役割を担ってくれると思ってたんだけどね。」

「菜々子が?」

「そういう反応になるよね。面接のときも、ワードとかエクセルとかパワーポイント全部できます!やります!みたいな感じで答えてたからさ、それだったらありがたいと思って採用したら、ちょっと休憩なんて言って、木登りしちゃうからびっくりしたよ。」

「それは、とんだインチキですね。笑」

「まぁ、彼女も彼女で、いいところというか得意な部分あるからね。ほら、あった。」

菜々子の言っていた野いちごの場所にたどり着いたことに気づく。足元には、赤い、かわいらしい実をつけた、野いちごがたくさんなっていた。普通に歩いていたら気づかないちょっと道から外れた草むらにあったので、よく気づいたなと、感心した。

「彼女、食べるの好きでしょ?この森で食べることのできるものになると誰よりも目ざといから。頼りにしているんだ。」

「そうなんですね。」

「それでいいかな、っていうかそれがいいなって思っているんだよ。みんながみんな、それぞれに得意とか好きなことみたいな自分のものさしを見つけて、それを生かせるような環境に身を置けたら一番いいなって、それがすごく難しいんだけどね、、、。」

「いや、普通にそう考えている副所長さんと一緒に働けて、私は今すごくうれしいですよ。」

「ありがとう。でもすごく理想像であることはわかっているから、何か嫌なこととかがあったらいつでも言ってね!本当に得意なこと、好きなことができなくても、わからなくても、とりあえず、嫌なこと、不得意なことをして無理を強いるなんてことだけは、避けたいと思っているから!」


そう言って、急に悲しそうな表情を浮かべた副所長さんの表情を見て、ふと涙が出そうになって、私は足元にある野いちごに手を伸ばした。

だからだと思った。菜々子の木登りが許されていることも、私の中で、心と身体を蝕んでいた寄生虫の存在が気づいたらいなくなっていることも、この人のおかげなのだと。きっとこの人は知っている。ここで新しいものさしに出会った子どもたちが結局、日常の中でそれを失っていくことも、嫌なこと、不得意なことを強いられた結果、その子どもたちがどうなっていくのかもすべて知っていて今、私にこのことを話してくれている。きっと今日私を下見に連れ出したのだって、心配してくれていたのだ。

たしかに理想像で、手の届かないことをしようとしているのかもしれない。けど手の届かないものに向かって、懸命に手を伸ばし続けているその存在のありがたさと、結局のところ何も変わらない社会とのギャップに、我慢していた涙がこぼれた。

「おいしいですこれ!」

「でしょう!」

そう言って、こぼれた涙を気づかれないように、手に取った野いちごを懸命に口の中に運ぶ。少しの酸味がさらに甘さを際立たせた赤い実の味を、そして、この人の存在のそばで、少しずつ肯定されていく自分の満たされた感触を、私はしっかりと噛みしめた。

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