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【小説】菜々子はきっと、宇宙人(第3話)

時刻はもうすぐ朝の7時半。会社へと近づくにつれて増えていく乗客たちによって、「満員電車」と定義される電車の状態が完成しようとしている。

私はその「満員電車」が本当に苦手だ。
田舎で育った私にとって、そもそも人が大量にいることを指す「人混み」にはじめて出くわしたとき、本当に吐き気がした。
人がいないというか、ほとんどの人たちが車移動で、歩行者がほとんどいない町で育った私に、目の前に歩いてくる人をよけるという能力は備わっていなければ、その「人混み」をまるで何事もなかったようなありふれた日常の一部として取り入れる能力ももちろんだけれど備わっていない。

そしてこの「満員電車」は電車という枠組みの中に、「人混み」をギュッと閉じ込めた地獄のような場所だと思う。
表情のない人々の険しい顔、むっとする熱気と数十種類の人々の体臭がまじった激しいにおい、無駄に揺れる車体、これだけ人がいるのに機械音しか聞こえない異様な無音の空間、すべてが私に同時に襲い掛かってきて、ただ通勤して出社しただけなのに、まるで走ったことはないけれど、フルマラソンを走った後のようなどっとした、もう歩けないような疲労感に毎日のように苛まれる。


「ふぅ」


とため息をついて、気を紛らわそうと、私は今日の朝、菜々子から来ていた返信のメッセージをもう一度開いた。

はる、私ね今ね、山に住んでるんだよ。
自給自足したいなって思ってて、移り住んだんだけど最高だよ。
空気はきれいだし、野菜も安くておいしいんだ。
人も少ないから、人とのストレスもないし。
仕事場もね、今林間学校で働いてて、だから、ほんと子どもたちと自然の中で遊んだりして、全然ストレスがないの。
ほんと毎日幸せってかんじ。あと温泉もすごく気持ちいいからさ、最高なんだよ。
ねぇ、はるも1回来てみない?

これほどまでに「脈絡」を感じさせない文面というのも珍しい。
そういえば、高校時代、菜々子が話す話は、基本的に、5秒に1度くらいの体感で話題が飛んでいくので、いつの日からか、突っ込みどころの多すぎるその話題を聞いたふりをして、突っ込んで追いつくことをあきらめていたことを思い出して、改めて、昨夜、突然友達追加されて送られてきたメッセージの送り主が、私がかつて高校時代を共にした菜々子という人物で間違いがないことを確認した。


菜々子は一体何なのだ。


なぜ、知っているのだ。
私が毎日満員電車に苛まれている中で、人のいない、空気のきれいな、自分のことを誰も知らないどこか遠くの自然の豊かな地に移住するのもありなのかもしれないと、ぼんやりとでも思ってしまうことを。

こんなこと、確かに、大学時代の近しい友人にはこぼしたことがあるかもしれないけれど、菜々子とは5年も連絡を取っていないし、そもそも高校時代の友人となんてほとんど会っていない。

ふと背中に視線を感じた気がして私は後ろを振り返る。
なんてことはない、そこにはいつもの満員電車の風景が広がっていた。


携帯を閉じ、吊り革を握って、立ったままの状態で、私は静かに目を閉じる。

思い返せば、我ながらそれなりに、一生懸命生きてきた人生だったと思う。

中学生の頃、テレビで見たドキュメンタリー番組で、とあるアジアの発展途上国で暮らす、貧しい人たちへの支援を行うNGOが特集されていた。
なぜかそこに惹きつけられた私は、一生懸命受験勉強をして、それなりに偏差値の高い進学校に入り、そこでもまた、部活に勉強にと一生懸命頑張って、それなりに名門と言われる私立の大学の、世界のことについて学ぶことのできる国際関係の学部に進学をした。
そこでは、自分自身が興味のあった、発展途上国の貧困や支援の実態について熱心に学び、念願だった、国際協力のボランティアサークルに所属して、日本で活動する国際協力のNGOの学生支部で、広報活動や募金活動などに勤しんだ。
大学に通いながら、アルバイトもいくつもかけもちしては資金を貯めて、発展途上国の貧困地区と言われている地に直接訪れたりもした。
そうやって充実した学生生活を送っていた私は、就職活動についても、そこまで困らなかった。学生時代に力を入れたことを指す、いわゆる「ガクチカ」のエピソードなんて腐るほどあったし、そもそも、いつか自分は「世のため、人のために、世界を変えられるような仕事をする。」と信じて疑わなかった私は、就職すること自体が、あくまで、1つのステップで、踏み台に過ぎないという認識でいたので、とりあえず早くからさまざまな経験を積むことができる、そして、裁量権を持って働けるそれなりに名の知れたベンチャー企業に一生懸命自分自身をアピールして内定をもらい、この春、晴れて社会人となった。

「いつか、世の中を、世界を変える仕事がしたい。」

そんなことをほざいていた自分が、死ぬほど恥ずかしい。社会という現実の中で今、社会という名の冷たいコンクリートを、踏み台にするどころか、逆にそれに押しつぶされそうになっている。

そういえば、1ヶ月ほど前だっただろうか、毎日のように立ち寄っているコンビニのレジ横に、世界のとある国で起こっている難民問題の支援に関わる募金箱があると気づいたとき、私は愕然とした。

あれだけ世界を変えてやると意気込んでいたあの私は今、世界どころか、日本で起こっている事件や問題についてすら何もキャッチアップできていない。

そして、あんなに頑張って一生懸命やっていたボランティア活動なのに、私は今、目の前に置かれた募金箱にお金を入れることすらできる心の余裕も、お金の余裕もない。

私がそれなりに、短くはあるのだろうけれど、人生の中心として熱中して、尽力してきたものは、ただ単に、親の援助あっての、学生という肩書きの特権の上でしか成り立っていなかった単なる虚構のような事実を受け入れたくなくても、受け入れざるを得なかった。

アナウンスが車内に流れて、あと一駅でオフィスに着くことをお知らせしている。
人々の流れをせきとめないよう、スムーズに改札を出るために、バッグのポケットから、定期券を取り出す。
まもなくオフィスに辿り着こうかという電車の車内は人々がひしめきあっている。私は頭の上に位置している吊り革にぐっと力を入れて、必死でつかまる。


人混みに、社会という名の冷たいコンクリートに、私は今押しつぶされて、ぺちゃんこになって、最終的に消えてなくなってしまいそうだった。

菜々子のあの脈絡のない、とっちらかった文面を思い出す。

私だって、私だってできることなら逃げ出してしまいたい。こんな毎日から解放されて、伸び伸びと自由に暮らしてみたい。


けれど、結局のところ、そうやって飛び込んだ自由の先に何があるのかなんてわからないし、自分が本当にやりたいことなんて、忙殺される日々の中でとっくの昔に消え去っている。今目の前に必死で掴んできたものを手放したときの得体の知れない恐怖のことを考えたら、結局のところ、押しつぶされそうな現実の中で生きることと何ら変わらないのではないか。

電車が駅に着いて、ドアが「シュー」という音を立てて開いた。
どんなにぐるぐると考えたって、結局のところ、私は今日もきちんといつも通りの時間に起きて、顔を洗って、歯を磨いて、いまだに慣れないスーツの袖に腕を通して、家を出て、電車に乗って今ここにいる。
そして、私にはこれからオフィスに出社するという選択肢がある。むしろその選択肢しか私にはない。


だから私は、ここから、この日常から逃げ出せない。


そう結論づけて、電車を降りて、オフィスに向かって1歩を踏み出した私が、菜々子に返信を送ることはなかった。


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