それはたぶんシンプルな言葉で

ヴァイオレット・エヴァーガーデンという作品について書きたいと思う。覚え書きに。

この作品は、京都アニメーションの作品だ。
しかしもしこの作品をこれから初めて観る時は、どうか、それを忘れてほしい。


物語は、大戦後の架空世界から始まる。
戦争で両腕を失った少女兵、ヴァイオレット。
戦うことしか知らない人形のような彼女は、新天地ライデンで代筆屋となることを決意する。
敬愛する上官、ギルベルトの残した言葉、「愛してる」の意味を知るために。

まあざっくり言うと、少女が愛に気付くまでのお話である。
愛を取り戻すのでも、愛を生み出すのでもない。愛はいつもそこにあった。それに気付くまでの話。
放映当時は賛否あったと聞く。さもありなん。
お涙頂戴な間の取り方も確かにあり、それが鼻につく人もあったろうと思う。
わかる。私も、そういうストーリーは大嫌いだ。死と愛をやたらからめてくるのも胸焼けがする。そら人が死ねば悲しいよな、と冷静に考えてしまう。汚く舌打ちする。


しかし、私はこの作品が好きだ。
何故か。
それは、ヴァイオレットが好きだからだ。
彼女は無口だが、ちゃんと仕事もするし、他人とも関わろうとする。あきらめない。不可解な言葉を理解しようと頑張る。とても人間くさい少女だ。
きっと彼女はずっと人間が好きだったのだろうと思う。ただそれを、その感情を、何と呼ぶかを知らなかっただけなのだ。

9話でホッジンズが「彼女はなくしてなんかない。なにも…」と呟くシーンがあるが、私はあの台詞が大好きだ。
(どちらかと言うとラストが名台詞なのであろうが、1話のヤケドについての語りと合わせてこちらを挙げたい)
傷ついてなお、宝石のように守られているもの。それは、彼からの愛してるである。

彼女は愛してるを本当は最初から知っていたのだ。
だからこそ、ギルベルトもまた彼女を愛した。
戦火の中で焼け付いていく心の中の花を、不器用な少女を愛することで守ったのだ。
あの瞬間、彼は、家名からも任務からも解放されて自由になった。彼女にもそうあって欲しいと、ただ願った。
彼女はそれの名を、最初から知っていたのだ。

でなければルクリアの兄を救ったような手紙は書けない。それをホッジンズは理解していたからこそ、あの言葉が出たのだと思う。
同じヤケドを持つ者として、彼もずっと苦しんできたに違いない。けれど、またギルベルトの友人として、けして愛をなくしたわけではないのだとカトレアに応えた。彼女も自分も、何も失くしてはいないのだと。
愛はずっとそこにあるのだと。


泣けることばかりが強調されがちな本作だが、その回だけを観るのでなく、最初から最後まで視聴することを、強く薦めたい。
そして、ラストの手紙をかみしめてほしい。
愛は、いつだってそこにあるのだということを感じてほしい。

これは、遠くの愛を知る物語ではなく、すぐそこにある愛に気付く物語である。

大きな仕掛けなど何もない。ただシンプルなその言葉に涙する。
私は、この話が好きだ。



最後に。
京都アニメーションの方々に感謝を。

際立つものはないかもしれないが、平凡な日常を鮮やかに、隠された心情を丁寧に描くこの作品はアニメ作画のあるべき姿そのものだと思う。
おそらく次世代まで語り継がれるだろう。
これが私たちからの愛してるだ。

ありがとう。
また、一緒に夢をみましょう。








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