見出し画像

「真珠女」4話【脱皮】

【脱皮】

会計を済ませてエレベーターを待っている間「適当に入ったけどいいお店だったね」と言われ「枝豆が美味しかった」と返しながら、この後どうしたいのか聞けずに気まずくなり、涼から顔を逸らす。エレベーターが開くと中には私達と同い年くらいのカップルが腕を組んでいた、終電前の雑居ビルのエレベーター、彼らはイチャイチャしていたわけでもないのに、彼らの事をじっと見てはいけないと思いぎこちなく奥へ進む。
ドアの方へ向き直ると涼は私の後ろに立って、両腕を首の辺りで組んだ。無言のまま一階に到着しエレベーターから降りようとした時、自然と涼の手は私の手を捕まえ先に進んでいく。この瞬間、私が涼の手を拒まなかった瞬間、お互いに「まだ帰らないよね」と言う気持ちの確認がとれた瞬間に世界は脱皮する。固くパリパリになっていた薄い皮が一本の亀裂をきっかけにずるずると剥ける。目に見えるものは何も変わらない、私の立ってる場所に陽が差したわけでもない、けどこの脱皮した世界はきっと甘いに違いない、甘すぎて頭が痛くなり喉がピリつき、そのうち私自身がべっこう飴になってしまう世界。

プルオーバーを脱いでシャツ姿になった涼に見惚れる、思っていたより腕が筋肉質だな。
ホテルまで来る途中のコンビニで買ったビールを飲みながら2人でテレビを観ていると、6年前の今月流行った曲ランキングが音楽番組で流れ始めた。

「6年前だって、この曲カラオケでよく歌ってたな」
「すごい流行ったよね、てか奈帆カラオケ行くの?歌うの?」
「カラオケ行ったら歌うよ、でも数年行ってないな、バーとかスナック行ったら歌うよ」
「じゃあ今度カラオケ行こうよ、奈帆が歌ってるところ見たい」
「うん行きたい、カラオケのご飯好きなんだよね、the冷凍って感じの味」
「カラオケのご飯好きなの?ええ可愛い」

腕を引かれ頭を抱き寄せられる。柔らかい指先が唇に触れる。

“カラオケ行きたい”なんて言われたのは高校生以来だ、カラオケなんて男女2人で行きたくない。
涼もきっと私と2人でカラオケに行きたいなんて1ミリも思ってない。
2人で目の前に飛んでいる1つのシャボン玉を眺め、シャボン玉を破らないようにお互い気を遣って進んでいく会話が、今日初めてホテルに来た男女独特な雰囲気だなと、涼の指を咥えながら思う。

世界の脱皮だ自分がべっこう飴になってしまうだ浮かれていた時と比べて、冷静になってしまったと思いながらベッドに沈む。


#創作大賞2024
#恋愛小説部門


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?