おじいちゃん
おじいちゃんのことが大好きだ。今から数年前に亡くなってしまったけれど。
ここでいうおじいちゃんとは、母方のおじいちゃんだ。おじいちゃんはお酒をよく飲んで、飲まれていた。奥さんが若い時に先に亡くなって、寂しかったからだとみんなが言う。後半はアル中になってしまっていて、すぐに怒鳴られるから当時は会うことも嫌だった。けれど、病院で治療して、優しいおじいちゃんに戻った。それからはまた大好きになった。晩年、おじいちゃんはいつも飴を食べてた。
そんなおじいちゃんはある時、倒れた。病院に駆けつけて、ベッドで眠るその姿を見て、こんなにおじいちゃんは小さくなったのかと驚いた。家にいても、日に日に小さくなる様子は見て取れたけど、ベッドで薄い色の病衣を着て寝転がるおじいちゃんは保護色に包まれているようで、ふと消えてしまうように思ったからだ。
私はおじいちゃんの病気については何も聞いてなかった。ただ高齢だし、体調を崩すこともあるなぁと思いながら、休みのたびに顔を見に病院へといった。
一度退院したから、おじいちゃんの家の方にお見舞いの方に行こうと思ったけど、すぐに救急車でまた運ばれてしまった。病院から「退院してください」と言われた翌日のことだったので、病院ってよくわからないものだなぁと思った。病院のシステム?とかで、3ヶ月単位で追い出されるのは私も経験者だけど、おじいちゃんはそれよりもうんと短いのに出されたからだ。
再入院したおじいちゃんはしきりと「退院したらご飯の準備をどうしよう」と悩んでいた。未婚の叔父と二人暮らしだったけれど、息子は仕事で忙しくおじいちゃんは自炊していたからだ。お母さんはおじいちゃんに「私が作るから大丈夫だよ」と笑った。お父さんもうちの家におじいちゃんを引き取れないか、部屋の模様替えを考えていた。おじいちゃんがうちに来る……それは不思議なことだけど、素敵だと思えた。
そんなある日、お見舞いに行くとおじいちゃんはお昼寝中だった。ただ気持ち良さそうに眠っていて、時にふと笑う。その笑顔が子供のようで、お母さんと「おじいちゃん、赤ちゃんみたいだね」と笑ったりした。その日からしばらく仕事が忙しくなることもあり、その前にきちんとお見舞いに行けたことに安心して帰宅し、眠りについたところでおじいちゃんが亡くなったという知らせが届いた。冗談だと思った。お母さんが「最後に会えて良かったね」なんていう。「はるのを待ってたみたいだね」って。もしそうなら、私はおじいちゃん不幸をしてずーっとお見舞いになんて行かなかったのに!おじいちゃんにはもっと生きていて欲しかったから、たくさん泣いた。目が溶けるほど泣いた。それでも、泣きながら良い最期だったと納得もしていた。退院してからのことを夢見て亡くなったおじいちゃんはとても幸せだった。
あとから、おじいちゃんが白血病だったと聞いた。不思議なことに、家族全員誰も病院サイドから聞いていなかった。もしかしたら、叔父が一人で聞いて誰にも伝えなかったのかもしれないけれど、それにしても不自然なのでこれは我が家の七不思議である。もし、私たちが聞いていたとしたら、途中で退院を切り出された時に断っていたはずだ。だって、退院後1日保たずまた病院送りになってしまったのだから。それでも、誰も知らなかったのでおじいちゃんに死を意識させることなく、接することができた。その点はとても良かったと思う。
ただ、田舎の病院だからか、モラルに欠けた看護師さんが、おじいちゃんを見ながら他の人に「あの人、もうダメなのよ」なんて話してた現場を家族が見たらしく、それだけは憤りを感じている。もし、おじいちゃんがそれを聞いていたら、どんな気持ちだったのか。どうか、耳が遠くなっていて、聞こえていませんように。そればかりを毎日祈ってる。過ぎた日のことだけど、祈らずにはいられない。おじいちゃんが最期の瞬間までどうか幸せでありましたように。
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