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『居るだけでいい』を目にした話

「『居ていいんだよ』と言ってもらいたい」という痛みを持っている人の話を聴くと、いつも思い出すエピソードがあります。
借金玉さんの本の読書感想文を書いている中で、やっと文章にできたのでここにシェアしておきます。

私の場合は元々「最上志向(人の強みを見つけて最大限活かす)」という資質があり、人のいい所を見つけるのが得意で、自分でも他人でも、存在を肯定する根拠(というか要素)を見つけるのに苦労はしていなかったんです。しかも、借金玉さんが例に挙げていたお金や社会的地位と違って、個性や資質は失われたり、根拠が崩れたりもしづらいです。なので、学校や職場や趣味のつながりで出会った人や、自分自身、親きょうだいを肯定する根拠には事欠かず「無根拠な自己肯定」の必要性を感じていませんでした。

ただ、その理論だけでいくと、例えば生まれたての赤ちゃんとか、認知症の進行したお年寄りとかは、そのままの状態で(将来への期待や過去の実績抜きに)肯定するのは難しいのです。
また、「最上志向」は強みは活かしてナンボという考え方なので、裏を返すと強みが活かされていない状況には否定的なんですね。(それがエネルギーにもなるんですが。)

そんな中、発達凸凹の息子が3歳から通い始めた保育園の対応が、私には衝撃でした。息子が一番気に入った場所(通路の一角)に、ついたてで囲われた専用スペースが設けられ、お気に入りのおもちゃが並べられていたのです。
私は「さすがに甘やかしすぎじゃないの!?」と思いました。
というのも、前の小規模園では、基本的には他の子と同じように過ごしていて、必要な時はサポートしてもらったり、難しい時は別行動にしたり、こだわりにはつき合ってもらうなど、「どんな子でもそういう時もあるでしょ、特別扱いではないよ」というスタンスだったからです。

園の方針としては「まずは、本人が安心して過ごせることを第一に、ここに居ていいんだよ、ということを伝えたい」とのことでした。私はそれを聞いて「前の保育園では、誰よりも早く保育園になじみ、朝も他の子のようにグズグズしたりすることなく毎日喜んで通っていたので、保育園が楽しい所だとは知ってると思うけどなぁ~」と思っていました。「まずは」というのを、私は「保育園に慣れるまで」つまり第一段階という意味だと理解していたのです。

ところが、その後、先生たちの愛情あふれる関わりや、一緒に(むしろ親以上に)成長を喜んでくださる姿を見て、「ここに居ていいんだよ、ということを伝えたい」というのはあくまで先生たちの意思で、「本人に伝わること」が最終目的(伝わったらOKということ)ではないんだなと分かりました。「まずは」は、第一段階という意味ではなく、第一義的、つまり、いつ何時も「本人が安心して過ごせること」が最重要かつ最優先、という意味だったんですね。

また、入園から時が経っても「そのうち(特性を持った子やサポートが必要な子が常に在園している園だし)”変わった転入生”から、いつの間にかクラスに溶け込んで、何となく受け入れられるんじゃないか」という私の期待とは異なり、息子は特別扱いのままでした。そして「特別だから」でも「特別なのに」でもなく「特別なまま」愛されていました。

特に最初の1年は、本人があまり同い年の子たちに興味を持っていない中、専用スペースに通って来る子がいたり、給食の席では息子の隣が取り合いになったりしていて、報われないのによくみんな諦めないなぁと思っていました。(1年で、クラスメイトの後ろからギューを 嫌がる→気にしない→受け入れる までは進歩したみたいです。そこまで反応がないのにアプローチし続けられる子がすごいなと。。夫曰くは、諦める子もいたけど諦めない子がいて、その後ちょっとリアクションがもらえるようになってから仲良くなりたいと思った子もいたってだけの話じゃないか、とのことですが。)

最近では、朝の集まりなどにも参加しているそうですが、写真を見ると、みんなが体育座りで集合している真ん中に横になって、しかも、ちゃっかりお友達と手をつないでいました(しかも恋人つなぎ・・・)。

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なんというか「『居ていい』を超えて『居るだけでいい』とはこういうことか!」と思いました。

それまでは「ハンデがあっても(なくても)子どもたちが長所を活かして何とか生きていけるように、私が導かないと」と思い込んでいたんですね。その思い込みは「私ならできるはず」という自尊心につながっていて、でも実際には、身の回りのお世話と家事と会社の仕事で終わる毎日で何もできず、ついに立ち行かなくなりつつあるから、"私"が困っていたんだ…という気づきでした。(「強みが活かされていない状況に否定的」というのがこのことです。)

別に私が何をしてもしなくても、息子はそこに居るだけで愛されていたのです。そして、それはそっくりそのまま私にも言えることだったのです
(もちろん、私が何もせずぼーっとしていたら、子どもたちに「ぎゅうにゅう!」とか「おながすいた!」とか言われますが、そんなの私が一所懸命ご飯の準備をしていても言われますからね!!つまりご飯を作っているママも作っていないママも大好きってことです。)

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