見出し画像

6畳一間の宇宙~会社員が見つけた創造の楽園~

薄暮の光が窓辺から忍び寄る。
静かに、しかし確実に、日が傾いていく。

私は机に向かい、モニターの青白い光に照らされながら、指先でキーボードを叩く。
カタカタという音が、この6畳一間の空間に響く。
これが私の副業部屋だ。

昼間の喧騒が遠ざかり、夜の静寂が訪れる境目。
この時間、この場所で、私は別の自分になる。

昼間の私は会社員。
スーツに身を包み、電車に揺られ、オフィスビルの中で時を過ごす。

しかし、ここでは違う。
Tシャツとジーンズ。髭も剃らずに。

ふと、カフカの『変身』を思い出す。
グレゴール・ザムザが朝目覚めると一匹の虫になっていた、あの物語。
私も毎晩、この部屋に入ると別の生き物に変身する気がする。
昼の蝶から夜の蛾へ。
いや、それとも逆か。

指先が止まる。
目を閉じると、かすかに聞こえる。
風の音。
木々のざわめき。
そして、遠くで鳴る電車の音。

都会の中の小さな孤島、それがこの副業部屋だ。
嗅ぐ。
コーヒーの香り。
少し前に淹れたものが、まだカップの中で温もりを保っている。
その苦みが、私の思考を刺激する。

男性である私が、なぜこの部屋にいるのか。
社会は男性に何を求めるのか。
主たる稼ぎ手であれ、と。
しかし、それだけでは足りない。
もっと自由を、もっと自己実現を。
そんな欲求が、この部屋を生み出した。

ヴァージニア・ウルフは『自分だけの部屋』で、女性の創造性について語った。
しかし、現代では性別を問わず、誰もが自分だけの空間を必要としているのではないか。

壁に掛けられた絵画を見上げる。
ゴッホの「星月夜」のレプリカだ。
渦を巻く星空。
激しく揺れる糸杉。
眠る村。
この絵の中で、全てが動いている。
静止しているはずの絵の中で、宇宙が脈動している。
私のこの部屋も、外見は静かだが、内側では何かが激しく動いている。
思考が、感情が、創造性が。

時計の針が進む。
時間とは何だろう。
アウグスティヌスは『告白』の中で、時間の本質について深く考察した。
過去はもう存在せず、未来はまだ存在しない。
現在だけが実在する。

しかし、その現在も瞬時に過去へと変わっていく。
この部屋で過ごす時間も、いつかは過去となる。
それでも、この瞬間、この経験は、私の中に永遠に刻まれるのだろう。

モニターに映る文字たち。
これは私の作品か、それとも私自身か。
ボルヘスの「バベルの図書館」のように、この世界のあらゆる可能性がここに詰まっているような気がする。
無限の組み合わせ。
無限の物語。
そして、その中の一つが、今ここで生まれようとしている。

夜が更ける。
もうすぐ、この魔法の時間は終わる。
しかし、明日また、私はこの部屋に戻ってくる。
そして、また別の自分に出会うのだろう。
この部屋は、私の中の多様性を映し出す鏡。
社会の中の一つの役割、家庭の中の一つの立場。
それらとは別の、もう一つの可能性。

窓の外を見る。
街灯の光が、闇の中で瞬いている。
明日も、明後日も、その先も、この光は私を待っている。
この部屋で過ごす時間が、やがて私の人生そのものになるのかもしれない。
あるいは、永遠に秘密の楽園として存在し続けるのか。
それはまだ分からない。

ただ、確かなのは、この瞬間、この場所で、私が生きているということ。
それだけで、十分に意味があるのだと思う。

#創作大賞2024

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?