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母もまた人間。

「これだけは子どもにしないでおこう、言わないでおこう」と思っていたことを、気付いたら口にしている自分に出会ったときのショックの大きさ。

世のお母さんたちは知っていると思う。

子どもの頃の経験というのは、自分が思っているよりずっと根深い。
じわじわと自分の奥の部分に浸透していて、理性で矯正しようにもできないのだ。

例えば私なんかだと父が亡くなった時に

「お姉ちゃんだから、お母さんのことも弟のことも守ってあげなさいよ」

「あんたはすごい子なんだから」

みたいな感じの言葉を幼い頃によく言われたことで、「すごい」人でいなくちゃいけないみたいだと、当時の私は解釈してしまい、どこかでずっと背負ってきた。

だから、出来ないこと、すごいと言われない物事に遭遇した時の絶望感とか、悲壮感たるやすごかった。

隣で「また10点取っちゃったよ〜ははは」って笑いながらみんなに好かれるようなクラスメイトとかがうらやましかった。

そして、この種の類の思い込みから自分で何かを背負ったり、両親や周りからかけられた言葉に縛られ続けている人が、私が思うよりも意外と多くいるのだということを、最近色んな人と話しながら思った。

もちろん、それを乗り越えるためのワークだったり、セラピーだったりもあったりして、私もそういうものを取り入れたりすることもあるけれど、とりあえずはまず、現状の自分をまるっと抱きしめてやろうと思う。

我が子に同じ思いをさせたくない、という愛は、確かにそこにあるのだから。そして、そんな自分を許していくと、その奥にある自分の親の愛にも手が届く気がする。

当時のお母さんだって、お父さんだって、今の私たちと同じように子育てしてまだ日も浅くて、私たちと同じように自分たちがされて嫌だったことはしないと思って頑張ってくれていたかもしれないし、仕事や他のことでいっぱいいっぱいだったのかもしれない。

みんな、頑張ってたんだ。みんな、人間なんだから間違えることだってあるんだ。できないことだってある。

全部許そう。

子育てなんて、完璧になんてできない。親になるということは、完璧になることを目指すのではなくて、できない自分も、そしてほろ苦い過去も、親の気持ちもまるっと許せるようになるためにあるのかもしれない。





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