狂人達の満員電車

 本当に頭のおかしい人間は、変人ぶったりせず、自分をまともに見せて世の中に潜伏している。

人と違っていたいという気持ちはあくまでも、まともな人間にしか起こらない感情で、本当にズレた人間というのは普通に憧れて浮かないように必死に擬態している。


この話を余談として大学の教育心理学の講義で聴かされた時の恐怖は言語化しようがない。
私はその頃、茶髪の似合う、彼氏がいて友達と広く浅く交友するあまり勤勉でない感じのどこかミーハーな雰囲気の女子大学生に強く憧れていたのである。
美大に通っていたので個性的な風貌の人が多かった。髪の毛の色も赤、シルバー、ピンク、紫に緑、金髪と色とりどり。
彼女たちは個性的に見えて可愛かったし私だって個性的な髪色にしたら良かったかもしれない。
しかし、しなかった。似合う似合わないという問題ではなく、私は自分が頭のおかしい人間に見えないかを心配していた。あーいうのはまともな感じのオシャレで可愛い人がやるから可愛いのだ、私がやったら本気で変人だ、、気の狂った人だ、そう思った。
結局個性的な色はやめておいて茶色に染めた。それすら似合わなくて、中途半端ですぐやめた。
周りの人は茶髪も似合う〜、と誉めてくれたけど、「みんなみたいに可愛くないな、」と感じてしまったのである。
茶髪の無難な雰囲気は余計に私の内面外面の癖や気持ち悪さを顕著に炙り出してしまう気がした。

クラスにいた、集団でトイレに行くことになんの疑問も持たない女の子たち。
塾に通って成績を気にしたり、彼氏との恋ですぐ頭がいっぱいになる女子高生。
髪を栗毛に染め、ダイエットと美容と化粧の話で友達と盛り上がる女子大生。

いつもそういう人たちの不可解な行動を理解出来ないまま真似しようとした。
アイドルやドラマの話は興味がないのであまり聞いていなかったがキラキラと目を輝かせて話す子達に本気で憧れていた。
あり得ないくらいの共感力と死ぬ程空気を読む能力だけは運良く備わっていたので誰からも虐められたこともない癖に、いつもどのグループからももれなくハブにされている感じがしていた。クラスの中やすぐ横には友達がいるのにマインドはどこかぼっちであった。
感受性が豊かどころか感情の制御が難しく、怒りや悲しみに振り回されていて、幼少期から白昼夢みまくり、しょっちゅう乖離しているような自分ではなんだか申し訳なかった。自分が存在していることに生まれつきやんわりした罪悪感があったし、存在している事自体が悪のような気がしていた。

こういう私のような人間は大方面倒なので周りに置きたくない。
申し訳ないが御免である。

「人と違うことは悪いことではない。」とか言う人がいる。
別に悪くない。というか、良い悪いのベクトルの話ではなく、「人と違っている」のは事実なのだ。つまり現状。
「変わり者」「人と違う」というのはただの事実なのでうまくやれば「良く」なるし、ヘタこけば「悪く」なる。人と違うことは誇らしくも悲しくもない、ただの特徴だ。隠しておいた方が有利な場面では隠せばいいし、変人を出した方が良い場面では出せばいい。

今私はこの文章を電車の中で書いているが、もしかしてこの電車も隠れ狂人の巣窟かもしれん、、、そんなことを考えている。

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