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王女殿下のお散歩

この作品は「作家令嬢と書庫の姫~オルタンシア王国ロマンス」シリーズ一巻「作家令嬢と書庫の姫」の発行時に書いたSSです。一巻直後くらいの時系列のものです。

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「ふと思ったのだが……」
 リザことオルタンシア王国王女エリザベトは、王宮の回廊を歩きながら金褐色の瞳に真剣な光を宿らせて何やら熱心に考察していた。
「ダンスの最中さりげなく相手の足を踏むいい方法がないだろうか。こちらはドレスで足元が見えぬから、相手の足の位置がわかりづらい。一撃で狙うのは難しいのではないか」
 ダンスは一撃で相手の足を仕留めるものではないと思うのだけど……。
 リザに付き従って歩いていたアニアことクシー伯爵令嬢アナスタジアは問いかけた。
「リザ様には足を踏んでみたいと思われる殿方がいらっしゃるのですか?」
「いや、単なる思いつきだ。どうせやるなら靴の踵に体重をかけて踏みつけたらもっと効果的だろうとかいろいろと考え始めたら止まらなくなった」
「……それは想像しただけで痛そうですわ」
 下手をすれば足の骨を痛めてしまうかもしれない。
 それに、今はダンスの稽古から部屋に戻るところで、そんなことを口にするということは。
 もしかして、お稽古の間そんなことをお考えだったのかしら。
「リザ様はダンスがお好きではないのですか? お上手でいらっしゃるのに」
「苦手だぞ。踊っている間退屈なのであれこれ考えてしまうからな、講師からはよく注意される」
 退屈……。わたしはステップを間違えないように緊張するのに、リザ様はすでに考え事をする余裕までおありなのね……。凄すぎる。
「むしろ剣術などの方が退屈しなくて済みそうなのだがな。なかなかお許しが出ないのだ。勝手に兵たちに教わろうとしても本気で相手にはしてくれぬし」
 アニアはふと疑問に思っていたことを問いかけてみた。
「そういえば、リザ様はどうして兵士たちと顔見知りなのですか?」
「普段から兄上が近衛の訓練場で剣術の稽古をしているから見学に行くことがあったからな。散歩のついでに立ち寄ることもあるし」
 アニアは首を傾げた。
 前に見かけたリザと兵士たちの会話がかなり砕けているように見えた。よほど頻繁に顔を出していないと、相手が身分を気にしてああはならないはず。
「お散歩……ですか? もしかして、書庫にいらしていた間も?」
「さすがに一日中本を読んでいるだけでは目が疲れるからな。時には身体を動かしたくなる。書庫にいた間は侍女が貼り付いていなかったから抜け出すのは楽だった」
 なるほど。そういうことだったのね。
 リザはつい最近まで書庫で寝泊まりしていて、女官たちですら姿を見かけない日があったという。書物に没頭しているのだろうと思わせて実は抜け出していたのだろう。
 リザが王宮内を案内してくれたときも侍女や女官を振り切っていた。以前からそうしていたのだろう。
「どうせ王宮の外には出られぬのだからな、このくらいは好きにさせてもらおう」
 リザはふわりと笑みを浮かべる。そのどこか諦観めいた表情にアニアは小さく胸が痛んだ。
 いつかは他国に嫁ぐことになるだろう彼女には自由がない。王宮の外の出来事は書物でしか知らないのだ。リザが知る世界はさほど広くはない。
「では次のお散歩のときはぜひお供させて下さい。わたしはまだまだ王宮の中のことは詳しくありませんから」
「謙遜だな。そなたは隠し部屋の場所まで知っているだろう」
 リザはそう言って茶化すと目を細めた。
「知っているのはわたしではありませんもの」
 王宮の中を知っているのは祖父であってアニアではない。書物でしか外のことを知らないリザと似ているのかもしれない。
 リザはアニアの心中には気づかない様子で微笑む。
「それもそうだな。ではこれから行ってみるか? 実は庭で青い翼をした鳥を見かけてな、また来るかもしれぬと餌を置いてきたのだ」
「まあ。素敵ですわ」
 二人の帰りをリザの部屋で待ち構えている女官長には申し訳ないと思いながら、アニアはリザの散歩に同行することにした。
 ……けれど、もし叶うのならば。
 いつか、リザ様に王宮の外をご案内できる日がくればいいのに。ぜひともクシー領の美しい海を見ていただきたいわ。
 そう思いながらアニアはリザのあとを追いかけた。