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推し活が資本主義の一つだった

ひと昔前まででは煙たがられる存在だったオタクが、

今や自分の好きな人、対象、もの全てを推しと呼ぶ時代になり、何かを好きであることや応援することがオープンになった。


私もいわゆる推しがいる一人なのだが、小田桐あさぎさんの資本主義ゲームで気づいたことがあった。

それは推し活は資本主義の一つだったのではないかということである。


資本主義ゲームの詳細はここでは割愛するが、

結論としてどれだけ働いたかということではなく、どれだけリスクを取ったかが資本主義ゲームの勝者である。

このリスクを取るのが推し活にも繋がっているなと感じた。

というのも私が応援しているアーティストというのは、

そのアーティスト自体のファンクラブと、事務所全体のファンクラブ(正式にはオンラインサロン)が存在する。

その2つはそれぞれ内容も異なるが当然、価格も異なる。

ライブに応募できる権利は同等に与えられているが、その倍率は違う。

もちろん、高い会員の方が当選確率が上がるのは当たり前である。

だが必ずしも当選してライブに行けるというわけではない。あくまで確率が上がるということだ。

つまり先にどれくらいの価格の会員に入るかで、リスクを取る大きさが変わる。

月500円と月5000円では大きくリスクが変わるのだ。

一部のファンの間では、月5000円の会員は高いや不平等だという意見もある。

私自身この会員ではないが、この資本主義ゲームを前提にすればあまりそういう風には思わない。

なぜならば、倍のお金を払うということは、資本主義ゲームでいうリスクを取るということだからだ。

そういう意味では、推し活は資本主義の一つと言えるのかもしれない。


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