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クリスマスのこと


12月である。
12月で思い出すのはやはり、飲食業に携わっていた時のことだ。
私は19歳の時に人生初のアルバイトをホテルのレストランで始めてから10年程、色んなレストランでホールスタッフとして飲食店に勤務していた。
12月は通常、飲食店にとってはそれはもう大変な繁忙期である。1ヶ月を通して忘年会、クリスマス、年越しパーティー、とにかく毎日が目まぐるしい。
アイドルタイム(ランチとディナーの間の休憩時間)がない商業施設内のレストランにいた時は、オープンからクローズまで休憩は疎か賄いを食べる時間すら無かったのを覚えている。
一番印象に残っているのが、クリスマスに初めてのコース料理の提供に挑んだレストランにシフトで入っていた時だ。クリスマスディナー開始直前、社長、店長、調理長、社員さん、そしてそれぞれのポジションのベテランアルバイト勢で固められた錚々たるメンバーが円になり、それぞれの動きやトラブルシューティング、アレルギー情報共有などの入念なミーティングをする。(お店のホール業務には、ウェイターの他に、ウェイター補助のバッサー、お客様のご案内や受付業務のレセプション、厨房とホールを繋ぐデシャップ、料理を運ぶランナー、ドリンクを運ぶドリンクランナーなどなど、色んな役割がある。)
社長、店長、社員さんを筆頭に、数名がインカムを渡され全ての状況や指示が耳に入るようにする。インカムの電池も総入れ替えで準備万端だ。

クリスマスディナーは、17:00〜、19:00〜、21:00〜のテーブル3回転。
1回転目から2回転目は完全満席、他に空きのテーブルはひとつもない為、失敗は許されない。どのテーブルも2時間でデザートまでのコース&お会計終了、即リセット(テーブルを次のご案内の為のセッティングに整えること)、即2回転目のお客様ご案内、だ。
店内に広がる緊張感。
レセプションからの「ドアオープンします!」を合図に、お客様が次々と案内される。
とにかく滞りなくコースを進めること。
済んだお皿は、次のお料理を出す妨げにならないようにさっと下げる。2名用に分けられたテーブルは決して広くない。
ドリンク、前菜、スープ、お魚料理、ここまでは大変に順調だった。
お肉料理で、料理が止まった。
慣れないコース料理、懸命に踏ん張っていたキッチンがパンクしたのだった。
緊急事態に、店長はエプロンに着替えて厨房へ。社長の怒号がインカムから聞こえる。それに反してホールの雰囲気は大変穏やかで、そのギャップを鮮明に覚えている。
懸命に料理を盛り付ける店長。
腕まくりで洗い場に入る社長。
なかなか出ない料理。
迫る2回転目の時間。

お肉料理、なんとか出る。
あとは、、デザートだ、、!!
予定よりかなり遅れている。
というか何ならもうアウトだ。
ここでテーブルで始まる、お客様同士のプレゼント交換の嵐。
デザート、、デザートが置けない、、!!
こちら都合ですまないが、ちょっと、ちょっとだけ、どけてくれないか、、!!!


レセプション
「店長!!レセに来てください!!入口の前に2回転目のお客様が溢れて大変な事になってます!これは本当にヤバイかも!!」

目を見合わせて凍りつくインカムスタッフ。
そうだった。
食事の終わったテーブルから、2回転目のお客様を次々に案内する予定だったのが、まだ1組も送り出せていないのだから、それはそうだ。
百数十人のお客様がお店の前で待っているのだった。

店長
「こっちも必死なんだよ!!そっちでなんとかしてくれ!!」

店内に陽気に流れるクリスマスソング。
この辺りから20時ぐらいまではほとんど記憶がない。ポジションもそこそこに走り回って、とにかく軌道に戻す為に全員が全力で奔走し、気が付いら20時過ぎであった。

大変なクリスマスは何度も経験したけれど、この時のことは今思い出しても手から変な汗が出るくらいしっかり思い出せる。
そしてどの思い出よりも笑える。
不思議なもので、一番大変だった事は後になれば一番の笑い話だ。

飲食業を離れて随分経つけれど、あの緊張感と高揚感、スタッフ同士で連携する楽しさや、ドタバタの大混乱祭り、いやーヤバかったねー!なんて言いながら着替えるロッカールームが、今も時々恋しくなる。
12月になると今年もまたこの季節がきたなぁと、懐かしく思い出すのだ。

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その頃の私。
ネクタイの締め方は、母から教わった。

2020.12.3


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