2. 蒸気の島へ
ナターシャがイシアに会う、しばらく前。
青い空を一つの列車が、蒸気を吹き出しながら走り抜けていく。列車は宙に掲げたアームにぶら下がり、先頭の機関車に引かれて滑るように走っていく。楽しそうな乗客で賑わう車両や、貨物を乗せた車両が連なって、列車は雲の間を走る。
その中に一両、貸切られている車両がある。高級そうな家具が設置された車両の窓際に、白い真っすぐなミドルヘアーの女性が座り、外を見ている。何のバッジも勲章もない、ただピシッとした白い軍服を着た彼女は、ある場所を目指してこの列車に乗っている。そこへ、紺色の服を着た男性がやってきた。
「ナターシャ様。これを。」
ナターシャと呼ばれた彼女の前の机に、一冊の薄い雑誌が開かれたまま置かれた。彼女は手に取ると、一つの記事に目を留めた。その記事は、大体こんな内容だ。
『海が危ない。最近、一度は姿を消した瓦礫や破片が、再び海から見つかっている。それらに書かれている字は下界のものではなく、天空界のものだ。海の上空には天空界が漂っている。我々には、再び危機が迫っている…。』
何これ?と記事を指さして顔を上げる。雑誌を渡した男は苦笑した。
「地上土産です。俺じゃなくて、知人からの。どうもまた地上で、天空界のゴミが話題らしいです。砂に囲まれた陸の孤島にとっては、海が少しでも汚されると大変だそうで。」
「ふーん。これを読むとそのゴミは…飛行艇とか、天車(てんしゃ)の部品?」
「そのようですね。最近空賊が活発になるにつれ、地上からの抗議が増えてるって聞きます。」
海に海賊がいれば、空には空賊がいる。警察や軍が対処に出て、飛行艇や空を飛べる車、天車を使って小競り合いが起きる。こうしたことが起きれば、空から海に物が落ちてしまう。
男は横の座席に座った。ナターシャは雑誌に視線を落とす。ゴミを船で引き揚げたり、地上で積み上げている写真が載っている。
「議会も地上も、みんな大変なのね。」
男が大きく足を組んで、憎らしそうにぼやいた。
「デヴィチ家による統治が途切れてから、議会は自由と地上への解放を掲げてすっかり変わり、天空界は統率がなくなった。そのとばっちりが海に落ちているのですよ。」
「あら。あなたは地上が天空界をひっくり返したと思っているの?」
ナターシャが朴杖を突いて、笑みを浮かべる。
「ええ?だってそうでしょう。地上から来たあれのほとんどがあんな騒ぎを起こして…結果、デヴィチ家は転覆し、地上との対話が始まった。きっと地上が仕組んだんです。あれは仕向けられていたんです。もしかしたら空賊だって、地上が糸を引いているかもわからない。」
ナターシャはゆっくりと、「隊長?」と男に声をかけた。苛立ちを見せ始めていた彼は我に返り、咳払いをして座りなおした。
「失礼しました…。」
「あなたも含めて、元親衛隊の皆が地上をあまり良く思わないのは分かるけれど…」
「…私が述べたような内容を裏付ける証拠は、何もない。」
「その通り。でも、疑いたくなるのも分かる。私も当事者だから。」
ナターシャは再び外に視線を向けた。しばらく黙って机を見ていた隊長が、ナターシャを見た。
「ナターシャ様は最近よく動かれていましたが、その…収穫のほうは?」
ナターシャはふう、と溜息を吐いて、首を振った。息がかかった窓が、白く曇った。
「相変わらずね。最近私が動いていたのは、今日のための準備で動いていたのよ。」
「そうでしたか。」
「少しでも進展があれば、あの子の苦労も減りそうだけど…。なかなかそうはいかないわね。」
「そうですね。なんか、すみませんでした。」
「いいのよ。それより、水を取って頂戴。」
「あっ。はいっ。」
冷蔵庫のペットボトルの水を受け取り、片手で開けて飲む。新品を一気に半分以上飲み干すと、ふうっと吐いた息が、暖かい室内なのにも関わらず、白く染まっていた。
「そろそろ時期かしらね。」
ナターシャがつぶやいた。
「調子、悪いですか?」
「そんなことはないけど、でも熱が溜まっている。調整が必要ね。この用事が終わったら一旦戻るつもりだから、連絡を入れておいて貰える?」
「わかりました。えっと……熱のことは伝えますか?」
「ううん。それを伝えたらまたあれこれうるさく言われるから、黙っておいて。」
「そうですね。わかりました。」
列車の窓から、大陸が見えてきた。大陸に見えるそれは、巨大な空に浮かぶ島だった。六つある天空界の島々のうち、一つ目の島。第一島、「クウト」だ。
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