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私の推し芸術家vol.16(福田平八郎)

没後50年回顧展に大阪中之島美術館まで遠征してきました。
何せ、大阪の次は大分県立美術館で東京に巡回することはないそうでそれなら行くしかない、ついでに東京で見逃した「モネ、連作の情景」展も観ることにしました。ところが、行く前になって代表作「さざなみ」が作品保護のため展示を一時休止するという事態に!「何があったんだ⁈劇場」受付の人に聞いてみたけど、納得のできる答えは得られずじまいでした。
でも実は去年東京近美でやった「重要文化財の秘密」展で観ていたんですよね。あの時は鈴木長吉の「十二の鷹」のインパクトが凄くて「さざなみ」を見たことをすっかり忘れていましたが。


「漣」1932 大阪中之島美術館蔵(ネット画像より引用)

略歴

1892年(明治25年) - 大分市に文具店を営む父・馬太郎と母・安(アン)の長男として生まれる
1898年(明治31年) - 大分県師範学校附属小学校(現・大分大学教育学部附属小学校)に入学
1910年(明治43年) - 大分県立大分中学校(現・大分県立大分上野丘高等学校)に進学するが、数学が苦手で「数学のことを考えるだけで世の中が暗くなる気がして」中学校3年の進級に失敗、京都市立絵画専門学校別科に入学する
1911年(明治44年) - 隣接する京都市立美術工芸学校(現・京都市立銅駝美術工芸高等学校)に入学
1915年(大正4年)
3月 京都市立美術工芸学校卒業。卒業制作は同校の買い上げとなる
4月 京都市立絵画専門学校(現・京都市立芸術大学)に入学
1918年(大正7年) - 京都市立絵画専門学校卒業
1919年(大正8年) - 第一回帝展に「雪」が入選
1921年(大正10年) - 第三回帝展に出品した「鯉」が特選となり、宮内省(現・宮内庁)が買い上げる。
1922年(大正11年) - 谷口テイと結婚
1924年(大正13年) - 帝展の審査員になり、京都市立絵画専門学校助教授に就任
1928年(昭和3年) - 中国旅行
1930年(昭和5年) - 中村岳陵山口蓬春らと六潮会に参加
1932年(昭和7年) - 「漣」を発表。
1936年(昭和11年) - 京都市立絵画専門学校教授となる。
1937年(昭和12年) - この年から始まった新文展の審査員に就任[1]。
1947年(昭和22年) - 帝国芸術院(同年末日本芸術院)会員。
1948年(昭和23年) - 毎日美術賞受賞。
1949年(昭和24年) - 日展運営会理事。
1958年(昭和33年) - 日展常務理事。
1961年(昭和36年) - 文化勲章受章、文化功労者
1969年(昭和44年) - 日展顧問。
1974年(昭和49年) - 逝去、叙従三位。墓所は京都市左京区の法然院で、隣には谷崎潤一郎夫妻が眠っている。

ウィキペディア

1930~40年代

年表によると1920年代に帝展(今の日展)で特選を取るなど、元々画壇では認められた方だったんですよね。その安定をぶち壊して抽象もどきの道に突き進んで行ったところが凄いと思います。
でも彼にとっては「漣」はあくまでも写実を突き詰めるとこうなったということらしい。
そして賛否両論はあったけど、結局は重文指定を受けるなど世間から認められた画家となって文化勲章まで受けている。全然不遇ではなかったところが又凄い。何だかピカソみたい!本人も西洋の現代美術には関心があったみたいです。

花菖蒲 1934 京都国立近代美術館
(ネット画像より引用)

これは琳派入っていますね!琳派にも関心があったみたいです。
こう見てくると、写真のような写実とは全く違いますね。

筍 1947 山種美術館(ネット画像より引用)

こちらも、写実を基本にした装飾画と言える作品ですね。

新雪 1948 大分県立美術館

こちらは、第4回日展出品作で、庭石の上に降り積もった雪の様子を大胆に簡略化して表現しています。

1950年代

この年代も代表作が続きます。

雲 1950 大分県立美術館

最近見つかった作品で1950年の日展出品作でしたが、物議をかもして長らく行方不明だったそうです。


雨 1953 東京国立近代美術館(ネット画像より引用)

この作品に惹かれて福田平八郎に関心を持つようになりました。
でも他にどんな絵を描いたのか全く知らずにきてしまいました。
だから今回は貴重な機会なので、どうしても行きたかったのです。

水 1958 大分県立美術館

第1回新日展に出品された「水」に至っては抽象と呼ばずには居られない作品となっています。

桃 1959 大分県立美術館

「桃」は伝統的写実。見出し画像の「牡蠣と明太子」(大分県立美術館蔵)は1953年作のスケッチ。
2012年に山種美術館で「福田平八郎と日本画モダン」展が開催されたそうですが、正にこれらの作品は日本画モダンという形容詞がピッタリです。 

このシリーズでも取り上げた作庭家の重森三玲も自分が作った庭のことを「永遠のモダン」と言っていましたが、伝統をしっかりと守った上でのモダンという考え方に相通じるものがあるような気がします。


1960年代

海魚 1963 大分県立美術館
游鮎 1965 大分県立美術館

こうなると、もう何おか言わんや!正に現代美術ですね。


終わり


会場で許可された作品以外の写真は、2012年に山種美術館で開催された「福田平八郎と日本画モダン」展サイトよりお借りしました。(ネット画像より引用)と付記。



展覧会は5/6迄休館日なしでやっています。4/24からは「漣」も展示再開されるそうです。

大分県立美術館では5/18〜7/15迄やるそうです。