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42年前。

1978年8月31日 山口県下関市の病院にて私は生まれた。        山口県は母の実家であり、里帰り出産。私たちは東京でくらしている。

4歳離れた優しい姉がいる、次女としてこの世に産まれてきた。自分が生まれた日のことは、もちろん記憶にない。母からきいた記憶をたどると出生時の体重は3200gぐらいあったというのにスポン!と超安産だそう。
姉の時が超難産だったというから、それと比較したら楽だったと言うことだと思う。

二度目の出産で、余裕もあったのか長期戦になったときの為にとギリギリまで食事をしていたそう。そのせいか、なんと私を出産した後にすぐ、めでたくう○こまで生み出してしまったそう 。おかげで私は、う○こと一緒に産まれたから運がついてるんだ!などと、母や父に出生時の話をきいては、からかわれた。

女の子なら普通は嫌がるだろうが、私はそんなふうにみんなが話しながら笑うので、小さい頃から私のことで笑いになるのがなんだかすごく嬉しかった。小学生になったころには、ネタのようにう○こと産まれたんだ!とはなしては友達とゲラゲラ笑っていたぐらい・・・。

名前はみんなに馴染まれやすく呼ばれやすい名前をつけたと聞いている。 『千香子』幼い頃は、華やかさにかけるし、字も簡単だしインパクトにかける名前だと、あまり好んでいなかったが、父の狙いどうり、どの時代も 『ちかちゃん』とみなさんから呼んで親しくしていただき、42歳のおばちゃんになった現在も出会った方々に『ちかちゃん』と名前で呼んでもらっている。

人見知りしない私にとって、名前で呼んでもらえると、一気に距離が縮まりコミュニケーションがとりやすくありがたい♫父はこのようになることがわかっていたのか?と思うぐらい今はこの名前を好きになり、つけてくれたことに感謝している。

産まれたばかりの私は、とにかく寝なかったらしい。そして、おっぱいもミルクもしっかり飲めない赤ちゃん。おかげで一日中グズグズで、よく泣いていたらしい、そのせいか写真も泣きべそ顔のものが多い。母は私を1日中体にくくりつけていたとのこと。あまりにグズグズなので白湯を飲ませると白湯は飲むという・・・産まれた時は十分な体重があったのに、栄養のあるおっぱいやミルクの飲みが少なかったので、体重が増えず手がかかった。

私も母になりこの苦労は手に取るようにわかるし、2人目で手がかかるとさぞかし大変だったかと思う。はっきりいって地獄。4歳離れた姉は、穏やかな子でお姉ちゃんになるのを楽しみしていたそう。私と違って手のかからなかった穏やかな姉と、睡眠不足の母にしっかり手をかけてもらったから、私の今がある。感謝でしかない。

しかし、水ばかり飲む赤ちゃんって・・・。産まれた時から、少し変わったものを好んでいたのだと自覚した。昔っから天邪鬼なところがある。とよく言われたけれど、あえてそうしたいのではなくて、本心からみんなと違っていても良いと思えたのだ。好きなものがみんなと同じ時もあるが、少ないからよく言われたのかもしれない。

産まれた時のことを、じっくりと思い返しながら・・・といっても、私の記憶にはないから、幼少期に父や母に聞いた記憶を辿りながら綴っているが、すっかり記憶の奥にしまっていた事が蘇り、改めて父母に対して感謝の気持ちが湧き上がってくる。

私も父母もすっかり歳をとり、時に意見が食い違ったり価値観が違ったりで、良い距離感が必要になっている。しかし、私の今は彼らの愛情がたっぷりあったからこそ出来上がっている。そして今の私がある。

そう思うと、彼らを悪いようにしない、私からの愛情表現の仕方があるなと思う。最近は愛情表現しずらくなり、距離ばかりを必死に保っていたから。

親に感謝。できそうで、なかなかできない、大切なことを、普段はなかなかおもいだせないのだ。

自分を振り返るって、いいな。

素直に感謝の気持ちでいっぱいになる。赤ちゃんの自分よ、なぜ水がよかったのか?確かに今も白湯や水は好きだけどさ〜。

というわけで、誕生とともに最高に幸せな赤ちゃん時代から、私の人生は幕開けしたのでした。


                 

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