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親友の死から始まった関係について。

親友が、死にました。

それは、14年ほど、前のこと。

そして、つい先日、
そのお母さまも、亡くなったと連絡が来ました。

本当に素晴らしい方で、
親友の命日に、
お母さまとお話するのを
毎年楽しみにしていたのですが、

もう、会えません。

覚悟はしていたのだけど、
やはり、寂しい。

だけど、思い出しても、
笑顔しか、出てこないほど、
気丈で前向きな方で。

このところ、死について色々と考え、
情報収集してきたのが、全て繋がったのが、
ひとしきり、泣いた後のこと。

「いかに生きるのか?」

という命題は、

「いかに死ぬのか?」を考えたとき、
もっと現実的なものになる気がします。

肉体が無くなるということはどういうことか?

死について考えたときに、
どうして悲しくなるのか?

なぜ、生ばかりを見つめて、
必ず訪れる死を嫌うのか。

息を吸ったら、吐くしかないのに。

酸素を取り入れて、
命を回して、
二酸化炭素として吐き出す。

全ては循環しているからこそ
ここに居られるのに。

もらうことばかりに夢中になっていて、
与えることをすっかり忘れて生きていました。

死に向かうプロセスを見せてくれた、
親友のお母さんに、本当に感謝で。

私が与える番になった時に、
私の肉体が無くなった時に、
私の存在はどのように残るのか。

誰かが、想い出してくれた時、少しでも、
その人の心を温め、勇気づけられるような生き方をしたいなと、
想うのです。

生まれること、生きること、死ぬこと。

全てはセットで、自然な事なんだな、と
改めて感じたわけで、

悲しいし、切ないし、
口に出すと涙が出てしまうけど、

だけど、やっぱり、

どこまでいっても、自然なことなんだな、と。

ぽっかりと心に穴が空く、というけれど、
空いたそこには、笑顔の彼女が座ってる。

そんな感じなのです。

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