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私がいなくなったあと、私は私を、 どうやって証明するんだろう。

私がいなくなったあと、
私は私を、
証明できなくなる。

今は、私は私の中に存在しているのだけど、
同時に他者の中にも存在している。

私が思う、私 と
他者が思う、私。

だけど、
私がこの世からいなくなったら、
つまり、私の意識が永遠に消えてしまったら、
私は私を見出すことができなくなる。

私は、私丸ごといなくなる。

残るは、他者の中の私、のみ。

人は2度死ぬ、という言葉を聞いたことがあって、

1度目は、
私の肉体が死んだ時。

そして2度目の死は
他者の中の私が死んだ時、だ。

肉体が無くなってしまったら、
意識が消えてしまったら、
悲しいとか寂しいとか
全て消えてしまうから、

私の喪失をそれほど恐る必要はない、
はずなのだけど

それほど切なく想う必要はない、
はずなのだけど

別れを哀しく想うのは、
今、一緒に居られることを
愛しく想う気持ちを盛り上げるため、
より深く味わうため、
かもしれない。

この刹那の時間の密度、濃度を高めるため、
人ともっと繋がろうとするため、
かもしれない。

人生の残り時間が
分かった時に、
私や私の近しい人が流す涙の量や哀しみと

ある日、唐突に人生が終わってしまった時に
私の近しい人が流す涙の量や哀しみは

どっちが多いんだろう?

愛している、ありがとう、と
より多く伝え合う事が出来るのは、

どっちなんだろう?

私に残された時間が
決まっていて、

知りたいか、知りたくないか、と
聞かれたら
どっちを選ぶだろう。

そんな事を考えたのは、

死ぬまでにしたい10のこと

という映画を観たからだ。

予告編

主人公の、23歳の彼女に残された
人生の残り時間は、
たった2ヶ月だった。

きっと、お涙頂戴ものだろう、
と思って観始めたら
良い意味で裏切られた。

静かな、静かな映画だった。

観終わって、邦題に気がついた。

『My Life Without Me』

そう、人は2度、死ぬ。

1度目の死の後、
もう1度、死ねるんだ。

死ぬことが分かったら、
この映画のように
私も、もう1度死ぬまでに
出来ることを、やろう。

肉体が生きているうちに、
愛する人の中で、
必要とされる分だけは
存在できるように
準備をしておこう。

そう思ったら、
ちょっとだけ、死ぬことが
怖くなくなった気がした。

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