おもてなし精神からおもてなし根性へ

どこかのスーパーでレジで座ったまま接客する試みを始めたと聴いた。僕は座ったままの接客に賛成だ。理由は楽だから。楽を出来るところは楽したい。実に大人な考えだと思う。しかし、反対する人もいる。理由はお客に失礼とかそんなところだ。面白いのはこれも実に大人な考えと思えることだ。この賛成派と反対派を極端な理由づけで分けると、賛成派は影響のない人、あるいは教育する立場にある人で、反対派は影響のある人、あるいは教育される立場の人と僕は分ける。もし教育される立場の人が教育する立場の人になぜ座ったまま接客をしてはいけないのか問えば、最終的に精神論やそういうものだからという、非科学的な回答になるだろう。普段、論理的、科学的な論拠を求めてくる立場の人からそんな回答が返ってくれば、受け手は納得出来ない。近年は高校野球の坊主を廃止する学校が増えてきた。あれも坊主を続けてきた理由は、そんなものだからとか、マシな回答でも伝統に従わないことで波風立てたくないとか大人な理由になる。高校野球について別の視点で語るなら人口減少と他競技との部員獲得競争から不条理なルールがあっては人が集まらない立場に変わってきたということもあるだろう。どちらにしても考え方に変化が出てきたことは確かだ。東京オリンピックの誘致演説でおもてなしという言葉が注目された時期があった。日本人のおもてなし精神は世界に誇れる文化だと謳っていたが、これも過剰なサービス精神として非難される時が来るかもしれない。その時はおもてなし精神と言われていたものは経営が芳しくない会社が従業員に過剰な接客をさせることで顧客満足度を高めていた時代に用いられた、社畜根性の別称ですとか言って、それを日本の崇高な文化と言って外国にアピールしていたんですよとか言われるのか。歴史の教科書に第二次世界大戦期の異常な精神論と同等の扱いで取り上げられる未来もあるかもしれない。

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