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祖父の新盆に家族を想う

今年の2月、祖父が他界した。
享年93歳。

小柄でふっくらとしていて、いつもニコニコ、ピンク色の頬がチャーミングだった。
綺麗な白髪に少しだけ黒い髪が生えてきて、
「若返ってきちゃったのかな?」とはにかんでいた。年明けには耳と襟足のあたりの髪を切って欲しいといわれて、わたしがカットした。
祖父の髪に触れるのは、初めてだったかもしれない。くすぐったいような、恥ずかしいような、愛おしいような、不思議な気持ちになった。

少しずつ弱っていく祖父を、娘であるわたしの母は、どんな想いで見ていたのだろう。
甲斐甲斐しく祖父の家に顔を出して尽くしていた父は、どんな気持ちだっただろう。
そして、長年連れ添った83歳の祖母は。

家族がいなくなったことで残された家族みんなが悲しいのだけれど、それぞれに祖父と一緒に過ごした時間の長さも内容も異なるから、もし悲しみを色に例えるなら、みんな違う色なのかな、などとお通夜の夜にぼんやりと思った。
わたしと弟にとっての祖父は、祖母にとっては夫で、母にとっては父であり、父の義父だった。
当たり前のことだけれど、改めて思った。
ひとには様々な側面があるのだ。

祖父が寂しくないようにと朝方まで弟と起きているつもりが、途中で限界がきて仮眠をとった。
弟は一睡もしなかった。
彼はどんなことを考えながら一晩中祖父へお線香を供え続けたのだろう。

わたしはといえば、祖父にもう会えないことが悲しいし、いないなんてまだ信じられない。
「はるちゃん」と呼んでくれる声は今も頭の中では聞こえるし、素晴らしく良い笑顔の遺影は見つめていると会話ができそうな気がする。

悲しい。
淋しい。
会いたい。

今、初めて言葉にした。

わたしより祖母や母や父のほうがそういう気持ちが大きいだろう、わたしはしっかりしなければ、そう思ってキチンと振る舞っていたつもりだし、明るくいた。

祖父の新盆を終えて、改めて祖父のことを考えた。書き残しておきたいとも思った。
そして祖父のいない、わたしたち家族のことも考えた。
いるのが当たり前だったから、ひとり欠けたことの違和感は続くのだろう。
悲しさも、淋しさも、気持ちが落ち着くまでは持っていればいいと思うし、このお別れを頑張って乗り越える必要はないと思う。

今まで通りのことと、変化していくこと。

これから先もどんなふうになっていくかはわからないけれど、祖父の大切にしてきた「家族」というものについて時々想いをめぐらせる時間を持とう。

一番身近で、大切なひとたちとの時間を、大切に過ごしていきたいと改めて思った祖父の新盆だった。

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